artscapeレビュー
ASAHIZA 人間は、どこへ行く
2014年04月15日号
映画美学校[東京都]
東京に移動し、映画美学校にて、藤井光監督のドキュメンタリー『ASAHIZA』の試写会に伴うトークイベントに、高山明とともに参加した。これは南相馬の1923年につくられた芝居小屋が映画館に変わり、1991年まで営業していた朝日座をめぐる人々と、東京からのバスツアーを絡ませた作品である。『ASAHIZA』は、建築こそが記憶の器であり、映画館が、多世代の人々がそれぞれの関わりをもつための中心的で公共的な場として結果的に機能していたことをよく伝える。以前から、被災地で3.11後映画を見ることと、非被災地で3.11後映画を見ることの違いを感じていたが、この映画はツアーの形式をとり、南相馬と東京の人が一緒に朝日座でドキュメンタリー映画の60分版を見るシーンを入れることで、メタ構造的に両者を包含する。そもそも映画館についての映画であることを考えると、二重のメタ構造と言うべきか。途中、朝日座で観客がみな寝ているシーンがあるのだが、同じ夢を共有しているかのようだ。実は『ASAHIZA』は、震災映画としての特殊性は出さず、むしろ日本のどこの地方都市でも起きている郊外化とシャッター商店街化を重ね合わせ、普遍性をもつ。にもかかわらず、これが震災映画として勇気を与えるのは、それでも映画館がまだ残り、今も活動を継続していることではないかと思う。震災は、すでに地方都市で起きている現実を、ある意味で加速させる。人の減少や建物の解体など、10年後に向き合う縮小化の将来を前倒しで招いてしまう。それを考えたとき、南相馬の消えた無線塔に代わり、無名の建築家による近代建築、小さな朝日座が、被災地の人々に愛され、震災を経てもなお、残り続けていることは意義深い。
2014/03/19(水)(五十嵐太郎)