artscapeレビュー
五十嵐太郎のレビュー/プレビュー
糸魚川市の建築をまわる
[新潟県]
北陸に出かけたのは、2016年に147棟が焼損するという大火事が発生した糸魚川が、現在どうなったのかを自分の目で確認することが目的だった。約4haに及ぶ被災地は、基本的に復興の整備期を終えたことや、前に歩いたことがないエリアだったせいもあるが、ほとんど火災の痕跡をとどめていない。もっとも、よく観察すると、新しい建築ばかりであることや、公園や広場に転用された空き地があちこちにあることに気づく。
注目すべきプロジェクトとしては、西村浩が住民とのワークショップによって設計した糸魚川市駅北広場《キターレ》(2020)と、八木敦司+久原裕/スタジオ・クハラ・ヤギによる《糸魚川市駅北大火復興住宅》(2019)である。前者は、シンプルな屋根をもつホールとダイニング・スペースであり(エントランスでは大火の記録が展示されている)、屋内外でイベントなどを行なう場だ。また後者は、耐火構造の木造によって細い小路や雁木などの空間的な記憶を継承する。同じ建築家が手がけた《矢吹町中町第一災害公営住宅》(2016)の経験を生かしつつ、地域性に配慮し、住戸の入口はナカニワ側、物干しはインナーバルコニーとするなどの工夫を行なった。
せっかく糸魚川に来たので、20年以上ぶりになるが、村野藤吾が設計した《谷村美術館》(1983)と玉翠園を再訪した。学生の卒業設計で、ときどき特定のアーティストの作品だけを決め打ちで展示する美術館を見かけるが、これはまさにそれを巨匠がやってのけた空間である。木彫芸術家の澤田政廣の仏像に対し、村野がそれぞれのための展示空間を構想した(ゆえに、展示の入れ替えはないはずである)。
胎内か洞窟をほうふつさせる特殊な空間は、ほとんど直線や直角がなく、施主が地元の建設会社だからこそ、完成に導くことができたと思わせるような複雑かつ有機的な建築である。それ自体が小さい彫刻のような各展示室の模型や、断図面を見ると、自然光の入れ方にかなり力を入れたことがうかがえる。ただし、実際の展示空間は、人工照明によって、心なしか明る過ぎるようにも思われた。実際、もう少し暗い方が洞窟的な雰囲気はさらに強調できる(しかし、作品は見えにくくなる)。昔に撮影された展示室の写真を確認すると、やはりいまよりは明るくないように思えたので、気になった。
2021/06/21(月)(五十嵐太郎)
《飯山市文化交流館なちゅら》、《道の駅ファームス木島平》
[長野県]
東京国立近代美術館の「隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則」を見に行って、翌日訪れる北陸の少し前で途中下車すると、彼の作品があることに気づき、訪れたのが《飯山市文化交流館なちゅら》(2015)である。いまではどこでも隈建築に出会える、つまり、それだけ数多く日本各地に彼の作品が建設されているということだ。
飯山駅から歩いて5分、神社のある丘の横に《なちゅら》は建つ。外観は隈が得意とする木板に覆われた多面的なヴォリュームであり、ここはカッコよさを主張する。が、室内において、大小のホールや多目的ルームのあいだは、ナカミチと呼ぶ空間が十字に入り、建物を貫通する。ここでは、中高校生が勉強などをして過ごしていたが、ゆるさを許容する空間が効いていた。すなわち、張り詰めた緊張感を強いないデザインである。宮沢洋の『隈研吾建築図鑑』(日経BP、2021)でも、《なちゅら》は「ふんわり系」の作品として分類されていた。実際、《那須芦野・石の美術館》の前庭や《アオーレ長岡》の広場など、こういう隈の空間は、日本の地方の街に相性がいいと思う。
さて、飯山駅で気づいたのは、《道の駅ファームス木島平》までシャトルバスが出ていることだった。これは三浦丈典/スターパイロッツが設計し、2015年のグッドデザイン賞の金賞に選ばれており、以前から見てみたと思っていた建築である。ただ、バスの本数が少ないため、タクシーで現地に向かった(往復で3500円ほど)。
もともとはトマトの加工工場だった建築をリノベーションしたものであり、その黒い躯体に小さい家型の白いヴォリュームをいくつか挿入し、大きなスケール感を巧みに分節している。プログラムとしては、それぞれの家型にレストラン、カフェ、キッチンスタジオ、インキュベーターオフィス、加工場などの機能を与え、農業の六次産業化をめざした。グッドデザイン賞では、建築家が設計して終わりではなく、施設の出資者のひとりになって運営に関与していくことも高く評価された。もっとも、訪問時はあいにくのコロナ禍と、交通量が多い大きな国道沿いではないこともあり、あまり人がいない状況だった。イベントなどが開催されているときに再訪してみたい建築である。
2021/06/20(日)(五十嵐太郎)
RUN
「母親」の異様なる愛情が暴走するサイコ・スリラーである。日本の流行り言葉だと、「毒親」ということになるかもしれないが、娘を薬漬けにして病気にさせてしまうのだから、尋常ではない。ゆえに、本作では安心だと思われていた家こそが、もっとも恐ろしい場所に転化する。これはフロイトの精神分析をもとにしたアンソニー・ヴィドラーの論考を想起させるだろう。すなわち、辞書によって「親しみのある(ハイムリッヒ)」の意味を掘り起こしていくと、真逆の「不気味なもの(ウンハイムリッヒ)」が隠されているというものだ。安心な場のもっとも奥に秘められたものは、「不気味なもの」である。主人公のクロエは二階の個室を与えられ、日常生活を送っていたが、母への疑いが生じたことで脱走を計って失敗し、映画の終盤では地下室に閉じ込められ、出生の秘密を知ることになった。二階への階段には、車椅子の昇降機がついているが、地下室にはそれがない。したがって、本来、そこはクロエが絶対に入ることができない場所だった。
映画はぽつんと建つ一軒家、車椅子、薬、母と娘というミニマムな要素によって構成される。そして無駄に尺が長くもない。少しだけ映画館、薬局、病院も登場するが、基本的にはずっと家が舞台であり、空間の仕掛けもおもしろい。例えば、二階の自室に閉じ込められたクロエが足は不自由ながら、どのように脱出するのか。もっとも、車椅子なら、わざわざ自室を二階にするだろうか? という疑問もなくはないが、この母親なら、いざという時に娘を家から出させないためにそうしてもおかしくない。そして階段のモチーフは、別の場所においてもういちど使われる。ともあれ、家に憑く霊とか化け物とか呪いではなく、まさにサスペンスとしての映像がつくりあげる宙吊り感覚の怖さだ。例えば、深夜にクロエは隠れてインターネットを検索しようとするが、接続されておらず、諦めて帰ったあと、不意に闇の中に浮かぶ母の顔。外向けに良い母を演じる母は、娘には私が必要なのだと繰り返す。が、ついに娘は母の方が私を必要としていると言い返すのだ。なお、事件が解決した後、ラストのシーンもやばい。
映画『RUN』公式サイト:https://run-movie.jp/
2021/06/18(金)(五十嵐太郎)
松本市、長野市の建築をまわる
[長野県]
長野の新しい建築をまわった。まず伊東豊雄による信濃毎日新聞松本本社《信毎メディアガーデン》(2018)である。松本市では、《まつもと市民芸術館》(2004)に続くプロジェクトだが、今回はコミュニティデザイナーの山崎亮が入り、ワークショップを経て、設計された。ルーバーや木の格子による印象的な外観に対し、手前に大きな広場、横に水路をもうけ、一階は自社ビルにもかかわらず、カフェ付きのほとんどオープンスペースである。インテリアは、《せんだいメディテーク》をほうふつさせる仕上げだ。
今春、宮崎浩が設計した《長野県立美術館》がオープンした。《長野県信濃美術館》(1966)の建て替えだが、隣接する谷口吉生の《東山魁夷館》(1990)や近くの善光寺、そして高低差のある地形など、様々な環境を読み取りながら、それらをつなぐモダニズム的なデザインになっている。ちなみに、宮崎の師匠である槇文彦による《長野市第一庁舎・長野市芸術館》(2016)も、周辺の都市の文脈をふまえた建築だった。
長野県立美術館は、あいだに大階段や水辺テラスを挟んで(中谷芙二子の《霧の彫刻》はここで発生する)、《東山魁夷館》と向きあう一方、善光寺に対しては屋上広場から眺める絶好の視点場を提供している。無料ゾーンでは、交流スペースで「新美術館みんなのアートプロジェクト Something there is that doesn’t love a wall─榊原澄人×ユーフラテス」を開催し、L字の壁に連続する横長の映像を投影すると同時に、オープンギャラリーで開催されていた「美術館のある街・記憶・風景 日常記憶地図で見る50年」展によって過去の思い出を掘り起こしていた。
オープニングの「長野県立美術館完成記念 未来につなぐ~新美術館でよみがえる世界の至宝 東京藝術大学スーパークローン文化財展」は、文化財を3D スキャンして、かたちを複製する最新の技術を紹介する興味深い企画だった。仕上げは、やはり人の手を加える必要があるものの、最後にエイジングしていくと、本物らしさを獲得する。たとえハリボテでも、表層をつくりこむとわれわれの目を欺くことができるのは、映画や舞台の美術と同じだろう。が、それを文化財で突きつけられると、複雑な気持ちになる。
長野県立美術館完成記念 未来につなぐ~新美術館でよみがえる世界の至宝 東京芸術大学スーパークローン文化財展
会期:2021/04/10~2021/06/06
会場:長野県立美術館 展示室1・2・3
ウェブサイト: https://nagano.art.museum/exhibition/superclone
新美術館みんなのアートプロジェクト Something there is that doesn’t love a wall─榊原澄人×ユーフラテス
会期:2021/04/10~2021/08/15
会場:長野県立美術館 交流スペース
ウェブサイト: https://www.culture.nagano.jp/event/5399/
美術館のある街・記憶・風景 日常記憶地図で見る50年
会期:2021/04/10~2021/06/27
会場:長野県立美術館 オープンギャラリー
ウェブサイト: https://www.museum.or.jp/event/101855
2021/06/03(木)(五十嵐太郎)
オリガミ・アーキテクチャー 一枚の紙から世界の近現代建築を折る
会期:2021/04/09~2021/06/03
ギャラリーA4[東京都]
展示空間研究の一環として、ギャラリーA4(エー クワッド)を取材し、「オリガミ・アーキテクチャー」展を鑑賞した。ゼネコンの建築ギャラリーとして、海外の現代建築を積極的に紹介した大林組のTN Probe(1995-2008)はすでに活動を停止し、ル・コルビュジエのコレクションを紹介していた大成建設のギャルリー・タイセイ(1992-2016)は大幅に縮小され、2018年からはヴァーチャルのみになったが、竹中工務店のギャラリーA4は現在も継続している。これは東京本店ビルが銀座から江東区に移転したことに伴い、地域に開かれた社会貢献の場として2005年にスタートし、現在までに100以上の展覧会を開催した。もともと設計の業務をしていた岡部三千代(現副館長)らが社内公募でスタッフとなり、立ち上げたという。
企画の特徴は以下の通り。ほかとの差別化も意識し、現役で活躍しているスター建築家の個展は開催しないこと。逆にモダニズムを再考する企画があること(坂倉準三、藤井厚二、イームズ夫妻など)。建築写真に注目していること(石元泰博展や、レンズ付きフィルムによる写真展シリーズなど)。また展示専門委員会に美術の関係者が含まれていることから、ときどき現代アートの展示も行なう。2014年にはメセナ大賞を受賞している。
さて、今回の「オリガミ・アーキテクチャー」展は、折り紙というミニチュアによって世界の建築を紹介するものだ。「折り紙建築」は、茶谷正洋が1981年に提唱したものだが、その後、娘の茶谷亜矢、木原隆明や五十嵐暁浩らが継承し、膨大な作品が制作された。会場では、「カミわざ辞典」として、まず基本的な技法と表現を説明している。建築はそもそも抽象的な造形物だが、折り紙によって表現する際、すべては再現できないために、必然的に特徴的なかたちを選ぶ。つまり、建築を簡略化しつつも、そのアイデンティティを失わない変換を行なう。
今回の展示は、ただ折り紙建築を並べたものではない。アジア建築史の研究で知られる村松伸が監修したことで、日本と西洋だけでなく、アジア(韓国、シンガポール、カンボジアなど)、アフリカ(エジプト)、旧ソ連(ウクライナ)、南アメリカ(ブラジル)を網羅したことが興味深い。そして世界各地の動向をまとめた大きな「複数のモダンムーブメント年表」が、壁に展示されている。おそらくこれは、折り紙建築による世界建築博物館の構想なのだ。
2021/05/24(月)(五十嵐太郎)