artscapeレビュー
五十嵐太郎のレビュー/プレビュー
あいちトリエンナーレ ベロタクシー
[愛知県]
シビコまでベロタクシーに乗せてもらう。毎週あいちトリエンナーレの現場にいるのだが、実は初めて。なんとか会期が終わるまでに乗ることができた。歩行に近いスピードで移動する乗り物。スローウォークの乗り物バージョンのようで面白い。ベロタクシーはトリエンナーレのまちなか展開を彩る大事な要素である。おそらく、実際に展示を見ない人にとっても、これが街で動いていると、トリエンナーレの開催を感じるはずだ。
2013/10/24(木)(五十嵐太郎)
ホンマタカシ「Pinhole Revolution / Architecture」
会期:2013/09/19~2013/10/26
TARO NASU[東京都]
TARO NASUで、ホンマタカシ「PINHOLE REVOLUTION ARCHITECTURE」展を見る。丹下健三らの建築をピンホール・カメラに変えたビジネスホテルの部屋によって撮影する新作と、ル・コルビュジエなどの建築の窓ごしの風景写真を組み合わせたものだ。またギャラリーの空間ごとピンホール化し、道路向いの風景を部屋に転写した作品も興味深い。
2013/10/23(水)(五十嵐太郎)
Marc Chagall シャガール展
会期:2013/09/03~2013/10/27
宮城県美術館[宮城県]
宮城県立美術館のシャガール展を見る。いわゆる絵のための絵ではなく、パリ・オペラ座の天井画、バレエ劇のドレス、舞台背景、教会のステンドグラス、陶芸、彫刻など、建築や舞台と関わる作品をメインにとりあげており、個人的に楽しめた。作品の全体レイアウトを構想する際、カラフルな色のヴォリュームの配置が効果的である。
2013/10/22(火)(五十嵐太郎)
ワラッテイイトモ、
「笑っていいとも」の放送終了のニュースを聞いて、ある作品を思い出した。実は10年前、キリンアートアワードの審査で、「ワラッテイイトモ、」という衝撃的な映像作品と出会って以来、この番組が気持ち悪くなり、一度も見ていない。このとき作品自体が公開されない恐れを感じ、『10+1』に「白昼の怪物」という文章を寄稿した。いまや「ワラッテイイトモ、」は、ネットでも簡単に見ることができるが、当時はyou tube前夜だった。このキリンアートアワード2003のとき、一緒に審査員として「ワラッテイイトモ、」に魅せられたひとりがヤノベケンジ。同時に受賞していたのが、ブレイク直前の名和晃平。問題を受けて、アワードがキリンアートプロジェクト2005に変わり、筆者が選んだのが石上純也。キリンのアーティストが、あいちトリエンナーレにつながっている。当時「ワラッテイイトモ、」は、肖像権と著作権の問題から、展覧会では修正版が公開されることになった。が、それがもうひとつの奇蹟を起す。拙稿「なぜ『ワラッテイイトモ、』のアラン・スミシー・ヴァージョンは、かくも猥褻で、美しく、そして笑えるのか」(『インターコミュニケーション』47号、2003)で論じたように、三種類の修正版があり、そのひとつは曜日ごとに異なる修正パターンを試み、それがあたかも近代美術史の歴史を想起させるものになっていたことだった。ぼかし、モザイク、スクラッチなど、こうした具象の修正=抽象化は、まさに近代美術が歩んだ道ではないか。
2013/10/22(火)(五十嵐太郎)
反重力展
会期:2013/09/14~2013/12/24
豊田市美術館[愛知県]
これまでに何度も訪れたが、初めて雨の日の豊田市美術館を見た。でも、カッコいい建築はやはりカッコいいし、中谷芙二子による霧の作品は迫力を増す。屋外の壁柱廊は、雨の日に高橋節郎館に移動するときに便利だった。ここで渡辺豪の映像を発見する。実は昨年、この作品を表参道のルイ・ヴィトンで見て、トリエンナーレの依頼を決めた。ほかにも豊田市美の反重力展とあいちトリエンナーレには、さまざまなリンクが指摘できるだろう。前回のトリエンナーレ2010のとき、豊田市美では石上純也展が開催され、今回はトリエンナーレの作家になった。25m級のもっと巨大なふうせんの展示を計画していたが、これが実現していれば、まさに反重力の作品。あいちトリエンナーレ2013における壁から立つ男や浮く男などのフィリップ・ラメットの写真、揺れる建築群のハン・フェン、藤森照信の宙に浮く茶室なども、反重力展を補足する作品群とみなすことが可能だろう。中谷の霧と名和晃平の泡も比較すると興味深いし、両方で高橋匡太が関わっている。
鼎談「建築に反重力は可能か」が行なわれ、中村竜治は構造的でありながら現象的でもある繊細なインスタレーション(今回の出品作もそう)、青木淳は空間が反転していく概念的なちらつきによる空間操作をプレゼンテーションした。その後、筆者も交えて、モダニズムの反重力、建築とアートなどを語る。青木の分類によれば、ともにモダニズムの合理性や軽さを持ちながら、ミースは先に空間ありき、フラーは先に重力ありきのデザインだという。とすれば、中村の作品「ダンス」は、スケールの操作によって、二重性があると思う。もし蟻がこれを見上げると、重力からの造形を感じ、逆に人がこれを見下ろすと空間からの形態を感じるはずだからだ。
写真:上=高橋節郎館、中=中村竜治作品、下=中谷芙二子作品
2013/10/20(日)(五十嵐太郎)