artscapeレビュー
五十嵐太郎のレビュー/プレビュー
ダークアンデパンダン
非公開
「ダークアンデパンダン」展は、アーティストが自由に出品できるウェブ版とは別に、キュレーションされたリアルな会場があり、こちらを某所にて鑑賞した。これは通常の展覧会とは違い、場所や作品の内容について他言してはいけない。正確に言うと、個別の作品や作家については了解が得られたら、言及は可能だが、ここではあえて展覧会の形式について論評する。
会場で選ばれた作品群はいずれもヘヴィであり、現地を訪れて、非公開になっている理由も理解した。あいちトリエンナーレ2019に対するネットの反応を思い返せば、間違いなく炎上するだろう。もっとも、本来はこうした作品も、普通に公開できるような社会が望ましいはずだ。ともあれ、本展は一方的に鑑賞するというよりも、目撃者、もしくは当事者として巻き込まれるような形の企画である。実際、来場者は、内容を他言しないことにサインさせられたり、問題が起きた場合の応援団になることも要望されている。そもそも場所は非公開であり、誰もが来場できる展覧会ではない。企画者サイドが鑑賞者を選び、その名前の一覧はネット上で公開された。
現代アートがわかりやすく、誰にでも開かれた場を探求していく傾向とは真逆である。むしろ、観客もキュレーションによって選ばれ、閉じた場がつくられる。作品が観る人を選ぶという感覚は、以前、キリンアートアワードの審査で、K.Kの映像作品《ワラッテイイトモ、》に出会ったときにも思ったことだ。こちらが作品を選ぶのではない。作品が鑑賞者、もしくは発見者を指さしているのだ。
ところで、コロナ禍のために在宅時間が増え、Amazonプライム・ビデオで低予算系の映画ばかりを鑑賞していたのだが、カスタマレビューにおける、通常はフツーの作品しか観ていなさそうな人の罵倒コメントの多さに驚かされた。おそらく、ネットがなければ、両者は出会わなかったはずである。本来は映画館に通いつめたり、レンタルヴィデオを大量に利用するようなコアな鑑賞者がたどりついたものだ。同様に、現代アートがネットで炎上しているのも、展覧会と無縁の人間が遭遇することで交通事故を起こしているからだろう。そうした状況を踏まえて、閉じることの意味を問うのが、「ダークアンデパンダン」展だ。ちなみに、あいちトリエンナーレ2019の一件やコロナ禍を受けて企画したものではなく、それ以前から構想をあたためていたものらしい。
実は筆者にとって、これは1カ月半ぶりに展覧会を生で見る機会となった。それほど大きくない会場だったが、約1時間半かけて、じっくりと全作品を鑑賞したのは、身体的な悦びも大きかったからである。
開催期間:2020年5月20日、22日、24日、25日、27日、29日
公式サイト(ウェブ版):https://darkindependants.web.app/
2020/05/25(月)(五十嵐太郎)
湘南T-SITE、Fujisawa SST、ミナガーデン十日市場
[神奈川県]
なかなか足を運ぶ機会がなかった《湘南T-SITE》(2014)も、ようやく訪れる機会を得た。再開したばかりで待ちかねた人が集まっていたが、店内への入場制限や、椅子の使用禁止、一部の飲食施設の休業などによって感染の対策を施していた。《代官山T-SITE》と同様、クライン・ダイサム・アーキテクツが総合ディレクションを担当しており、基本的には同じコンセプトのデザインである。代官山は「T」の字を外壁で反復しているのに対し、湘南は(蔦屋書店のシンボルにあたる)蔦の葉のモチーフを選ぶといった差異は認められる。また平行に配置された 3棟の屋内外を串刺しにするようなストリートも同じ構成だ(ただし、湘南は一部、車道を横断する)。もっとも、こういうことは現場に行かないとわからないのだが、まわりの風景が全然違う。
すなわち、《湘南T-SITE》は、パナソニック工場跡地につくられた新興の住宅地、《Fujisawaサスティナブル・スマートタウン》のコアのひとつとなる施設なのだ。したがって、まわりをピカピカの住宅がぐるりと囲んでいる。環境に配慮した約1000戸のニュータウンゆえに、戸建て住宅の内部はさまざまな最新の設備をもつが、外観はほとんど同じようなデザインであり、絵に描いたような郊外住宅群だ。なお、交通量が多いロードサイド沿いに、太陽光発電のパネルが延々と続く風景も独特である。《湘南T-SITE》も、ロードサイド側には開かず、直接のアクセスはない。斜めの太陽光パネルと、一段高く持ち上げたデッキによって、道路と距離がとられている。
11棟のスマートハウスなので、規模はまったく違うが、横浜市の《ミナガーデン十日市場》(2012)も、やはり環境配慮型まちづくりをうたう。これは飯田善彦と小林克弘がマスターアーキテクトとなり、産・官・学の共同プロジェクトとして横河健や首都大学東京などが参加したものである。興味深いのは、ひな壇造成をせず、起伏のある地形や植生をうまく活かしながら、各住戸が角度を変えながらややランダムに配され、中央にみんなの庭が設けられていること。その結果、ありがちな郊外住宅地とはならずに(周囲は集合住宅群)、家と家の関係性を操作するだけで、単調さを回避しつつ、忘れがたい風景が生みだされていた。
2020/05/17(日)(五十嵐太郎)
『AKIRA』IMAX版
1カ月半ぶりの映画鑑賞は、いち早く緊急事態宣言が解除された宮城県におけるTOHOシネマズ仙台となった。新作はわずかで、代わりに『ベン・ハー』、『オズの魔法使』、『タワーリング・インフェルノ』、『ブレードランナー』、『シン・ゴジラ』、『君の名は。』などの古典的な名作をずらりと揃えた最強のラインナップで興味深い。館の再開初日の朝だったので、待ちきれなかった多くの映画ファンが詰めかけているかと思いきや、実際には閑散としていた。ソーシャル・ディスタンスをとるため、半分の座席は使用不可とし、市松模様の配置パターンでチケットを販売していたが、最大のキャパのスクリーン6は364席に対し、わずか約10名の入りという超低密度である。
さて、筆者が鑑賞したのは、漫画中心で読んでおり、映画版はヴィデオで観ていた『AKIRA』だ。そしてIMAX版の『AKIRA』の凄さに驚愕することになった。もちろん、大スクリーンの上映に耐える圧倒的な細部の描写ゆえである。テレビの画面では確認できない、様々な情報がぎっしりと詰め込まれていた。
1988年に公開された『AKIRA』は、それまでの映画史の記憶を踏まえた作品であると同時に(『マッドマックス』、『スキャナーズ』、『トロン』、『ブレードランナー』など)、32年後だからこそわかる、これに続く後発の映画への影響力の大きさ(『新世紀エヴァンゲリオン』や、アニメにおける幻想的なシーンなど)を確認できるものだった。
まだ生々しかった学生運動の記憶、2.26事件へのオマージュを感じる一方で、鉄雄が戦車と対峙する終盤のシーンは、1989年の天安門事件を予見したかのようだ。そして現実になった東京オリンピック2020とその延期も、コロナ禍の今だからこそ、重く受けとめたい設定である。音楽は芸能山城組が印象的だが、途中の未来都市のシーンにおいて、暁テル子の楽曲「東京シューシャインボーイ」(1951)が挿入歌として使われていることも発見した。渋い選曲である。ともあれ、最初の公開から長い時間を経ても、未来の鑑賞者に多くの気づきを繰り返しもたらす『AKIRA』は、やはり古典的な名作と呼ぶにふさわしい。
左上:「AKIRA 4Kリマスター」IMAX上映ポスター
[© 1988マッシュルーム/アキラ製作委員会]
2020/05/15(金) (五十嵐太郎)
川崎市河原町高層公営住宅団地、洋光台団地
[神奈川県]
コロナ禍の期間中、公共交通機関をほとんど使わなくなった代わりに、自動車で普段訪れることがなかった神奈川県のエリアをまわり、建築を見学する機会が増えた。展覧会や演劇は閉館していると、まったく楽しむことができないが、建築は内部に入れなくても、外観を見学するだけでも多くのことがわかるのがありがたい。時代の変化を示す2つの団地を取り上げよう。ひとつは大谷幸夫が手がけた《川崎市河原町高層公営住宅団地》(1972)、もうひとつは隈研吾による《洋光台団地》と駅前広場のリノベーション(2018)である。
前者は日本に団地が登場し、これからどんどん増えていく時代の建築だが、遠くから見ても相当なインパクトを与える彫刻的な造形だ。今なお、強い形である。いや、正確に言えば、近年こうしたデザインは忌避されるからこそ、余計に痛烈な印象を与えるだろう。とりわけ、「人」字型の斜めに迫り上がるダイナミックなヴォリュームは、大谷の《京都国際会館》(1966)にも通じるものだが、集合住宅の系譜で言えば、師匠の丹下健三による25,000人の《TAMENOコミュニティ計画》(1960)や、大谷も参加した《東京計画1960》(1961)の住居棟の断面と近い。実際、川崎の団地の外側はテラス付きの住戸をズラしながら積み上げ、日照を確保する一方、内側には巨大な吹抜けの半屋外空間を設けている。全体としては、総戸数3,600戸、人口 15,000人を想定したプロジェクトだが、SF的なデザインは、近代的な団地が輝いていた時代を偲ばせる。
これに対し、ほぼ同時期の1971年に入居を開始した《洋光台団地》は、直方体のヴォリュームが連なる普通の建築だが、誕生して半世紀を迎える直前に、隈のデザイン監修によって生まれ変わった。駅前から続く広場のリニューアルは、既存の傾斜地とも連動しつつ、個性的な場を形成している。隈による長岡の庁舎と同様、ステレオタイプではない日本らしさをもつ広場は、魅力的である。かつて2階の居室だった空間が、店舗に変わり、アーケードの上部に続くデッキと面しているのも興味深い。ほかにも室外機を木の葉パネルで覆ったり、縦導線のコアをストライプ状に塗装し、やさしい表情を与えている。強い建築を志向しない現代的な改修と言えるだろう。
2020/05/10(日)(五十嵐太郎)
ATAMI海峯楼、アトリエ&ホステル ナギサウラ
[静岡県]
熱海において対照的な宿泊施設を二つ体験した。ひとつは、隈研吾の《水/ガラス》(1995)を4部屋限定の高価格帯の宿に変えたATAMI海峯楼である。ブルーノ・タウトの《旧日向別邸》(1936)が隣接していることから、以前も二度ほどここを見学しようとしたが、玄関前までしか立ち入りが許可されなかったので、今回意を決して泊まることにした。なお、熱海までは自動車で行き、ATAMI海峯楼内では従業員以外に見かけた宿泊客は1名のみで、チェックインからチェックアウトまで、まったく外出しなかったので、人との接触は最低限である(ただし、翌日から営業が休止されることになっていた)。
有名な《水/ガラス》の部屋は、ラグジュアリースイートの客のみが夕食に使えるのだが、それ以外の時間は自由に見学することができた。なるほど、ここは勝負をかけたフォトジェニックな空間になっており、一見の価値がある。今や彼の定番となったルーバーの使用という文脈でも、これが最初の作品だと考えると、歴史的な意義もある。イメージのうえでは彼方の海とつながるとはいえ、この小さい空間に、21世紀における彼の成功の原点がある。今回、建築を目的に泊まったが、実は朝夕の食事が大変素晴らしく、それだけでも十分にお勧めできる。
熱海からの帰りで一箇所だけ立ち寄ったのが、戸井田雄による複合施設アトリエ&ホステル ナギサウラである。名称のとおり、歩くとすぐに海が見える場所だ。彼は武蔵野美術大学の土屋公雄研出身で、2006年の卒業設計日本一決定戦では、キャンパスで実際に穴を掘るプロジェクトで注目を集めた人物である。その後、現代美術家としてあいちトリエンナーレ2010などに出品し、2013年から熱海を拠点に、混流温泉文化祭など地域を盛り上げる活動を展開してきた。
さて、ナギサウラは、「リノベーションスクール熱海」をきっかけに戸井田が知った築70年の割箸屋を改造したもので、シェア・アトリエと9名まで宿泊できるホステルの機能をもつ。大工や知人が入ってセルフビルド的な施工も行ない、前の痕跡をあえて残しながらのリノベーションのデザインは、部屋ごとに新築では生まれない個性をもち、ニヤッとさせられる工夫が散見される。ナギサウラは昨年9月にオープンしたが、あいにく新型コロナウィルスの影響のため、しばらく営業することができず、またオリンピックに合わせて予定されていたイヴェントも開催が難しくなっているという。再びオープンしたら、是非、ゼミ合宿で使ってみたい施設である。
公式サイト:ATAMI海峯楼 https://www.atamikaihourou.jp/
アトリエ&ホステル ナギサウラ https://nagisa-ura.net/
2020/04/25(土)(五十嵐太郎)