artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

武政朋子 It is mere guesswork それは単なる推測にすぎない

会期:2015/11/28~2015/12/20

Maebashi Works[群馬県]

「絵画」のオーバーホール。武政朋子が手がけているのは、既存の「絵画」を分解、点検、再構成する、きわめて内省的な仕事である。それは、「絵画」の制度を自明視しながらイメージの再生産に勤しむ無邪気なペインターたちとは対照的に、「絵画」の成立条件に根本的な懐疑の視線を向けているという点で、じつに哲学的な身ぶりであると言ってよい。
例えば2014年に秋山画廊で催した個展「Anonymous Days──無名の日々」で発表されたのは、自らの過去作の表面を削り取った平面作品。画面には鮮やかな色彩が茫々と残されているのみで、それらはなんらかの形象として輪郭を結んでいたわけではない。そこに逆説的に立ち現われていたのはイメージを掘削したという強烈な身体性であり、武政はその身体性によってイメージが立ち消えた後、なおもそこに残存する気配、すなわち「絵画の亡霊」を描いてみせたのである。
今回の個展で発表された新作は、武政の内省的な視線がよりいっそう「絵画」の奥深い基底に及んでいることを如実に物語っていた。白い空間の壁面に展示されたのは、大小さまざまな木枠や木片。近づいて目を凝らすと、極薄の木目の一つひとつに丁寧に彩色されているのがわかる。キャンバスの木枠をはじめ建具や木片などに色鉛筆で丁寧に色を塗りつけたのだという。色の重層性が美しい点は以前の作品と変わらないが、以前にも増しているのは執着心を帯びた身体性である。武政の視線は白いキャンバスにとどまることに飽き足らず、それを突き破り、ついにそれを支える構造にまで到達したのだ。
このような破壊的性格からすると、武政の仕事は絵画の解体を実践しているだけのように見えるかもしれない。しかし、そこには明らかに再構成の側面がある。なぜなら壁面に立てかけられた木枠の数々は、壁面に対する正面性の視点によって整然と配置されていたからだ。どれほど絵画を縦横無尽に解体しているように見えたとしても、絵画を制作ないしは鑑賞するためには不可欠な正面性の視点だけは固持されている。いや、むしろそうした絵画意識を準拠点にしながら、絵画というメディアのありようを組み立て直そうとしていたと言うべきか。色分けされた木目の細部より、むしろその先に、未知の絵画のイメージが隠されているのかもしれない。

2015/12/20(日)(福住廉)

潘逸舟 存在を支配するもの

会期:2015/12/05~2015/12/20

高架下スタジオSite-Aギャラリー[神奈川県]

潘逸舟は上海生まれの日本人。中国と日本のあいだで引き裂かれ、あるいは双方を架橋する、アイデンティティの問題を一貫して表現してきた。なかでも優れているのは、昨今の日中外交問題の争点とされている尖閣諸島のイメージを、ゆっくりと水没させる映像作品である。水平線に沈んでいく太陽のように、島のシルエットが徐々に消えていくモノクロ映像は、社会的政治的な意味を超えて、幽玄の美ともいうべき詩情を醸し出していた。
今回の個展では過去作も含めて5点の作品が展示されたが、もっとも注目したのは新作《ミュージカル・チェア》。表裏の二面にそれぞれプロジェクターで映像を投影した映像インスタレーションである。表面には干潮時に海中から現われる小島で5人の男が椅子取りゲームをする映像を、裏面には同じ海の満潮時にその小島が海中に消えていく映像を、それぞれ映し出した。
男たちは海底の石を椅子として椅子取りゲームを繰り広げるが、一人また一人と画面から消えていき、最後に残った一人にしても、ほどなくして島を後にする。結局のところ、島には誰もいなくなり、それもやがて海に消えていくというわけだ。
この映像作品の撮影場所は対馬。言わずと知れた日本と韓国の文化的な接触領域である。だとすれば、男たちの椅子取りゲームは国境線や領土をめぐる政治的な抗争のメタファーとして読めなくはない。だが、潘の視線はここでもそのような表層を超えている。椅子取りゲーム=領土争いというきわめて人為的な振る舞いは、とどのつまり自然の中に雲散霧消するほかないからだ。
潘逸舟の作品に通底しているのは、無為と自然の道を重視する老荘思想なのかもしれない。

2015/12/19(日)(福住廉)

JIS is it ─見えない規格─

会期:2015/12/05~2015/12/20

東京都美術館[東京都]

「JIS」とは日本工業規格のこと。本展は日常生活のなかに溢れているJIS規格を共通テーマとしたグループ展である。企画したのは、東京藝術大学出身の繪畑彩子、折戸朗子、町田沙弥香、弓削真由子による「芸術コンプレックス」で、会場内にそれぞれの作品を展示した。
折戸はJIS規格を拡大解釈した作品を発表した。極端に横に長いスケッチブックは水平線を、逆に縦に長いそれは大きな滝を、それぞれ描くのにふさわしい。道に広がりながら歩く中学生を蹴散らすための指に装着できるベルなど、ユーモアにも富んでいる。折戸が示したのは、既存のJISに対するユーモアを含めた批判的な提案である。
そのJIS規格を身体化しようとしたのが、弓削。全国的に統一された畳を同じサイズの紙に鉛筆でそのままなぞって描いた。畳の井草の目はもちろん、表面に落ちたゴミや影も忠実に転写するほど、芸が細かい。規格という抽象的な存在は、だからこそ日常生活の隅々に浸透している。弓削は、それを身体で把握することによって具体的に再確認しようとしたのではなかったか。
一方、JIS規格に覆い尽くされた世界の内実を暴き出そうとしたのが町田と繪畑である。
町田は電柱に貼付された貼り紙が剥がされた後、そこに残された糊の跡を写真に収めた。そこには糊付けした当事者ならではの手癖がはっきりと現われており、標準化された電柱がある種の創造性を発揮する場所にもなっていることがわかる。普段は眼にすることはないとはいえ、どこかの誰かが何かしらの表現を試みている。町田の視線は規格化された世界の向こう側に生々しい人間を見ようとしているのだ。
他方、JIS規格の底に神話的世界を出現させたのが繪畑である。繪畑は、消しゴム版画で彫り出したイメージを絵巻物のような長大な支持体に連続させることで、壮大なアニメーション映像をつくり出した。動植物と人間が融合したような奇妙な生命体が妖しく揺れ動く世界が、私たちの目を奪ったのは間違いのない事実である。だが、それがJIS規格という標準化された世界から生み出されたことを思えば、私たちの眼に映る世界の奥には魑魅魍魎が跋扈する異世界が広がっているのかもしれない。
いずれにも通底しているのは、JIS規格という私たちの日常生活を規定する外的要因を、作品を制作する動機のひとつとして考え含めている点である。逆に言えば、彼女たちは野放図な自己表現に耽溺しているわけではない。多くの美術大学では、それぞれの自己の内面や自分史、アイデンティティなどを無条件に作品の構成要素として容認しているが、そこに決定的に欠落しているのは、政治的社会的な外的要因である。それゆえナイーヴで傷つきやすい内面をそのまま露出させた作品が果てしなく量産される結果となっている。
だが重要なのは、自分がいかに表現するかというより、むしろ自分がいかに表現させられているか、そのからくりを知ることである。美術大学を卒業した彼女たちが、誰に教わるでもなく、自発的にJIS規格に着目したことは、自己教育の成果として大いに評価されるべきであり、美術大学の学生は彼女たちを模範とするべきだ。

2015/12/06(日)(福住廉)

浜田浄の軌跡 ─重ねる、削る絵画─

会期:2015/11/21~2016/02/07

練馬区立美術館[東京都]

浜田浄は1937年生まれの美術家。70年代半ばに版画作品で評価を高めたが、80年代になるとモノクロームの絵画に転じ、その後、平面に載せた絵の具や紙を削り出す作品も手がけている。本展は初期から近作まで47点の作品を展示したもの。作品の点数と大きさからすると、決して十分な空間とは言えないが、浜田の類い稀な抽象画を一覧するには絶好の機会であると言えよう。
そのもっとも大きな特徴は、抽象画でありながら、非常に強い身体性を醸し出している点である。キャンバスや合板などの支持体の上に絵の具や紙を堆積させたうえで、彫刻刀やカッターナイフなどで削り出す。すると画面には無数の痕跡が残されることになる。それらは朱色の漆器や夕陽が沈む大海原のような具象的な風景に見えないこともないが、それ以上に伝わってくるのは、浜田自身の削除という行為の反復性である。
しかも、そのような連続的な身体運動は無闇矢鱈に繰り広げられているわけではない。画面に残された痕跡を注意深く観察してみれば、それらがじつに入念に、計算高く、緻密にコントロールされながら彫り出されていることに気づくはずだ。つまり痕跡は、たんに平面との格闘という運動の例証としてだけではなく、平面を彩る、ある種の模様や陰影としても考えられている。浜田の作品は、その制作手法からすると、じつに彫刻的に見えるかもしれないが、その中心にあるのは、きわめて明瞭な絵画意識なのだ。
「抽象画」というジャンルを内側から破るほど強靭な身体性。再現的なイメージを無邪気に再生産しがちな現代絵画の底を、浜田浄の作品は強烈にえぐり出しているのである。白い紙を黒い鉛筆でただ塗りつぶす作品が世界を丸ごと闇に陥れる暴力性を示しているように、浜田浄は平面のパンクスなのかもしれない。

2015/11/28(土)(福住廉)

artscapeレビュー /relation/e_00033328.json s 10118431

川田淳 個展「終わらない過去」

会期:2015/11/13~2015/11/30

東京都中央区日本橋浜町3-31-4[東京都]

辺野古が怒りに震えている。日本政府が沖縄の民意を蔑ろにしながら米軍基地の移設工事を強行しているからだ。このような「本土」と「沖縄」のあいだの非対称性は、確かな事実であるにもかかわらず、本土の人間の無意識に封印されているように、じつに根深い。
本展で発表された川田淳の作品は、「本土」の人間であれ、「沖縄」の人間であれ、見る者にとっての「沖縄」との距離を計測させる映像である。主題は、戦没者の遺留品。沖縄で50年以上ものあいだ、それらを発掘して収集している男と川田は出会い、その作業を手伝い始める。あるとき男は川田に名前が記された「ものさし」を見せ、これを遺族に返還してほしいと依頼する。映像は、川田が主に電話によって遺族を探し出す経緯を映し出しているが、映像と音声が直接的に照応していないため、おのずと鑑賞者は聞き耳を立てながら川田と彼らとのやりとりを想像することになる。
その「ものさし」は、結局のところ遺族に返還されることはなかった。遺族と面会して直接手渡すことを望んだ川田の希望が遺族には聞き入られなかったからだ。川田がそのように強く希望したのは、遺留品に残された無念を汲みながら日々発掘に勤しむ男の気持ちを重視したからである。着払いの郵送を望む遺族に対して、川田はその「気持ち」を粘り強く伝えたが、ついにその試みは実らなかった。「面会」に期待された魂の交流と、「着払い」に隠された慇懃な敬遠。「沖縄」と「本土」、あるいは「戦争」と「平和」のあいだの絶望的なまでに大きな隔たりが、私たちの眼前にイメージとして立ちはだかるのである。
むろん重要なのは、その隔たりを埋め合わせ、できるかぎり双方を近接させることであることは疑いない。しかし、その距離感が現在の沖縄をめぐる現実的な診断結果であることもまた否定できない事実である。川田淳の映像作品は、まさしく「ものさし」の行方を想像させることによって、沖縄との距離感を見る者に内省させるのだ。それは、沖縄の問題というより、むしろ私たち自身の問題と言うべきである。

2015/11/28(土)(福住廉)