artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

「驚異の部屋 京都大学ヴァージョン」東京展

会期:2013/11/01~2014/05/25

インターメディアテク[東京都]

JPタワー学術文化総合ミュージアムのインターメディアテクへ。今回の特別展示は、「驚異の部屋 京都大学ヴァージョン」である。やはり、ここは東京大学のコレクションによるモノ自体も面白いが、巨大なスペースといい、カッコいい展示の手法といい、日本離れしたミュージアムの雰囲気だ。吉田鉄郎の設計した東京中央郵便局のスケール感を生かしつつ、写真や旧建物の窓枠などを活用しながら、その建物の記憶も展示している。

2014/02/27(木)(五十嵐太郎)

プライベート・ユートピア ここだけの場所──ブリティッシュ・カウンシル・コレクションにみる英国美術の現在

会期:2014/01/18~2014/03/09

東京ステーションギャラリー[東京都]

東京ステーションギャラリーの「プライベート・ユートピア」展へ。あいちトリエンナーレ2013に出品したコーネリア・パーカーも、地図を加工する作品で参加している。サブタイトル通り、小さな作品が多いが、コンパクトにブリティッシュ・カウンシルのコレクションを通じて、イギリスの現代美術を概観できる内容だった。ポップやアイロニカル、あるいはアイデンティティや風景の表現によって、日本とは違う、お国柄を感じられる。ブリュッセルで見た、サブカルチャーと接続するジェレミー・デラーの個展を思い出す。

2014/02/27(木)(五十嵐太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00024452.json s 10097383

アクト・オブ・キリング

ジョシュア・オッペンハイマー監督の『アクト・オブ・キリング』の試写会へ。異様なドキュメンタリーだった。例えば、エンディングロールにおいて、ものすごい数のanonymous(匿名)表記が続く。メイクや運転手だけでなく、共同監督すらそうだ。おそらく、実名をあかせば、被害の恐れがあるのだろう。これは1960年代のインドネシアで行われた100万人規模の大虐殺をテーマにしたドキュメンタリー映画である。狙われたのは、共産主義者、あるいはそうだとされた人たちだ。この映画でメインに登場するアンワルも、1,000人を殺害したという。しかも針金を使う効率的な方法を使ったと自慢する。『アクト・オブ・キリング』が凄まじいのは、加害者側にいかに虐殺したかを再度演じてもらうドキュメンタリーになっていること。被害者はすでに殺され、語ることができないとはいえ、あるいはそうした取材がインドネシアで困難なのかもしれないが、加害者に好きなようにドラマ化させる思い切った手法だ。虐殺の加害者は、現地の公共放送にも出演し、笑いながら殺しのシーンを語り、共産主義者を排除する美しい映画になると言う。彼らのドラマでは、殺された共産主義者が、殺してくれてありがとうと感謝するシーンすら入っている。しかし、加害者は同時にいまはよき祖父であり、よき父でもある普通の人なのだ。40年前の虐殺を再現しながら、アンワルの心情にも少しは変化が起きるのだが、フィクションが描くような勧善懲悪のカタルシスは訪れない。実際、加害者は市民に英雄として崇めるよう強要し、いまも犠牲者の記念碑はないという。だが、このグロテスクな現実は、インドネシアの60年代だけの問題ではない。アンワルと一緒にいる地元のギャングが途中で選挙に出馬するシーンにも驚かされた。彼は当選したら、あちこちから賄賂をもらえると嬉しそうに街を歩きながら語る。だが、市民の側も選挙運動で訪れた彼に、買収のお金はくれないのかと次々に要求する。ここでは形骸化された選挙の形式だけが残っている。想田和弘のドキュメンタリー映画『選挙』もびっくりの世界だ。

2014/02/27(木)(五十嵐太郎)

せんだいスクール・オブ・デザイン 2013年度秋学期成果発表会

東北大学百周年記念館 川内萩ホール会議室[宮城県]

せんだいスクール・オブ・デザインの外部講評会にて、Nadegata instant partyの中崎透のレクチャーを行う。解体予定の阿佐ヶ谷住宅での天井に吊られたバナナをとるための床上げ作業、あいちトリエンナーレ2013の長者町で設定された架空の撮影所「STUDIO TUBE」、プロジェクト・フクシマにおける大風呂敷のプロジェクトなど、口実をつくりながら、地域の住民を巻き込む、これまでの活動が紹介された。もともとは虚構だった口実が、本当に人々が関わり出すことで、現実の出来事にすり替わっていく瞬間が興味深い。

2014/02/23(日)(五十嵐太郎)

東日本大震災被災地めぐりロケ 2(南相馬市)

[福島県]

引き続き、毎日放送の取材で、福島の小高へ。駅から西側は、地震の被害は軽度、津波も1階に浸水程度だったが、しばらくは立ち入り禁止区域となり、いまも放射線量のため日中のみ居ることが許され、夜は泊まれない。一見、普通の駅前のメインストリートなのに、誰も歩いていない。除染の袋だけがあちこちに積まれていた。20km圏内で止められていたとき、仙台から南相馬へ下りると、二軒の住宅のあいだに境界線が引かれている理不尽な場所があり、ここは園子温の映画『希望の国』の着想源になったところだ。今回、現状を知るべく再訪すると、まだ同じ場所に通行禁止の柵があった。20km圏がなくなったのに、なぜか境界線が残っている。その後、20km圏内で手つかずだった他の場所をまわると、現在も壊れた建物がそのまま残っている。石巻や女川では、かつて目にした廃墟は消えたが、ここでは3.11から時間が止まったかのようだ。生活の雰囲気が残った、一部損壊になった海辺の農村集落を歩く。こうした場所は、放射線の影響で震災遺構となるのかもしれない。被災地をあちこち案内しながら、いつのまにか自分も直後の風景を記憶している語り部のひとりになっていることに気づく。もっとも、これは2011年3月下旬に思ったことなのだが。南相馬から仙台に戻る途中、東北大の五十嵐研が手がけた仮設住宅地の塔と壁画のある集会所に立ち寄る。カラオケ大会の最中で、楽しそうに使われていた。

写真:上=誰もいない小高のまち。中上=除染袋。中下=生活の雰囲気が残る農村集落。下=塔と壁画のある集会所。

2014/02/21(金)(五十嵐太郎)