artscapeレビュー

武政朋子 It is mere guesswork それは単なる推測にすぎない

2016年01月15日号

会期:2015/11/28~2015/12/20

Maebashi Works[群馬県]

「絵画」のオーバーホール。武政朋子が手がけているのは、既存の「絵画」を分解、点検、再構成する、きわめて内省的な仕事である。それは、「絵画」の制度を自明視しながらイメージの再生産に勤しむ無邪気なペインターたちとは対照的に、「絵画」の成立条件に根本的な懐疑の視線を向けているという点で、じつに哲学的な身ぶりであると言ってよい。
例えば2014年に秋山画廊で催した個展「Anonymous Days──無名の日々」で発表されたのは、自らの過去作の表面を削り取った平面作品。画面には鮮やかな色彩が茫々と残されているのみで、それらはなんらかの形象として輪郭を結んでいたわけではない。そこに逆説的に立ち現われていたのはイメージを掘削したという強烈な身体性であり、武政はその身体性によってイメージが立ち消えた後、なおもそこに残存する気配、すなわち「絵画の亡霊」を描いてみせたのである。
今回の個展で発表された新作は、武政の内省的な視線がよりいっそう「絵画」の奥深い基底に及んでいることを如実に物語っていた。白い空間の壁面に展示されたのは、大小さまざまな木枠や木片。近づいて目を凝らすと、極薄の木目の一つひとつに丁寧に彩色されているのがわかる。キャンバスの木枠をはじめ建具や木片などに色鉛筆で丁寧に色を塗りつけたのだという。色の重層性が美しい点は以前の作品と変わらないが、以前にも増しているのは執着心を帯びた身体性である。武政の視線は白いキャンバスにとどまることに飽き足らず、それを突き破り、ついにそれを支える構造にまで到達したのだ。
このような破壊的性格からすると、武政の仕事は絵画の解体を実践しているだけのように見えるかもしれない。しかし、そこには明らかに再構成の側面がある。なぜなら壁面に立てかけられた木枠の数々は、壁面に対する正面性の視点によって整然と配置されていたからだ。どれほど絵画を縦横無尽に解体しているように見えたとしても、絵画を制作ないしは鑑賞するためには不可欠な正面性の視点だけは固持されている。いや、むしろそうした絵画意識を準拠点にしながら、絵画というメディアのありようを組み立て直そうとしていたと言うべきか。色分けされた木目の細部より、むしろその先に、未知の絵画のイメージが隠されているのかもしれない。

2015/12/20(日)(福住廉)

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