artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

国際日本文化研究センター 共同研究会「建築と権力の相関性とダイナミズムの研究」

国際日本文化研究センター[京都府]

京都の国際日本文化研究センターにて、御厨貴と井上章一が企画する建築と権力の研究会に出席した。筆者は「政治家と建築家」について発表し、各地方自治体の知事、市長、町長と、在籍時の建築プロジェクトのつながりを整理する。五十嵐研の院生、椚座基道による、建築家にして金沢市長になった片岡安について論文も紹介した。牧原出は大磯吉田茂邸について発表した。今回、日文研で楽しみにしていたのは、研究会の後に開催された井上章一の演奏とトーク「ジャズピアノの夕べ」だった(飲食代のみで、音楽チャージなしが強調された)。彼が41歳から独学でピアノを始めたのは知っていたが、初めて聴く。ここまで上達するのかと感心した。ただ、あいだの笑えるトークがやはりはるかにうまい。

写真:内井昭蔵《国際日本文化研究センター》

2014/03/22(土)(五十嵐太郎)

五十嵐太郎×東浩紀、藤村龍至(司会)「アートから建築へ、そしてツーリズムへ──『揺れる大地』と『ゾーン』への旅」

ゲンロンカフェ[東京都]

ゲンロンカフェにて、五十嵐×東浩紀×藤村龍至のトークを行なう。前半はあいちトリエンナーレ、途中から福島第一原発観光地化計画のデザインをめぐって、藤村さんの立ち位置の討議となった。藤村は丹下健三スキームを踏まえながら、明快な形のシンボリズムは継がず、東工大的な複雑かつ多層構造のなかにシンボリズムを組み込むと言う。会の終了後、シンボリズムつながりで、南相馬に存在した原町の無線塔に触れて、大いに盛り上がる。筆者も初めて知ったのは2011年の6月頃、五十嵐研のゼミで修士設計のネタにしようとした原町出身の学生を通じてだった。初見では、本当に建てられたとは信じ難い構造物のプロポーションとまちの風景である。藤井光の映画『ASAHIZA』でも記録映像を使い、一瞬登場するのだが、この塔は、五十嵐研による南相馬の仮設住宅地の塔と壁画のある集会所のプロジェクトにも影響を少し与えた。地元でも、無線塔の解体後、まちのシンボルを失ったことを悔やみ、同時期につくられた映画館、朝日座の保存と活動維持に動いたという。

2014/03/21(金)(五十嵐太郎)

ASAHIZA 人間は、どこへ行く

映画美学校[東京都]

東京に移動し、映画美学校にて、藤井光監督のドキュメンタリー『ASAHIZA』の試写会に伴うトークイベントに、高山明とともに参加した。これは南相馬の1923年につくられた芝居小屋が映画館に変わり、1991年まで営業していた朝日座をめぐる人々と、東京からのバスツアーを絡ませた作品である。『ASAHIZA』は、建築こそが記憶の器であり、映画館が、多世代の人々がそれぞれの関わりをもつための中心的で公共的な場として結果的に機能していたことをよく伝える。以前から、被災地で3.11後映画を見ることと、非被災地で3.11後映画を見ることの違いを感じていたが、この映画はツアーの形式をとり、南相馬と東京の人が一緒に朝日座でドキュメンタリー映画の60分版を見るシーンを入れることで、メタ構造的に両者を包含する。そもそも映画館についての映画であることを考えると、二重のメタ構造と言うべきか。途中、朝日座で観客がみな寝ているシーンがあるのだが、同じ夢を共有しているかのようだ。実は『ASAHIZA』は、震災映画としての特殊性は出さず、むしろ日本のどこの地方都市でも起きている郊外化とシャッター商店街化を重ね合わせ、普遍性をもつ。にもかかわらず、これが震災映画として勇気を与えるのは、それでも映画館がまだ残り、今も活動を継続していることではないかと思う。震災は、すでに地方都市で起きている現実を、ある意味で加速させる。人の減少や建物の解体など、10年後に向き合う縮小化の将来を前倒しで招いてしまう。それを考えたとき、南相馬の消えた無線塔に代わり、無名の建築家による近代建築、小さな朝日座が、被災地の人々に愛され、震災を経てもなお、残り続けていることは意義深い。

2014/03/19(水)(五十嵐太郎)

NAGOYA Archi Fes 中部卒業設計展 公開審査/アフタートーク

吹上ホール/早崎施術院1F[愛知県]

NAF2014中部卒業設計展の会場、吹上ホールへ。午前はパネルディスカッション形式で、地元建築家らによる一次審査だった。リアルタイムで各作品の得票が表示された後、8作品が選ばれ、それに二次審査員(西沢立衛、城戸崎和佐、谷尻誠、藤村龍至、五十嵐)が4作品を追加し、午後のプレゼンと最終審査を行なう。昨年までの東海地区卒業設計合同展ディプコレは数人のメンバーだったが、NAF2014に模様替えし、一気に100人超えのスタッフによる大組織で運営していることに驚く。一次審査は九州デザインリーグや新人戦に近い形式だが、二次審査は仙台の卒計日本一をほうふつさせるスタイルとなった。最終の審査では、澤崎綾香の「コワレカタノツクリカタ」(松本城の外堀復元に伴う家屋撤去プロセスのデザイン)vs杉浦舞の「変容する皮膚、群体の意志」(新素材による昆虫建築のSF的世界)の決戦となり、自ら積極的に賞を穫りにいった後者が一票差で最優秀賞となる。強い建築的な提案を出せなかった作品群に対して、人間が勝ったと言うべきか。「変容する皮膚、群体の意志」も、ブルーノ・タウト/パウル・シェーアバルトらが20世紀初頭に夢想したガラスのユートピア世界、クリスタルに覆われたヴィジョンの21世紀バージョンとなるくらいの圧倒的な構想力を提示できれば、文句なく、作品の力だけで勝っていたはずだ。五十嵐賞は、平野遙香の「まちのケイショウ」とした。何の変哲もないまちの一角が防災公園に指定され、すべて壊されていくことに対し、街区の道路や敷地割、住宅のヴォリュームを記憶として残しながら防災公園とするもの。20世紀の日常への細かい観察、被災地の遺構問題の二点から興味をもった。デザインだけなら、藤江眞美の「伽藍の跡 都市化する6つの寺の編集」が巧いと思ったが、寺院を3つに統合しつつ、屋根だけ残すのが引っかかった。明治時代の神社合祀も想起させるが、戦後の寺院も歴史の一部であるし、そもそも宗教施設を合理的、経済的論理で「編集」する考え方がそぐわない。
審査の翌日は中部卒業設計展のアフタートークを行なう。1次と2次の審査員が選出した作品を再度レビューし、前日の結果を振り返る。あいちトリエンナーレ2013の影響を検証したり、今後のNAFの活動や中部卒業設計展をどうするかの公開ブレストにもなった。アフタートークこそが、他の卒計展と一番違うコンテンツだった。にもかかわらず、意外と出品していた学生の参加が少なかったのは残念である。さらにもう一度、審査員に作品をレビューをしてもらえる機会は、他の卒計展にない貴重な機会なのだが。

2014/03/18(火)~2014/03/19(水)(五十嵐太郎)

3.11映画祭 特別トーク「新しいフクシマをつくる~福島第一原発観光地化計画~」

3331 Arts Chiyoda[東京都]

アーツ千代田3331の3.11映像祭に併せた特別トークのイベント「新しいフクシマをつくる~福島第一原発観光地化計画~」にて、筆者がモデレータをつとめ、東浩紀がフクイチ計画の概要、井出明がダークツーリズムと震災遺構、津田大介がチェルノブイリと福島ツアーについて語る。昨年、同じ場所でアーキエイドがやはりツーリズムをキーワードに復興計画を語っていたことの続編になるだろう。このトークに備えるべく、ゲンロンによるチェルノブイリ取材のドキュメント『19862011』(小嶋裕一監督)を見る。声や音も入る映像だけに、ダークツーリズム・ガイドの本というメディアでは伝わらない現場のライブな空気感が伝わる。これを見ると、やはりチェルノブイリに行きたくなる。

2014/03/17(月)(五十嵐太郎)