artscapeレビュー
五十嵐太郎のレビュー/プレビュー
「大阪万博 カレイドスコープ─アストロラマを覗く」展、高島屋
会期:2020/01/15~2020/04/19
高島屋史料館TOKYO[東京都]
日本橋の高島屋史料館TOKYO「大阪万博 カレイドスコープ─アストロラマを覗く―」展を鑑賞した。新型コロナウィルスの影響によって、2週間ほど会期が短くなってしまった「インポッシブル・アーキテクチャー」展のトークにおいて、橋爪紳也から聞いていたが、この企画は高島屋が共同出展したパビリオンのみどり館に焦点をあてたものである。建築はカラフルな多面的なドームだ。エントランスでは、吉原治良が監修した具体美術展も開催されたという。
展示では、コンパニオンの制服などもあったが、注目すべきは、全天周映画を鑑賞できる館内の「アストロラマ」(天体と劇を合成した造語)の映像を詳しく紹介していることだ。谷川俊太郎が脚本、黛敏郎が音楽、土方巽が舞踏を担当したものである。頭上から巨大な土方が舞い降りて、踊りだす映像はかなり前衛的であり、当時の子供たちがどのように受け止めたのかが興味深い。ともあれ、その後、さんざん地方博を重ね、広告代理店の仕切りになってしまった博覧会に対し、大阪万博は日本での初めての体験ということで、現在では考えられない尖った人選だったことが改めてよくわかる。
さて、久しぶりに高島屋を訪れ、高橋貞太郎が手がけたオリジナルの百貨店(1933)の細部を観察すると、非常に興味深い。全体としては古典的な感覚が残った近代の構造体であるが、
2020/02/12(水)(五十嵐太郎)
ブダペスト─ヨーロッパとハンガリーの美術400年
会期:2019/12/04~2020/03/29
国立新美術館[東京都]
「ブダペスト」展は、国立の美術館で開催されていたことから、政府の指示が出た新型コロナウィルスの対策のため、会期の最後ほぼ2週間が休館になろうとしているが、幸い、その前に2月上旬に二度、鑑賞する機会を得た。ハンガリーの国立美術館のコレクションなどから構成されているが、そもそも同国は西洋美術の歴史においてあまり主役の座に躍り出ることがなかった。ゆえに、前半はルカス・クラーナハ(父)、ティツィアーノ、エル・グレコなど、主に他国の有名な画家の作品を紹介し、辺境から美術史をなぞる構成が続く。そこでモンス・デジデリオこと、フランソワ・ド・ノメの作品に出会うことができたのは、思いがけない収穫だった。狂気の建築画《架空のゴシック教会の内部》 (1621-23頃)は、黒と金の色使いが印象的な小さい作品ながら、緻密に建築のディテールが描きこまれている。だが、純粋なゴシック様式ではなく、古典主義など他のデザインも混淆し、異様な緊張感をはらむ。
さて、「ブタペスト」展が、俄然面白くなるのは、19世紀後半からである。なぜなら、新しい近代的な表現の影響を受けながらも、地域に固有の画家が登場するからだ。例えば、パリで活躍し、貴族の女性と結婚したことで華やかな生活を送るようになった巨匠、ムンカーチ・ミハーイの独特の筆致。本展のチラシに使われた、鮮やかな色の対比をもつ《紫のドレスの婦人》(1874)は、シニェイ・メルシェ・パールの作品である。薬剤師から画家に転身したチョントヴァーリ・コストカ・ティヴァダルは、見るからにヘンなものはないのに、どこか非現実的であり、忘れがたい街の絵を描く。そして象徴主義やアール・ヌーヴォーの薫陶を受けながら、妖しげな世界を創造するヴァサリ・ヤーノシュである。近代という時代が、情報や手法の伝達が早くなり、それを共有しながら、各自が個性を発揮しやすいプラットフォームを生み出したからではないか。おそらく、その構図は近代以降の建築においてもあてはまる。
*会期終了日は、当初の3月16日(日)から29日(日)まで延期されました。(2020年3月16日現在)
2020/02/08(土)(五十嵐太郎)
建築から金沢とパリを考える
会期:2020/01/25
しいのき迎賓館[石川県]
しいのき迎賓館で開催された金沢日仏協会の45周年記念事業金沢市民フォーラム「金沢・石川のフランス文化祭発見」の基調講演「建築から金沢とパリを考える」を行ない、その後、フランソワーズ・モレシャンらとの討議にも参加した。
もともと依頼されたのは、金沢とフランスの建築で共通点を見つけて欲しいという難易度が高いテーマだったが(そもそも建築の歴史や街並みが全然違う)、逆に言えば、普段は考えないことであり、一種の頭の体操になる。そこでかなり無理をしたものも含むが、五つのカテゴリーから両者の類似性を考察した。
第一に「純粋幾何学」である。すなわち、フランス18世紀のエティエンヌ・ルイ・ブーレーやロード・ニコラ・ルドゥーが構想した純粋な球体建築と、《金沢21世紀美術館》の明快な円形プランだ(ちなみに、設計者による「まる」というオブジェも10周年でつくられた)。もっとも、前者がシンボリックな表現であるのに対し、後者は脱中心性に向かう。なお、《金沢海みらい図書館》は、大きなキューブである。
フランスとのつながりで言えば、SANAAは《ルーブル・ランス》を手がけ、《石川厚生年金会館》 (1977)を設計した黒川紀章は、《ポンピドゥ・センター》のコンペで惜しくも2位だった。もし彼が勝利していたら、同年にパリと金沢で彼の作品がオープンしていた。
第二に「文章を書く建築家」として、いずれも名文で知られるル・コルビュジエと金沢出身の谷口吉郎である。なお、後者の日記を読むと、パリでモネの絵を鑑賞し、日本画や《修学院離宮》との類似性も考察していた。
第三に「様式の伝搬」であるが、金沢にはアール・ヌーヴォーをいち早く導入した武田五一の《石黒ビル》があり、元県庁舎の《しいのき迎賓館》はアール・デコの影響が認められる。また金沢駅鼓門は、いわば凱旋門のタイポロジーを日本化したものだろう。
第四は「フランス留学組」。《旧第四高等中学校本館》を設計した山口半六は、1870年代にフランスで学んでいる。彼が手がけた《兵庫県庁舎》はマンサード屋根をもち、はっきりとフランスの影響が認められる。ほかに金沢で町家のフィールドワークを実施した塚本由晴と、金沢都市再編計画2014を提案したり、金沢で歴史的空間再編コンペを企画している松田逹が、やはりフランスに留学していた。
そして第五に「歴史が重層する都市」。金沢は日本ではめずらしく、古い建築から現代の建築まで、さまざまな時代の建築が共存している都市だろう。また昨年、公共施設としては日本初の建築ミュージアムを創設した(谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館)。パリは建築・文化財博物館を備え、まさに歴史が重層する都市でもある。まさに両者にとって一番大事なのは、このポイントではないかと思う。
2020/01/25(土)(五十嵐太郎)
リニューアルされたMoMA
ニューヨーク近代美術館(MoMA)[米国、ニューヨーク]
昨年末にリニューアル・オープンしたニューヨーク近代美術館(MoMA)を見学した。これは2004年の谷口吉生による増改築に続くプロジェクトになったが、ディラー・スコフィディオ+レンフロが手がけている。彼らはハイラインや《ザ・シェッド》に続く抜擢であり、今やニューヨークの顔をつくる建築家だ。もっとも、外観のイメージが大きく変わる、派手なリノベーションではない。主に室内の空間構成やシークエンスを設計している。一階は動線の混雑を解消すべく、チケットカウンターのエリアを新設し、道路に面した無料のギャラリーや、階段で半地下に導入するショップがつくられた。
展示エリアとしては、西側に大きく面積を増やし(リチャード・セラの巨大作品を置くことができるスペースも登場)、上下のフロアを眺望が良い階段でつなぎ、ここでも動線の改善をはかっている。またパフォーマンスなどに使うスタジオ、クリエイティビティ・ラボなどが導入された。全体に彼ららしい洗練されたデザインが展開している。
19世紀から21世紀までのアートの動向を紹介する3フロアに及ぶ常設エリアは、美術、建築、デザインを混ぜていることも目を引く。したがって、同時代性において相互の分野を見ることができるのだ。もちろん、ジャンルを超えた膨大なコレクションを持つからこそ可能な複合タイプの展示とも言えるが、日本でもこういうコレクションの展示を見たい(通常は、どうしても美術の流れだけになってしまう)。20世紀の展示スペースを紹介する建築の部屋では、MoMAの建築の歴史を振り返ることに加え、採用されなかった興味深い初期案も知ることができる。
なお、日本人の作家はどれくらい入っているかも確認していたが、気づいたところでは、西沢立衛や草間彌生らの名前を見つけた。ただし、アメリカの近現代美術で知られるホイットニー美術館のコレクションでも、草間を含むことを踏まえると、ニューヨークに在住したアメリカ的な作家としての意味合いも強いかもしれない。逆にMoMAの常設において、中国の存在感は強く、特に天安門事件の前後をめぐるアート表現に関して、一部屋を使い、特集展示も行なっている。
2020/01/16(木)(五十嵐太郎)
ニューヨークの新しい観光名所
[米国、ニューヨーク]
およそ三年半ぶりのニューヨーク訪問だったので、新しい観光名所を訪れた。まずはハドソン・ヤードの再開発のエリアである。ここでトーマス・ヘザウィックによる《ヴェッセル》と、ディラー・スコフィディオ+レンフロによる《ザ・シェッド》が並ぶ風景は、まるで怪獣対決だ。前者は階段のお化けのような構築物である。ちなみに、まわりのビルよりも低いために、展望台として機能するわけではない。ただ登って降りるだけである。ある意味では無目的な施設だ。にもかかわらず、希有な空間体験そのものが目的になっており、朝から多くの観光客が集まっている。一方、後者は移動する空気膜の覆いであり、どことなくモスラのような相貌だ。
ちなみに、やはりディラー・スコフィディオ+レンフロの設計によって、高架の線路を空中の遊歩道に改造したハイラインも、ハドソン・ヤードまで伸長し、隣接してザハ・ハディドによるマンションが登場している。すなわち、ニューヨークでは、独創的な建築を加えることで、都市に新しい魅力を次々に重ねている。
9.11の跡地における超高層ビルの開発やメモリアルは、すでにほとんど整備されたが、ひときわ目立つのは、ワールド・トレード・センター駅のオキュラス《オキュラス》だろう。ビル群はそこまでアイコン的なデザインではないし、基本的にメモリアルの空間は地下に展開しているのに対し、サンティアゴ・カラトラヴァによる有機体のようなデザインは、先端が尖った無数の骨状の構築物になっているからだ。これも怪獣になぞらえるならば、針に覆われた甲羅をもつアンギラスというべきか。また、大屋根の下に広がる内部空間は、商業施設だが、宗教的な崇高さすら獲得している。これらの新名所が誕生した同時期、東京がつまらなくなった理由を考えさせられた。それはニューヨークがこの街にしかできないプロジェクトを遂行しているのに対し、東京は東京にしかできないことに挑戦していないからではないか。そして日本の地方都市は、おきまりの商業施設を並べる「東京」の真似をしない方がいい。だが、いまの東京は「東京」を真似している大きい地方都市のようだ。
2020/01/16(木)(五十嵐太郎)