artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

図書館戦争

映画『図書館戦争』(監督:佐藤信介、原作:有川浩)は、期待しなかった分、意外に楽しむことができた(これも意外とちゃんとしていた戦闘シーンは少し長過ぎか)。メディア良化法が施行され、図書館が表現の自由をめぐる戦場となったパラレル日本。荒唐無稽な設定かと思われたが、小説やアニメで以前に鑑賞したときに比べて、現実の日本は少しこの状態に近づいたかもしれない。ちなみに、磯崎新による北九州の図書館と美術館が主要な舞台に使われている。

2013/09/12(木)(五十嵐太郎)

少女と夏の終わり

会期:2013/09/21

ポレポレ東中野、名古屋シネマスコーレ[東京都、愛知県]

石山友美のデビュー作となる映画『少女と夏の終わり』を見る。テクノスケープや開発も入り込む山間部を舞台とする2人の少女が主人公だ。そして村人のコミュニケーションの潤滑油としての噂が物語をドライブさせる。対照的だが、仲よしの女子中学生が心と身体のズレから揺れ動き、ひとつの嘘が発せられたことを契機に、最後はそれぞれにとって意外な居場所を見つける。少女から女になっていく夏の終わりが、瑞々しく描かれる。

2013/09/12(木)(五十嵐太郎)

岡啓輔《蟻鱒鳶ル》

[東京都]

東京で久しぶりに岡啓輔と会い、彼がセルフビルドで建設している《蟻鱒鳶ル》の現場を見学した。70cmずつ段階的にコンクリートを打設し、すでに8年近くが経っている。ようやく地上2階まで完成し、あともうワンフロアだという。地下室も重機を使わず、ひとりで掘って施工した驚異的プロジェクトである。あちこちに身体性が刻まれた装飾とセルフビルドは、彼が関わってきた高山建築学校の精神と歴史が結晶化したものと言えるだろう。

2013/09/11(水)(五十嵐太郎)

あいちトリエンナーレ2013「フェスティバルFUKUSHIMA in AICH!」

会期:2013/09/07~2013/09/08

オアシス21[愛知県]

オアシス21で開催された大友良英によるフェスティバルFUKUSHIMA!のオープニングは、観衆にまぎれ、あちこちに散らばった老若男女、さまざまな楽器をもった人たちが、ルールに基づく、シンプルなリズムとメロディによって即興的なオーケストラを奏でる。梅田が振り付けた3人のダンスのように、ばらばらの個性を維持しながら、ひとつの音楽としてのうねりとエネルギーを発散する。最後の盆踊り大会は、それぞれに人の輪がまわる櫓が林立するなか、遠藤ミチロウが歌い、多くの地名を連呼したり、「ええじゃないか、ええじゃないか」とみなが合唱した。音楽の力で、おばあちゃんからパンクの兄ちゃんまで、さまざまな人が一緒に踊る風景は幸せな気分をもたらし、感動的である。大勢に混じって、梅田やアジアのダンサーも踊っていた。フェスティバル福島は、あいちトリエンナーレのテーマ「復活」にふさわしいイベントである。テーマに土建屋的な「復興」ではなく、精神的な「復活」の言葉を選んだのは、まさにこれだった。ちなみに、原発事故が大したことではないと言って、東京オリンピックが決まった日に、あいちでは福島を想う、福島発のイベントを開催することができて本当によかったと思う。

2013/09/08(日)(五十嵐太郎)

4. temporal pattern

会期:2013/09/06~2013/09/08

愛知芸術劇場 小ホール[愛知県]

愛知芸術文化センター、小ホールで上演された梅田宏明の「4.temporal pattern」は、インド、カンボジア、台湾という異なる背景をもったダンサー3人を、あえて揃えず、それぞれの個を残したまま振り付けた作品である。こうした部分と全体の関係から、建築家の吉阪隆正の言葉「不連続統一体」を想起した。そして梅田自身がソロで踊る「Holistic Strata」は、舞台のセンターでほとんど立ち位置を変えず、移動しないのだが、床と壁の全面にプロジェクションされた映像により、超高速で空間が動くような印象を与える。動く建築としての拡張された身体運動だ。粒子に解体された身体は、輪郭を失い、透けて、宙に浮くかのよう。場所を変えず、高速移動する梅田宏明は、あいちトリエンナーレのテーマ「どこに立っているのか」を体現し、「揺れる大地」のような動く空間だった。

2013/09/08(日)(五十嵐太郎)