artscapeレビュー
五十嵐太郎のレビュー/プレビュー
青木野枝│ふりそそぐものたち
会期:2012/10/20~2012/12/16
名古屋市美術館[愛知県]
名古屋市美の青木野枝展を見る。1階、2階ともに、可動壁を一切使わず、むき出しになった黒川紀章の建築。名古屋市美がこんなに広々として明るい空間に見えることに驚かされた。こうした状態を初めて見たが、やはり開館以降、前例がないらしい。その空間的な特徴に寄り添い、空間と対話をしながら、厳選された鉄の彫刻を置く。旧作でさえも、ここのためにつくられたと思えるほどだ。彫刻=オブジェがまわりの環境をつくり、館全体の空気をつなげていく。
2012/10/26(金)(五十嵐太郎)
《ヴィラ・ジュリア国立博物館》《ローマ国立近代美術館》
[イタリア・ローマ]
出発前の朝、日本文化会館に隣接する《ヴィラ・ジュリア》を訪れた。エトルリアの考古学展示も面白いが、なによりも空間のダイナミクスをもつ古典主義の建築が素晴らしい。現代建築ばかり見ていると、視野狭窄になるので、すぐれた古典の存在は大事だ。続いて、《国立近代美術館》へ。これは堅苦しい古典主義である。ただ馬鹿でかいことによって、結果的に現代美術の展示にも耐えうる空間をもつ。ここでは、アルベルト・ブッリの絵画を見ることができた。地震で破壊され、集団移住により廃棄されたイタリアの町ジベリーナにて、街区ごとコンクリートで固め、巨大なランドアートをつくった作家である。彼の抽象的かつ素材感が強い絵画は、空からみた作品化されたジベリーナとよく似ていた。
写真:上から、《ヴィラ・ジュリア国立博物館》、《ローマ国立近代美術館》、アルベルト・ブッリの絵画
2012/10/24(金)(五十嵐太郎)
吉田五十八《ローマ日本文化会館》
[イタリア・ローマ]
吉田五十八が設計したローマの《日本文化会館》に向かう。日本建築を引きのばしたような空間である。イタリアの水準にあわせるためか、特に垂直方向に高くなっているが、巨大な違い棚や障子はアートのインスタレーションのようだ。今回、「東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」展は同じものを2セット制作しており、そのひとつが一階の日本的空間に設置された。筆者はレクチャーを行なったが、イタリアでは地震が起きるので、より強い関心を持ったようである。2009年に地震が起きたラクイラ大学の建築の先生たちが駆けつけたのだが、ちょうど地震予知をめぐる裁判で、科学者への有罪判決が出た直後だった。ラクイラでは、仮設住宅の建設が遅れ、三段階ではなく、二段階の復興になるという。また日本と違い、公共建築の方が地震で危ないなど、いろいろ事情が違うようだ。
2012/10/23(木)(五十嵐太郎)
ザハ・ハディド《国立21世紀美術館(MAXXI)》
[イタリア・ローマ]
ザハ・ハディド設計の《国立21世紀美術館》を訪れた。うねるチューブが続くような展示室は、ホキ美術館的だが、スケールが全然違う。ザハの建築は、スロープや階段など、ダイナミックな上下移動の空間が多いが、全体の展示室がさらにデカイために、それを無駄なものだと感じさせない。小さい建物であれば、非難が集中しただろう。面白い建築だ。これまでに見たザハ物件は◎が3つ、×が2つで、当たり外れの振幅が大きいのも興味深い。
国立21世紀美術館では、ちょうど「ル・コルビュジエとイタリア」展を開催中だった。彼が若い頃、旅行で訪れ学んだこと(当時、ジョン・ラスキンの影響を受け、彼が装飾まで精緻に描いた建築画の美しいこと!)。1930年代にファシスト党に接近し、仕事を得ようとしたこと。そして戦後のオリヴェッティの工場とヴェネチアの病院計画までを網羅的に紹介している。が、いずれも実現していない。ほかに1階奥で小さなスカルパ展と、2階で建築模型の展覧会も開催していた。20世紀の建築家の模型をずらりと並べている(日本人は伊東豊雄さんのみ)。やはりイタリアの建築家のものが多いが、理念的だが独特の実在感があって、カッコいい。逆に、こういう感じは日本の建築模型にはあまりない。
この付近では、レンゾ・ピアノによる音楽ホール、ピエル・ネルヴィのスポーツ施設、ルイジ・モレッティによる長いオリンピック村の建築、そして新しい橋も訪れた。大学院の頃、このエリアを一度訪れていたが、文化系の施設が増えている。
写真:左上・左中=ザハ・ハディド《国立21世紀美術館(MAXXI)》、左下=レンゾ・ピアノ《音楽ホール》、右上=ピエール・ ルイジ・ネルヴィ《スポーツパレス》、右中=エンリコ=デッビオ+ルイジ=モレッティ《Foro Italico》、右下=Buro Happold《Ponte della Musica》
2012/10/23(木)(五十嵐太郎)
3.11──東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか(香港展)
会期:2012/10/19~2012/11/07
香港中文大学[香港]
筆者が監修した「東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」展が、香港中文大学の完成したばかりの建築棟で開催された。いろいろな場所で設置できるように制作した展示システムだが、きれいにおさまっている。製図室や学生の雰囲気は、日本とさほど違わない。オープニングでは、テープカットの後、筆者が震災の影響、展覧会概要、研究室の活動について、建築家の朱競翔が四川地震後の学校建設について、そして迫慶一郎が四川地震と東日本大震災の後のそれぞれのプロジェクトについてレクチャーを行なう。
数えてみると、香港は5回目である。最初は学生のときで中国に返還前だった。今回は3日弱しかなく、ワンチャイで香港日本人商工会議所と会食・意見交換をした以外は、ホテル/大学=展示会場から近い沙田で駅に隣接するショッピングセンターとスヌーピーズ・ワールドを見たくらい。何人かの建築家やアーティスト、現地の人と話しをしてわかったのは、やはり中国本土と香港では、だいぶ意識が違うこと。普段からの日本に対する態度もだ。愛国教育批判やアイ・ウェイウェイの解放運動さえ行なわれている。
写真:上から、「3.11展」香港会場、「3.11展」展示風景、スヌーピーズ・ワールド
2012/10/19(金)(五十嵐太郎)