artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

分身ロボットカフェ「DAWN ver.β」

[東京都]

新日本橋駅の近くにある分身ロボットカフェの「DAWN ver.β」を訪れた。これは吉藤オリィが、重度障害のために外出困難な人でも、遠隔地から在宅で働けるロボットを開発し、実証実験を経て、6月に常設店がオープンしたものである。彼は自らも3年半の不登校を経験した後、早稲田大学在学中に独自で「オリィ研究室」を立ち上げているが、2013年にFacebookを通じて、交通事故で動けない番田雄太と出会ったことを契機に、「寝たきりであっても自分らしく働ける場所」の実現に取り組んだ。 現在、カフェでは3種類の分身ロボットが稼働している。まずiPadと連動する小型の遠隔操作ロボット「OriHime」は、卓上に置かれ、手や首を動かしながら、音声でのコミュニケーションをとって、食事の注文や会話を行なう。


iPadと連動する小型の遠隔操作ロボット「OriHime」


次に遠隔での肉体労働を可能にする自走型分身ロボット「OriHime-D」は、身長が約120cmであり、店内をガイドラインに沿って移動することによって、ドリンクを運ぶ。基本的に客席では、この2種類が対応するが、奥のカウンターでは、元バリスタとの意見交換を受けて開発され、遠隔操作によってコーヒーを淹れることが可能な「Tele-Barista OriHime×NEXTAGE」が立つ。バリスタのロボットが動く状況には立ち会えなかったが、両腕によって、もっとも複雑に動くと思われる。


遠隔での肉体労働を可能にする自走型分身ロボット「OriHime-D」



「Tele-Barista OriHime×NEXTAGE」


筆者は、実際にランチを注文し、青森県や山形県にいるパイロット(遠隔地から働くメンバーをこう呼ぶ)との会話を体験した。ただ音声をやりとりするのではなく、言葉に反応して動く「OriHime」のおかげで、本当にパイロットの存在を感じることができる。ロボットは、いわゆるかわいいデザインだが、別の客席にいた幼児は怖がって泣いていたから、かわいいという感覚も後天的に獲得されるものなのだろう。ともあれ、こうしたコミュニケーションは、メディアアートなどでも試みられていたが、分身ロボットカフェがインパクトをもつのは、実際に社会に役立つデザインになっていることだ。これぞ、新しいデザインと工学の融合を社会実装させ、未来を感じさせるプロジェクトである。今後は教育の分野でも、活用が期待できるだろう。


パイロットとのガイダンスの様子



「OriHime-D」と「OriHime」


じつはカフェを訪れたのは、ちょうど崇高な理念をうたうはずのオリンピックの開会式への、障害者に暴行を働いた過去をもつミュージシャンの参加が問題になったタイミングであった。それだけに「孤独の解消」を掲げる、こうした民間の挑戦は、頼もしく思えた。

公式サイト:https://dawn2021.orylab.com/

関連記事

いま、ここにいない鑑賞者──テレプレゼンス技術による美術鑑賞|田中みゆき(キュレーター):トピックス(2020年11月01日号)

2021/07/19(月)(五十嵐太郎)

竜とそばかすの姫

[東京都]

『時をかける少女』(2006)公開以降、正確に3年ごとに新作を発表する細田守の『竜とそばかすの姫』(2021)は、これまでの系譜を継いだものだった。今回の仮想世界「U」は、ドタバタ大家族SF『サマーウォーズ』(2009)の仮想空間「OZ」と比べると、身体的な特徴を反映させたアバターに進化している。また声がテーマになっていることから、今回のアズ(アバター)/オリジン(本人)は、アニメにおけるキャラ/声優の関係と重なり、メタ的な作品のようにも思える。もっとも、劇中のすずは母を失ったトラウマから歌えなくなり、「U」の世界でだけ「ベル」として華麗に歌えるという設定なのだが。ちなみに、『バケモノの子』(2015)も二重世界の物語だったが、空に浮かぶ巨大な白鯨は今回も登場した。

一方でリアルな世界としては、『サマーウォーズ』や『おおかみこどもの雨と雪』(2012)と同様、自然が豊かな地方が舞台である。実際、細田監督が美しいと聞いて、高知の二淀川周辺をロケハンし、それをもとにして、ネットの世界とは対照的な風景というべき、すずが暮らす家や周辺の環境が描かれた。

また『未来のミライ』(2018)に登場する建築家の自邸の設計には、谷尻誠を起用したが、今回もイギリスの建築家エリック・ウォンに仮想空間のデザインを依頼した。平日は設計の実務を行ない、週末に映画のための仮想空間を構想したという。「OZ」では回転する同心円状の空間が印象的だったのに対し、「U」の世界では、「U」の文字をモチーフとしつつ、楽器のハープがイメージされた。そして弦の垂直線が連続するかのように、ビルが林立する風景を導く。

さて、『竜とそばかすの姫』は、細田が好きなディズニー版のミュージカル・アニメ『美女と野獣』的なプロットを経て、むしろ現実の世界のほうを変え、抑圧された少年少女を解放していく。インターネットが社会に対してネガティブな影響力を強める現状において、その暗黒面をとらえながらも、最終的にボジティブなメッセージを発信している。またこれまでの細田作品と同様、登場人物の成長物語でもある。なお、音楽をテーマにする映画は、音楽そのものがどれくらい説得力をもつかも重要な鍵となるが、すず/ベル役を担当したミュージシャンの中村佳穂は見事に期待に応え、ときどき感じられる脚本の欠陥を忘れさせるほど、圧巻だった。

映画『竜とそばかすの姫』公式サイト: https://ryu-to-sobakasu-no-hime.jp/

2021/07/18(日)(五十嵐太郎)

ライトハウス

[東京都]

ロバート・エガース監督の『ライトハウス』は、美と醜をいずれも際立たせる白黒映画であり、「1.19:1」というほぼ正方形に近いアスペクト比のスクリーンによって閉塞感を味わわせる。作品の要素は以下の通り。名優二人が演じる灯台守、そして4週間で終わるはずだった管理というシンプルな設定に対し、不吉な海鳥(デビュー作の『ウィッチ』でも山羊が重要だった)、人魚の伝説、海の怪奇、人間の秘密が絡むスリラーである。灯台守が発狂した実際の事件やメルヴィルらの船乗り文学などに着想を得て構想されたという。あまりにもリアルな存在ゆえに、本物の灯台で撮影したものだと思っていたが、充実した内容のパンフレットによると、求めていた19世紀の灯台がアクセスが難しい離島にしかなかったため、すべてセットだった。すなわち、カナダの漁業コミュニティに建設された外観のショットのための高さが約21mの塔と、ハリファックス近くの屋内セットを組み合わせて、映画は制作されている。現地の住民は気に入り、残して欲しかったらしいが、恒久的な組積造ではなく木造のため、安全性を考慮して撮影後に解体された。

二人の男が極限まで対峙する灯台は、水平の海に対して垂直に起立し、男根の象徴とでもいうべきビルディングタイプである。興味深いのは、巨大なフレネルレンズによって、遠くへの光を放つ頂部のエリアを聖なる空間とし、老いた灯台守を幻惑し、秘教めいた儀式の場としていることだ(ここに若い灯台守が入ることは許されない)。なるほど、まわりに何も人工的な構築物がない環境において、夜に輝く灯台はロマンティックな風景である。そこに至る螺旋階段も、いくつかの出来事の場として活躍する。本来、灯台は船が迷わないよう、位置を知らせる役割を果たす。しかし、舞台が孤島ゆえに、激しい嵐によって、二人の男は外界から遮断され、食料が底をつき、生存の危機に陥る。すなわち、そこが灯台にもかかわらず、海上でさまよえる船のような極限状態になってしまう。だからこそ、船乗り文学のレファレンスが効いてくる。灯台という場の読み替えとしても、創意に富む作品だった。

映画『ライトハウス』公式サイト: https://transformer.co.jp/m/thelighthouse/

2021/07/11(日)(五十嵐太郎)

サーリネンとフィンランドの美しい建築展

会期:2021/07/03~2021/09/20(※)

パナソニック汐留美術館[東京都]

※日時指定予約を実施


「ルオー」「建築・住まい」「工芸・デザイン」という三本柱をもつパナソニック汐留美術館は、おおむね年に1回は建築の企画展を開催している。今年のテーマは「フィンランド」としながらも、日本に多くのファンがいて、何度も展覧会が行なわれたアルヴァ・アアルト(1898-1976)ではなく、彼よりも四半世紀早く生まれ、フィンランドのモダニズムの先駆けとなったエリエル・サーリネン(1873-1950)にスポットを当てたのが、特筆すべき点だろう。


「サーリネンとフィンランドの美しい建築展」展示風景


まず全体の「プロローグ」として、19世紀に編纂され、フィンランドのナショナリズムの起源となった民族叙事詩の『カレワラ』が紹介される。「第1章 フィンランド独立運動期」が、エリエルを含むGLS建築設計事務所が手がけた1900年のパリ万博の《フィンランド館》、《ポホヨラ保険会社ビルディング》(1901)、《フィンランド国立博物館》(1910)をとりあげるのだが、アール・ヌーヴォー的な意匠に対し、『カレワラ』に由来するクマやフクロウなど、ヨーロッパの辺境ならではの異色の装飾が付加されているからだ。また諏佐遥也が制作した模型や、アアルト大学によるCGが、《フィンランド館》の立体造形も詳細に伝える。


《ポホヨラ保険会社ビルディング》


「第2章 ヴィトレスクでの共同制作」は、GLSの3人、すなわちゲセリウス、リンドグレン、サーリネンがスタッフとともに築いた理想の芸術家コミュニティを紹介し、《ヴィトレスク》(1903)のダイニングルームの実物大の再現展示がハイライトになる。またカラフルな図面も美しい。なお、学芸員の大村理恵子によれば、コロナ禍のため、海外からクーリエを担当する学芸員が来日できないため、時間をかけて、オンラインの画面を通じ、開梱した作品の状態を詳細に確認してから、設営したという。

「第3章 住宅建築」は、GLSが得意とした居住の空間を選び、装飾に彩られた《ヴオリオ邸》(1898)や《エオル集合住宅・商業ビルディング》(1903)などを紹介する。「第4章 大規模公共プロジェクト」は、重厚な《ヘルシンキ中央駅》(1914)、ロシアから建設の許可が出なかった実現されなかった「国会議事堂計画案」(1908)、住宅開発計画などだ。そして「エピローグ」は、シカゴ・トリビューン本社ビルのコンペ2等案(1922)を契機に、政情不安の祖国を離れ、アメリカに移住し、新天地での仕事や息子エーロによる家具などがとりあげられる。


《ヘルシンキ中央駅》


《ヘルシンキ中央駅》



息子のエーロ・サーリネンによって設計された《クレスゲ・オーディトリアム》(1955)



息子のエーロ・サーリネンによって設計されたNY・JFK国際空港《旧TWAターミナル》(1962)


本展は、装飾を排除したモダニズムが登場する前の、建築の豊かさを感じさせる内容だった。また久保都島建築設計事務所による小部屋を設けた会場構成、シンプルな動線、光の効果も効いている。

公式サイト: https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/21/210703/

2021/07/08(木)(五十嵐太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00057606.json s 10170402

TRASHMASTERS vol.34『黄色い叫び』

エル・パーク仙台 スタジオホール[宮城県]

同じ作品を東京でも見ることはできたのだが、東日本大震災を受けて、2011年4月に発表された作品の再演ということもあり、せっかくなので、仙台にいるタイミングで観劇した。同市では、チェルフィッチュでさえなかなか満席にならないので、観覧者を増やす意味もある。

さて物語は、台風が近づくなか、地方の公民館において青年団の会議が紛糾したあと、土砂崩れの発生によって事態が激変するという展開だ。当初、TRASHMASTERSでは3.11から10周年として、別の作品の上演も検討していたらしいが、セットが大がかりなため、『黄色い叫び』を選んだ。結果的に2021年の7月の出来事を予見したかのようだ。

まず、前半における青年団の会議では、災害の根本的な対策を主張する一部の意見を顧みず、町長の意向を受けながら、祭りを強行する決議がなされる。これはもともと復興のあり方をめぐる議論を踏まえたものなのだが、2021年という新しい特殊な状況下で、コロナ禍にもかかわらず、オリンピックという巨大な祭りに突進していく日本政府とぴったりと重なりあう。本来、意図しなかったことにもつなげて解釈できることは、演劇を含む表現の醍醐味であり、作品がもつ普遍性の証だろう。また7月は日本各地で集中豪雨が発生し、熱海が土石流災害に襲われたが、『黄色い叫び』の後半の展開を思い出した。なお、今回、長野県でも上演されたのは、2019年の千曲川氾濫という自然災害の地でもあるからだ。

『黄色い叫び』はポスト3.11の演劇だが、人の嫌らしさも込めた通常と違う角度からの視点が新鮮だった。特に後半において重症者が運びこまれたあとの、生と性がせめぎあう一連の展開は見所である。それはアフタートークでも述べていたように、災害のあと、作・演出の中津留章仁が石巻へボランティアにいった経験が大きいのだろう。メディアが切り取って見せたい被災地のステレオタイプのイメージと、それを凌駕する出来事が続出する現場。そこでは欲望が渦巻き、キレイゴトだけではないだろう。本作では、さまざまな矛盾を抱えたわれわれの姿が描き出されている。

TRASHMASTERS vol.34『黄色い叫び』:http://lcp.jp/trash/next.html

2021/06/30(水)(五十嵐太郎)