artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

草間彌生「増殖する部屋」

会期:2009/08/08~2009/11/08

Six[大阪府]

草間彌生の個展。大阪・心斎橋のCOMME des GARCONS大阪店の一部に設けられたアートスペースで催された。室内のブラックライトが照らし出すのは、水玉模様に彩られた机や椅子、本棚など。ドット・オブセッションに侵食された私的な空間を見せたかったようだ。

2009/09/06(日)(福住廉)

堂島リバービエンナーレ『リフレクション:アートに見る世界の今』

会期:2009/08/08~2009/09/06

堂島リバーフォーラム[大阪府]

シンガポール・ビエンナーレ2006・2008でディレクターを務めた南條史生が、双方の展覧会から26組のアーティストを選び出し、大阪・堂島川の沿岸に今春誕生したばかりの商業施設「堂島リバーフォーラム」で披露した国際展。同展の中心的なコンセプトは、アートを現実の政治や社会、経済や文化を映し出す鏡としてとらえる「反映論」だが、たしかに移民や戦争、宗教、人種、環境といった世界のリアルな問題を取り扱った作品が多い。アルフレド&イザベル・アキリザンによる《アドレス(プロジェクト:アナザーカントリー)》(2007-2008)は、フィリピンの出稼ぎ労働者たちが海外生活で買い溜めたものや故国で待つ家族のためのプレゼントをボックス状のまま積み上げ、ひとつの家のように仕立てたインスタレーションで、雑多な日常用品の圧倒的な集積が、労働者の夢と貧困、ひいてはグローバリズムの功罪を如実に物語っている。なかでも秀逸だったのが、ベトナム在住のディン・Q・リーによる映像作品《農民とヘリコプター》(2006)と、《ヘリコプター・インスタレーション》(2002-2008)。ベトナム戦争を知らない農民の若者たちが自分たちのヘリコプターを手作りで製作したという逸話に着想を得たアーティストが、寄せ集めのブリコラージュとしてのヘリコプターを実作するとともに、「ヘリコプター」という記号をめぐって錯綜するベトナムの人たちの思いを記録した映像作品を作成した。若者たちにとってヘリコプターは農業の重労働から解放してくれる画期的な機械としてあるが、老人たちにとってはベトナム戦争で自分たちの命を奪った殺戮兵器にほかならなかった。映像は、そうした行き違う思いを、ベトナム戦争の記録映像や映画『地獄の黙示録』のシーンを織り交ぜながら、3連のスクリーンの上にわずか15分で、テンポよく描き出していく。ジャーナリズムが伝える「現実」とは異なる角度から、それらとは異なる手法で「現実」を浮き彫りにする、優れた現代アートである。翻って日本では、「反映論」は不当に貶められてきたが、「現実」が想像を追い越してしまい、政治や社会の問題がもはや無視し得ないほど切迫している今となっては、こうした類のアートこそ、今後ますます必要とされるにちがいない。見たいのは、「アートに見る日本の今」である。

2009/09/06(日)(福住廉)

やなぎみわ 婆々娘々!

会期:2009/06/20~2009/09/23

国立国際美術館[大阪府]

第53回ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館代表として参加している、やなぎみわの個展。《マイ・グランドマザーズ》の全26点をはじめ、《フェアリー・テール》、そしてヴェネツィアで披露している最新作《ウィンドスウェプト・ウィメン》が展示された。3つのシリーズごとに空間を明確に区別して、それぞれの空間の明るさにメリハリをつけた展示構成が、うまい。カラフルな色合いが多い《マイ・グランドマザーズ》の明るい空間にはじまり、モノクロの《フェアリー・テール》は一転してブラックキューブに、そして同じくモノクロの《ウィンドスウェプト・ウィメン》はほのかに明るく、適度に暗いという微妙な空間で発表されたため、知らず知らずのうちに、鑑賞者はやなぎが物語る想像世界にどっぷりはまっていく。新作の《ウィンドスウェプト・ウィメン》は、荒野で激しく踊り狂う、文字どおり垂乳根の女たちを写しているが、背景の山脈や足元の樹木と見比べてみると、彼女たちが山をも一跨ぎにするほどの超巨大なサイズであることに気づかされる。重厚なフォトフレームをはみ出さんばかりの勢いだ。マザコンだとかなんとかいっている暇を与えないほど、バカバカしくも圧倒的な母性の叛乱が、爽快である。

2009/09/06(日)(福住廉)

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ウィリアム・ケントリッジ──歩きながら歴史を考える

会期:2009/09/04~2009/10/18

京都国立近代美術館[京都府]

南アフリカ生まれでヨハネスブルグ在住のアーティスト、ウィリアム・ケントリッジの個展。2つのフロアを全面的に使用しながら19点の映像作品と36点の素描、64点の版画を一挙に公開する大規模な構成で、たいへんな見応えがある。ケントリッジの代名詞といえば、木炭とパステルで描いたドローイングを部分的に描き直すことで絵を動かしていくアニメーション作品だが、その素朴な技法とは裏腹に、そこに映し出されているのは、アパルトヘイト政策による暴力の歴史や都市の再開発、視覚の問題、キャラクターによる物語、愛と死などで、社会的・政治的問題はおろか、人間の「生」をめぐる普遍的な問題までもが凝縮した、ひじょうに密度の濃い映像である。それらが渾然一体となりながら鑑賞者の側にまで押し寄せ、私たちの情動に深く訴えかけてくるのだ。とりわけ、ソーホー・エクスタインというキャラクターを登場させた初期の映像作品は、叙情的な音楽性によるのか、あるいはドローイングの痕跡がかつて存在したはずの「生」を詩的に偲ばせているからなのか、涙なくしては見ることができない。必見の展覧会である(この後、東京国立近代美術館、広島市現代美術館に巡回する予定)。

2009/09/06(日)(福住廉)

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遠藤一郎 Driving Photo Music

会期:2009/09/02~2009/09/06

Art Center Ongoing[東京都]

未来美術家・遠藤一郎の個展。「new world」「未来へ」など、単純明快なメッセージをエンジンオイルで描きつけた写真作品と、それらの写真をもとにした《Driving Photo Music》を発表した。《Driving Photo Music》とは、遠藤が撮りためたデジタル写真をプロジェクターで投影し、彼が「未来号」で聴いている音楽にあわせながら、手元のキーボードを連打して写真を動かしていくオリジナル写真再生装置。一般的なパソコンとちがい、指示と再生のあいだにタイムラグが一切ないため、自分のリズムで意のままに写真を入れ換えていくことができる。大江千里、Dreams Come True、Underworldなど、ポピュラーミュージックの定番にあわせながら、高速道路の車内から撮影した太陽や雲、そして青空などの写真を立て続けに見てみると、それらがまさしく遠藤が移動してきた旅路そのものであることに気づかされる。そう、遠藤一郎とはつくづく「旅するアーティスト」なのである。それがレジデンスを繰り返しながら各地の国際展を渡り歩くアーティストと異なるのは、遠藤が地元の人びととしっかり交流しながら信頼関係を築き上げ、彼らから「また呼ばれるアーティスト」ということだ。あまりにもベタな作風は、ネタを重視するアートシーンからは軽視されがちだが、そもそもネタという言語ゲームを繰り返すばかりで、「また呼ばれないアーティスト」が多いなか、ほんとうに大切なものは、ベタな信頼関係にしかないことを、遠藤一郎は静かに教えている。

2009/09/04(金)(福住廉)