artscapeレビュー
アクト・オブ・キリング
2014年03月15日号
ジョシュア・オッペンハイマー監督の『アクト・オブ・キリング』の試写会へ。異様なドキュメンタリーだった。例えば、エンディングロールにおいて、ものすごい数のanonymous(匿名)表記が続く。メイクや運転手だけでなく、共同監督すらそうだ。おそらく、実名をあかせば、被害の恐れがあるのだろう。これは1960年代のインドネシアで行われた100万人規模の大虐殺をテーマにしたドキュメンタリー映画である。狙われたのは、共産主義者、あるいはそうだとされた人たちだ。この映画でメインに登場するアンワルも、1,000人を殺害したという。しかも針金を使う効率的な方法を使ったと自慢する。『アクト・オブ・キリング』が凄まじいのは、加害者側にいかに虐殺したかを再度演じてもらうドキュメンタリーになっていること。被害者はすでに殺され、語ることができないとはいえ、あるいはそうした取材がインドネシアで困難なのかもしれないが、加害者に好きなようにドラマ化させる思い切った手法だ。虐殺の加害者は、現地の公共放送にも出演し、笑いながら殺しのシーンを語り、共産主義者を排除する美しい映画になると言う。彼らのドラマでは、殺された共産主義者が、殺してくれてありがとうと感謝するシーンすら入っている。しかし、加害者は同時にいまはよき祖父であり、よき父でもある普通の人なのだ。40年前の虐殺を再現しながら、アンワルの心情にも少しは変化が起きるのだが、フィクションが描くような勧善懲悪のカタルシスは訪れない。実際、加害者は市民に英雄として崇めるよう強要し、いまも犠牲者の記念碑はないという。だが、このグロテスクな現実は、インドネシアの60年代だけの問題ではない。アンワルと一緒にいる地元のギャングが途中で選挙に出馬するシーンにも驚かされた。彼は当選したら、あちこちから賄賂をもらえると嬉しそうに街を歩きながら語る。だが、市民の側も選挙運動で訪れた彼に、買収のお金はくれないのかと次々に要求する。ここでは形骸化された選挙の形式だけが残っている。想田和弘のドキュメンタリー映画『選挙』もびっくりの世界だ。
2014/02/27(木)(五十嵐太郎)