artscapeレビュー
五十嵐太郎のレビュー/プレビュー
TUAD mixing! 2012「記憶の声 Voices of Memory」/原高史×Responsive Enviroment(西澤高男)
会期:2012/10/22~2012/11/08
山形の東北芸術工科大学にて、和田菜穂子がキュレーションした「記憶の声」展/原高史×RE(西澤高男)を見る。椅子の上で点滅する光と声、ハンモックに揺られながらささやく声を聴くインスタレーション、音声データと連動する壁のQRコード、インタビューを吹き込んだカセットテープ、来場者がメッセージを書く「言の葉」、人々の記憶からインスピレーションを得た絵画など、複数のメディアを用いて、3.11の出来事を含む、学生や教員のさまざまな声と記憶を体験するもの。そして最終日ということで、映画監督であり学長の根岸吉太郎と「記憶と風景」をめぐってトークを行なう。記録と記憶の違い。視覚ではなく、匂いや音を通じた記憶、あるいは場所にタグ付けされた記憶。記憶のアーカイブと接続することで、拡張される記憶などが話題になった。
2012/11/08(木)(五十嵐太郎)
東山魁夷 展
会期:2012/09/22~2012/11/11
宮城県美術館[宮城県]
宮城県美術館の東山魁夷展は、やはり人気で人が多い。こうして全体を通してみると、自然を自然に描くわけではなく、デザイン的な構図や構成が効いている。いわゆる彼の典型的な風景画が確立する以前の初期の実験的作品、また北欧の自然が気に入り描いた東山ワールド的な北欧の風景などが興味深い。ちなみに、宮城県美では被災した石巻文化センターが所蔵する地元出身の彫刻家高橋英吉展、せんだいメディアテークでは「東北学院大学 文化財レスキュー展 in 仙台」も開催していた。文化の場にも震災は確実に影響を与えている。
2012/11/08(木)(五十嵐太郎)
志賀理江子「螺旋海岸」
会期:2012/11/07~2013/01/14
志賀理江子の「螺旋海岸」展を見る。いや「見る」というより、会場をずっとぐるぐるとさまよう「運動」だった。始まりもなく、終わりもなく。ぐるぐると。そして写真とまなざしをめぐる問いかけを反芻する。モノとして林立する大小の写真は、さまざまなまなざしが交錯する彼岸のランドスケープのようでもあり、彼女の頭のなかに入ったような不思議な記憶の体験だった。チューブがもたらす波紋としてのせんだいメディアテークの空間と、大きな渦を巻く写真の群れが響きあう。これまでに見たメディアテークの展覧会で、もっともダイナミックに建築と格闘し、素晴らしい成果をもたらしている。壁は一切ない。ゆえに、そのまま外光も射し込む。日没後は光の具合が違う。
2012/11/08(木)(五十嵐太郎)
気仙沼
[宮城県]
仙台から気仙沼へ。昨年3月末にまわったときの風景を思い浮かべながら、港の周辺を歩く。黒こげになった街はなくなっていたが、所有者が不明か解体できない、あるいは解体しない建物がぱらぱらと残る。逆説的だが、あまりの惨状ゆえに、今やまっさらに片付けられた女川とは対照的だった。また地盤沈下のため、道路のかさ上げが半端でない。リアスアーク美術館にて、あいちトリエンナーレ2013の参加に関する打ち合わせを行なう。ここも昨年3月下旬、家を失った学芸員の山内宏泰さんがまだ美術館に住み込んでいる状態のときに訪れた。当時は閉鎖されていたが、美術館はすでに再開している。現在、来年オープンする震災の常設展を準備中だった。津波で襲われた街から収集した被災物のコレクションを見せていただく。大きな被災物は津波の破壊力を科学的に説明するが、小さなモノは生活の記憶を物語る。とくに汚れたぬいぐるみには、重油の匂いが残っており、直後の被災地で強く感じた嗅覚から、あのときの生々しい記憶がよみがえる。
写真:上=気仙沼市街、下=収集された被災物
2012/11/07(水)(五十嵐太郎)
米澤隆/HAP+《公文式という建築》
[京都府]
京都にて、名古屋の若手建築家、米澤隆が設計した《公文式という建築》を見学する。雑誌では、とんがった屋根の造形や、ガラスのテーブルでつなぐ上下の空間構成の大胆さが目立つが、現地を訪れ、筆者も子どものときに通っていた公文式の学習形式を、いかに空間化するか、というプログラムから導かれた設えだということがよくわかった。教員が前にたち、一斉授業をするのではなく、それぞれの子どもが自分の到達度に合わせて自習するという独自の教育システムが建築として空間化されていた。これは家具的な建築でもある。
2012/11/04(日)(五十嵐太郎)