artscapeレビュー
五十嵐太郎のレビュー/プレビュー
パワーステーション・オブ・アート(PSA)再訪
パワーステーション・オブ・アート(PSA)[中国、上海]
発電所をリノベーションした上海のパワーステーション・オブ・アート(PSA)を半年ぶりに訪れたが、凄かった。5階の「ゴードン・マッタ=クラーク展(Passing Through Architecture: The 10 Years of Gordon Matta-Clark)」は、国立近代美術館の企画と同じような感じなのかと思っていたら、MoMAの伝説の「ディコンストラクティビスト・アーキテクチャー」展(1988)に関わった建築批評家のマーク・ウィグリーがキュレーションを担当し、まったく違う内容だった。会場全体をマッタ=クラークの太くて短い活動期間、すなわち大学を卒業した1968年から1978年までの巨大な年表に見立てた、斬新な展示構成である。小さな仮設壁は切り取られたように表現されているのも、ニヤリとさせられる。そして10年のあいだの100枚のドローイング、60の写真記録、8つの映像ドキュメント、220の文献資料を配置する。断面模型を活用し、建築への介入をわかりやすく紹介した国立近代美術館の展示に対し、PSAは説明もわずかで、展示のカッコ良さを追求していた。特にCCA所蔵でない、未発表の魅力的なドローイングは、樹木と建築の変容、無数の矢印が描かれており、展示の白眉だった。
PSAはベルナール・チュミや篠原一男などの建築展にも力を入れており、7階は「ジャン・ヌーヴェル展(Jean Nouvel, in my head, in my eye…belonging…)」が開催されていた。ここは石上純也の個展に使われたフロアだが、今回は部屋を小分けにせず、大胆に2分割していた。通路のような片方は暗闇の中に光造形による小さな模型群を並べる。そしてもう一方は段状のシアター的な空間とし、巨大なスクリーンで作品を紹介していた。建築の見せ方は、映像や闇に関心を抱くヌーヴェルらしいし、その試みは実験的だが、必ずしも成功しているわけではない。模型群は知っているプロジェクトが多く、情報量が少ない。また映像はただの写真スライドショーもあり、スケール感にあわせて、もっと内容や解像度の工夫がほしい。
そして2階では中国の作家を紹介する大規模なコレクション展(ヨーゼフ・ボイスやローマン・シグネールもあったが)、1階では若手キュレータの企画展が開催されていた。なお、PSAはグッズも素晴らしいが、これだけ巨大な美術館なのに、現在カフェ営業が行なわれていないのは辛い。ところで、向かいの建物では「チームラボ展」が企画されており、上海でも人気だった。
[公式サイト]
*「ゴードン・マッタ=クラーク展」
http://powerstationofart.com/en/exhibition/Gordon-Matta-Clark.html
*「ジャン・ヌーヴェル展」
http://powerstationofart.com/en/exhibition/Jean-Nouvel.html
2019/12/31(火)(五十嵐太郎)
ZIG HOUSE/ZAG HOUSE
会期:2019/12/07~2019/12/14
ZIG HOUSE[東京都]
古谷誠章の自邸で開催されたスタジオ・ナスカの展覧会「NASCA since 1994」に足を運んだ。目的は当然、普段は公開されていない住宅を見学することである。三軒茶屋駅から10分強の住宅街において、木々に囲まれた一角が敷地だった。早稲田大学の研究室のメンバーが年度末に集まってバーベキューを行なうと聞いていたが、なるほど、この庭と建築ならば、大人数でも対応できるだろう。
もともと古谷が育った生家の敷地に、いずれもL字型プランの両親の家と自邸を向かいあわせに建てたのが、《ZIG HOUSE/ZAG HOUSE》(2001)である。敷地で育った木々をそのまま残すように、それらの木々を避けて建てたことでジグザグの形状になったものだ。2つの家はエントランス、リビング、ダイニング、キッチンが導入部にあり、外部を挟んで並んでいることから、一体として使うことも可能になっており、自邸は奥に主寝室、2階に子供部屋を配していた。そして不整形な敷地の余白にリノベートしたかのような下屋が設けられ、水まわりや納屋が収められている。
正面から見て右側が自邸の《ZAG HOUSE》、左側が両親の暮らした《ZIG HOUSE》であり、後者の1階と2階にパネルや模型を用いて、スタジオ・ナスカのプロジェクトが展示され、筆者が滞在した日は朝早くから多くの建築関係者が訪れていた。実際、こうした開かれた使い方が似合う住宅だった。集成材を反復する門型フレームは、住宅のスケールを超え、小さな公共建築のようであり、ナスカの建築空間に通じる。特に4本の柱が立つ中間の屋外空間、またフレキシブルに伸び縮みしながら、使い方を調整できる建築の考え方がそうだ。例えば、《茅野市民会館》が想起されるだろう。そうした意味で、《ZIG HOUSE/ZAG HOUSE》は住宅でありながら、スタジオ・ナスカの作品を考えるうえで重要な建築にもなっている。また筆者は「東北住宅大賞」で10年間、古谷といっしょに審査を担当した経験をもつが、彼の好みも思い出しつつ見学した。やはり、外構も魅力的である。
*公式サイト:http://www.studio-nasca.com/
2019/12/14(土)(五十嵐太郎)
宮城県美術館移転問題
宮城県美術館[宮城県、仙台市]
突然、発表された宮城県美術館移転の件。発表前に美術関係者から上がった悲鳴を聞いていたが、あまりにも筋が悪い。すでに長期休館と改修工事も行なわれ、館のリニューアル方針も決まっていただけに、行政としても一貫性がない。実際、新しい場所に美術館を作るという話を最初に聞いたとき、職員もまさか移転だとは思わず、展示面積や収蔵庫を増やせるアネックスのようなものができるとイメージしたらしい。なるほど、県民会館の建て替えはしばらく前から話題になっていたが、病院跡地に敷地が決まり、ついでに美術館もいっしょに新築するというのでは、完全に巻き添えを食ったかたちである。おそらく、合築を促進する補助金ももらえるのだろう。
確かに人口減少や企業の撤退により疲弊している地方自治体では、点在する公共施設を個別に維持管理する余裕がなく、老朽化に伴い、効率的な複合施設に変えるケースが認められる。例えば、新居千秋の設計による、図書館、ホール、プラネタリウムを備えた由利本荘市文化交流館カダーレなどがそうである。もっとも仙台は、そこまで財政が危機的な状況にあるわけではない。
同じく前川國男が手がけ、宮城県美術館(1981)よりも古い福岡市美術館(1979)は、2019年の春、リニューアル・オープンした。弘前市にあり、もっと古い前川建築群も、保存しながら長く使うことが前提になっている。現時点で宮城県美術館は普通に使える施設であり、いますぐ移転する緊急性はない。ただし仙台は、弘前、岡山、福岡、埼玉、東京などが前川國男の建築を積極的に活用する目的で設立した「近代建築ツーリズムネットワーク」に未加盟だった。宮城県美術館が市立ではなく、県立だったことも一因なのかもしれない。
ともあれ、宮城県美術館の今後を検討する有識者の懇話会に、そもそも美術や建築の関係者がひとりも入っていなかったことも問題だろう。球場裏の新しい場所になると、普段、美術館を訪れない人が来るようになるという根拠の薄い話ぐらいで、ほとんどメリットが思い浮かばないプロジェクトである。これでは、知事の思い出プロジェクトに美術館が利用されたというふうに考えるしかない。
2019/12/11(月)(五十嵐太郎)
村田沙耶香×松井周 inseparable『変半身(かわりみ)』
会期:2019/11/29~2019/12/11
東京芸術劇場[東京都]
松井周と村田沙耶香が取材旅行を通じて、共作というかたちでつむがれた架空の島の物語が、同じタイトルを共有しながら、演劇と小説という2種類の形式で作品化された。2人は、外界と地理的に閉ざされた場所であるがゆえに成立する小さな社会のコスモロジーを創造するわけだが、もちろんそれは現在の日本の状況とも呼応している。
さて、演劇の方は、島の祭りで亡くなったはずの弟が突然蘇ることによって、海と山のコミュニティに波紋を起こす。そして国生みの神話を背景に、島で発掘されるレアゲノムによって異種交配する人類の進化と終焉といった、壮大な物語に展開していく。筆者もそうだったが、予備知識なしに鑑賞したら頭がくらくらするような終盤の展開は、ほとんど予想がつかないだろう。しかしながら、スケール感のでかい内容に対し、舞台美術は海が見える風景ではなく、基本的には室内である。すなわち、日が射して、大きなガラス窓のあるコンクリートの建物という小さな空間だ。だが、その外部の社会構造と変容を想像させながら、住民の会話は進行し、存在してはいけないはずの弟が出現すると、世界のタガが外れていく。祝祭と狂気、笑いと不道徳、そして悲哀。演劇という方法でしか享受できない体験を通じて、アンチ・ヒューマニズムの未来を目撃させる作品だ。
かたや小説版の『変半身』は、設定は同じだが、作品内に登場する奇祭を別の角度から解釈している。すなわち、若い登場人物が島を脱出し、生活の拠点を変え、大人になることによって、身も蓋もない外部からの視点も導入されるのだ。こちらはある意味メタ視点であり、都合がいい歴史修正主義に対する批評性をもつ。小説版は、演劇とはだいぶ違った切り口のまま終わるような印象を読み手に与えるが、ラストのぶっ飛び方は演劇とも共振している。
特に小説だけに、祭りによって「ニンゲン」が終わると、言語そのものが書き換えられていく。そして見開きのページが、「ポーポー」というオノマトペの群れで埋めつくされる。途中の経緯こそ異なれど、結論は同じなのだ。なるほど、演劇と小説の2作品は、セットで楽しむことができる。いや、プロジェクト名に掲げられていたように、両者は「inseparable」=切っても切れない関係なのだ。
公式サイト:
http://samplenet.info/inseparable/ [演劇版]
https://www.chikumashobo.co.jp/special/kawarimi/ [書籍版]
関連レビュー
村田沙耶香×松井周 inseparable『変半身(かわりみ)』|高嶋慈:artscapeレビュー(2020年1月15日号)
2019/12/06(金)(五十嵐太郎)
オープンしなけん2019 vol.2
会期:2019/11/30
東京都品川区内の各地、大崎第一区民集会所(クロージングトークのみ)[東京都]
和田菜穂子らの東京建築アクセスポイントの企画により、品川区の建物公開を1日限りで行なうオープンしなけんのイヴェントに参加した。2019年の3月に始まり、今回で2回目だという。
ひとつは早朝、住宅街にたつ土浦亀城邸(1935)を見学した。考えてみると、学生の時以来なので、四半世紀以上ぶりの再訪となる。同じ住宅をこれだけ間をおいて再び足を運んだのは初めてかもしれない。やはり、だいぶ痛んでいるが、垂直方向に旋回していく空間の展開は十分に堪能できる。ミース・ファン・デル・ローエによるブルノの豪邸トゥーゲンハット邸(1930)と比べると、全然小さい建築だが、複雑な立体構成では決して引けをとらない。すなわち、狭い敷地内で展開される洗練されたデザインに、日本モダニズムの真骨頂を感じる。
もうひとつは、御殿山トラストシティの背後にひっそりとたつ磯崎新の茶室「有時庵(うじあん)」である(壁で隔てられているが、原美術館のすぐ近く)。外観は円と方形を組み合わせた磯崎らしい観念的な形態操作が目立つが、内部の空間は官能的なデザインだった。磯崎の両極のような特徴が、小さい茶室ゆえに凝縮して共存しているのが興味深い。
夕方からは、クロージングトーク「建築をひらく」のゲストとして登壇した。磯達雄、倉方俊輔の両氏からは、見学した建築の振り返りと同時に、イケフェス大阪の状況が語られた。また若原一貴からは、品川区の建物を悉皆調査し、様々な発見があったことも付け加えられた。
こうした建物公開は、ロンドンやシカゴなど世界各地で行なわれているが、筆者のレクチャーでは、日本のアートイヴェントを通じた建物公開や「open! architecture(オープン・アーキテクチャー)」の試みを取り上げた。前者では、主に筆者が芸術監督をつとめたあいちトリエンナーレ2013において、出品する建築家の住宅を公開したり、愛知県の建築ガイドを作成したことなどを報告した。そして後者では、建築史家の斉藤理が2008年から開始した「open! architecture」が、ときには音楽鑑賞などのプログラムを組み合わせていたことを紹介した。現在、公式サイト(http://open-a.org/)を見る限り、「open! architecture」の活動は停止中のようだが、その意志を継いださまざまな建物公開のイヴェントが日本各地で増えているのは頼もしい。
公式サイト:https://shinaken.jp/
2019/11/30(土)(五十嵐太郎)