artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

ジャパン・ハウスと日本文化会館の休館

ジャパン・ハウス、日本文化会館[イギリス、フランス]

新型コロナウィルスの感染拡大でロンドンのジャパン・ハウスが休館となり、4月16日にスタートする予定だった筆者監修による「窓学」展も延期が決定した。直接的な準備は1年以上、2017年の窓学10周年記念展のコンテンツを多く利用していることを踏まえると、数年以上かけて用意してきただけに残念である。一時は日本の方が危なく見られていたので、もし日本のスタッフが現地入りできなくても設営ができるかを検討していたが、その後ロンドンの方が状況が悪化し、館そのものが休館となったので仕方ない。会期は6月末までなので、それまでに復活できればよいのだが、最悪の場合、9月のロサンゼルス、来年3月のサン・パウロへの巡回にまで影響を及ぼすかもしれない。



ロンドンのジャパン・ハウスを巡回予定だった「窓学」の展示スタディ


「窓学」展示品の検討風景


また、これも筆者がキュレーションで関わる、5月13日開始予定だった現代日本の建築家展「かたちが語るとき」も、3月31日に延期が決まった。やはり、パリの日本文化会館が一時休館となったからである。10月にオルレアンのアーキラボへと巡回する予定だが、先が見えない。ちなみにこの企画は、もともとル・コルビュジエが改造した船、アジール・フロッタンで行なうつもりで始めたが、2018年にセーヌ川の増水によって船が沈没し、一度延期になったものである。またその前には、アジール・フロッタンの修復が、リーマン・ショックですでに大幅に遅れていた。したがって、ようやく展覧会が実現できると思っていた矢先の、今回のコロナ・ショックである。


他にも筆者が関わった展覧会では「インポッシブル・アーキテクチャー」展の最後の巡回先、国立国際美術館が休館となったため、2週間早く終わった。また未来都市を描いたSF映画のセレクションで関わった森美術館の「未来と芸術」展は、結局最後の1カ月がなくなった。それでも開催はできたのだから、まだマシなのかもしれない。設営はしたのに、結局オープンできないまま会期が終わり、誰も観ないままになった展覧会が存在することを知っている。現時点で、筆者が人前で喋る講演などの仕事は5つが延期となり、足を運ぶ予定だった演劇やコンサートは10件以上の延期や中止が決定した。このartscapeでとりあげるネタにも困るような状況だが、建築だけは旅行さえすれば見学できると思っていたが、今後は移動制限もかかるかもしれない。この状況であえてよいことを挙げるならば、なくても成立する会議や委員会がなくなったこと、原稿を書く時間がとりやすくなったこと、本を読む時間が増えることだろうか。

公式サイト:パリ日本文化会館「かたちが語るとき」  https://www.mcjp.fr/ja/agenda/quand-la-forme-parle-jp

ロンドン、ジャパン・ハウス巡回企画展「窓学」展  https://www.mcjp.fr/ja/agenda/quand-la-forme-parle-jp https://www.japanhouselondon.uk/visit/coronavirus-update/https://madoken.jp/news/2020/03/6718/

2020/03/19(木)(五十嵐太郎)

JR延岡駅前複合施設「エンクロス」/日向市駅と日向市庁舎

[宮崎県]

近年、地方都市の駅周辺で興味深いプロジェクトが増えている。それはおそらくイケていると慢心している東京に対し、地方都市が危機感をもっているからではないかと思うのだが、久しぶりに訪れた宮崎県では、2つの事例を見学した。ひとつは乾久美子による延岡駅周辺整備プロジェクト(2018)である。これは筆者と山崎亮がゲストキュレーターとして参加した「3.11以後の建築」展(金沢21世紀美術館、2014-15)でも出品してもらったように、住民とのワークショップを行なったものだ。



JR延岡駅前複合施設「エンクロス」の外観

また乾事務所は、類似したプログラムやスケールの施設を数多くリサーチし、デザインに反映している。筆者が訪問したときは、新型コロナウィルスの影響によって、天高のある 2階の図書スペースが封鎖され、普段のアクティビティは観察できなかったが、対照的に1階の低い天井など、それでも躯体と開口のリズムとプロポーションの美しさは堪能できる。もっとも、派手な建築ではない。国鉄時代につくられた駅舎の手前に、その空間を延長したかのようなデザインが特徴である。また駅前に昭和モダニズムの建築が多く、それらへのリスペクトも感じられた。



東西自由通路から2階の図書スペースを見る



広々とした「エンクロス」の開口部


もうひとつが日向市駅(2008)と日向市庁舎(2019)である。いずれも内藤廣が設計したものだが、特に前者は建築だけでなく、様々なジャンルのデザイナーが入り、外構、ランドスケープ、ファニチャーまで一体となって、良好な環境を創出していた。また木材を積極的に活用したことも共通している。駅舎は表面の装飾ではなく、空間の質を決定する構造として使われているのだが、複数の主体が拠り所にできる要として地産の杉材を選び、それをどう合理的に使うかを探ったという。ちなみに、駅の近くの空き地に大型の模型が展示されていた。



日向市駅のプラットフォーム



日向市駅前の風景


また日向市庁舎は、室内の熱負荷を下げるよう、大きく庇をだし、日よけルーバーを設けている。結果的に四周にテラスを張りめぐらし、あちこちに「たまり」と呼ぶ、市民が自由に使える開放的なスペースが生まれた。おそらく、内藤は駅舎の成果が評価され、市庁舎の仕事につながったのだろう。ともあれ、木を使うから、日本的で素晴らしいという稚拙な論ではない。今の東京建築は退行しているのではないか。これらのプロジェクトは、東京の真似をしない地方建築の道を示している。



日向市庁舎の周囲に張り巡らされた「たまり」



日向市庁舎の外観

2020/03/18(水)(五十嵐太郎)

竹山団地

[神奈川県]

群建築研究所を率いた緒形昭義(1927-2006)が設計した横浜の竹山団地を見学した。緒形は東京大学を卒業後、横浜国立大学で教鞭をとり、寿町総合労働福祉センター(1974)や藤沢市労働会館(1975)などを手がけたモダニズムの建築家である。また卒業設計は、敗戦直後の日本らしいテーマの「皇居前広場に建つ文化会館」だった。竹山団地は、直方体の住宅棟をただ並行配置したものではなく、千里ニュータウンと同様、初期ニュータウンの理想を追求した建築群となっており、かなり個性的である。



俯瞰で見た竹山団地のセンターゾーン

特に1972年に完成したセンターゾーンは、大きな人工池を設け、ほかの団地にはない独特な環境を形成することに成功した。設計を依頼され、現地を視察したとき、ちょうど谷あいだったので池を提案したという。人工池の維持管理はそれなりに大変だったようだが、その周辺に店舗群、スーパーマーケット、郵便局、集会所、学校、幼稚園、病院、公園などの各種施設を配し、いずれも現役なので、全体として良好な雰囲気が保たれている。



スーパーマーケットの天井



郵便局の外観

いわばモダニズムが輝いていた時代の建築である。ロンドンの集合住宅群《バービカン・エステート》なども想起させる。またデザインをよく観察すると、ル・コルビュジエ など、モダニズムの影響が随所に散りばめられている。例えば、ピロティや屋上庭園。とりわけ前者は人工池に対し、足を突っ込んだような柱群もあって、忘れがたい風景を生みだした。駐車場からスーパーマーケットに降りる階段に設けられたランダムな開口は、後期のル・コルビュジエ風である。



竹山団地のピロティ



人工池に浮かぶスロープが絡まりあう構築物



駐車場からスーパーマーケットに降りる階段

また巨大建築を見慣れたわれわれから見ると、ヒューマンなスケールがかわいらしくも感じられる。2つのスロープが互いに絡みあう丸味を帯びた彫塑的な構築物、店舗エリアの円窓やグリッド状の天井、高さをズラした窓、住棟へのアーチ状の入口、眺めを切りとる階段室の開口、台形のトイレなど、様々な細部の意匠が目を楽しませる。決して均質な団地ではない。改修によって色が塗られたり、バルコニーが室内化しているところもあるが、おおむね当初の状態が保たれているのも嬉しい。



竹山団地案内図

2020/03/13(金)(五十嵐太郎)

油津商店街

[宮崎県]

菊竹清訓が設計した《都城市民会館》の保存問題が最初に起きて以来なので、およそ10年以上ぶりに宮崎県を訪れた。もっとも、新型コロナウィルスの影響で、見学しようと思っていたほとんどの公共建築が閉鎖されていた。坂倉準三による色タイルが印象的な《宮城県総合博物館》(1971)、岡田新一による石材を多用する重厚な《宮崎県立美術館》(1995)、安井建築設計事務所による列柱廊をもつ《宮崎県立図書館》(1987)などである。



岡田新一による《宮崎県立美術館》の外観


そこで宮崎駅から約1時間半の遠出をして、日南市の油津に足を運んだ。あまり知らなかったが、町おこしで注目されている、有名な商店街がある。駅舎は真っ赤に塗られ、「Carp」の文字も刻まれており、日南市に半世紀以上キャンプを張っている広島東洋カープを応援している街だった。また駅前を歩くと、閉ざされたままの店舗は多いが、途中の駅に比べると、はるかに店の数が多く、かつてここが港で栄えていたこともうかがえる。40年前までは、マグロ漁や杉材の積み出しで賑わっていたらしい。


真っ赤に塗られた油津駅舎


日南市の市街地活性化事業によって、2013年に木藤亮太がテナントミックスサポートマネージャーに選ばれ、ここで暮らしながら、様々な空き店舗の活用を実践している。カフェのリノベーション、ABURATSU GARDEN(コンテナ群による小店舗)、IT企業を誘致したオフィス、ゲストハウス、レコードを自由にかけるコミュニティ・スペースなどだ。



商店街に誘致された油津のカフェ



ABURATSU GARDENの様子

他にも油津では、2017年に《ふれあいタウンIttenほりかわ》(商業施設+医療介護施設+子育て支援センター+市民活動のスペース+居住施設)が誕生し、運河沿いの堀川夢ひろばでイベントを行ない、街の歴史や見所を説明する看板を設置している。建築のプロジェクトとしては、多世代交流モールのコンペが行なわれ、設計者に水上哲也が選ばれ、2015年にオープンした。鉄骨造のスーパーマーケットの1スパンを減築によって間引くことで、二分割し、あいだに中庭を設け、両サイドをそれぞれ多目的スタジオなどの集会スペースと飲食スペースに変えたものである。油津では、点を線に、そして面に広げようとしている街づくりが進行中だった。



運河沿いの堀川夢ひろば



多世代交流モールの中庭



こちらも多世代交流モールの中庭(水上哲也:設計)

2020/03/10(火) (五十嵐太郎)

SDL:Re2020

会期:2020/03/08

せんだいメディアテーク[宮城県]

毎年、3月は仙台で会おう、というかけ声のもと、全国から2000人以上の学生が集まり、卒業設計日本一決定戦を開催する「せんだいデザインリーグ(SDL)」。このイベントは、せんだいメディアテークの年間行事のなかでもブロックバスター的な動員を誇るものだ。しかし今年は開催直前に、新型コロナウィルスの感染防止のため、イベントの自粛を安倍首相が全国に呼びかけたため、いったんは中止を検討していた。2011年は、審査日の後に東日本大震災が発生したため、展示がダメージを受けたが、今回は展示だけでなく、審査そのものがなくなる可能性があった。

しかし、なんとかこの危機を違うかたちで受け止め、可能な方法により代替企画を急いで構築し、実験的な「SDL:Re2020」(せんだいデザインリーグ2020卒業設計日本一決定戦 代替企画)が開催された。せんだいメディアテークの5階、6階を埋めつくす、数百の模型と図面の展示は中止し、その代わりにネットで作品データを送ってもらい、それをもとに無観客の状態で審査員が議論するというものだ。「人が集まってはいけない」というのが厄介であり、スタッフの人数も制限したことが特筆される。



「SDL:Re2020」の運営をめぐる会議風景

急遽、スタイルが変わった企画に対し、200余の作品が集まった。従来に比べると、大幅に応募数は減ったわけだが、逆に言えば、作品ひとつあたりにかけられる時間が増えたことは、悪くなかったように思う。出品数が600を超えたときなどは、どうしても瞬間的に多くの情報を伝達する模型に頼ってしまう。だが、今回は模型がなく、じっくりと作品のファイルを読み込む審査だった。そのせいか、時間の中で変化していくタイプの作品が多く残ったかもしれない。



「SDL:Re2020」の審査風景

当初、20まで作品を絞り込んだ後は、シンポジウム形式で議論する予定だったが、審査委員長の永山祐子らの強い要望によって、暫定日本一、二、三を決めることになった。結果としては、アナログな産業系の建築が多いことも今年の特徴だったが、そうした傾向を象徴するかのように、海苔と塩の生産施設が暫定日本一に選ばれた。直接対面の質疑は叶わなったが、ネットを通じて、各地にいるファイナリストとやりとりをすることはできた。大勢の観衆の前で舞い上がるプレゼンテーションをよく見ていたので、学生もリラックスしながら質疑に応えたのが印象に残った。今年の実験は、おそらく来年再開される「SDL」の方法にも影響を与えるだろう。



「SDL:Re2020」の配信風景

参考サイト:せんだいデザインリーグ2020(SDL) http://sendaisendai.sun.bindcloud.jp/

2020/03/08(日)(五十嵐太郎)