artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

Under35

会期:2013/03/22~2013/04/14

BankART Studio NYK[神奈川県]

35歳以下の若手アーティストを対象としたBankART 1929の恒例企画。3回目となる今回の特徴は、アーティストとギャラリーないしはマネージャーをひとつのチームとみなして公募したこと。そうして選出された6組が、同一会場で同時に個展を催した。
際立っていたのは、丸山純子+大友恵理と幸田千依+橋本誠。両アーティストは共に他に類例を見ない作風をすでに確立しているが、今回の個展ではそれをそれぞれ着実に深化させていることを証明した。
丸山は、これまでスーパーの袋でつくった花でインスタレーションを構成したり、洗濯用の粉石けんで大地に巨大な花の絵を描いたり、ダイナミックな形式によって繊細な感性を巧みに造形化してきたが、今回もその手腕は存分に発揮されていた。コンクリートがむき出しの空間にあったのは、二艘の木造船。床には、粉石けんで描かれた無数の花が描かれているから、白い花の海を舟が漂っているようにも見える。あるいは、二艘の舟はともに会場の外にある海に向けられていたから、白い砂浜で出航を待っているのかもしれない。廃材を組み合わせた舟が醸し出す寂寥感と、誰かに踏まれてかたちを崩した花から滲み出る無常感が、広大な展示空間のなかに充満しており、私たちの詩的な想像力に強く働きかけてきたのである。
一方、幸田千依が主に描いているのは、夏のプール。これまでの代表作を滞在制作した場所ごとにまとめて展示するとともに、新作を展示場所で制作し発表した。俯瞰で描かれたプールの中には、子どもたちが水遊びに興じているが、一人ひとりの顔の表情までは細かく描写しているわけではない。にもかかわらず、あの時あの場の高揚感がひしひしと伝わってくるのは、鮮やかな青色を塗り分けた水面に描かれるさまざまな波紋が、あの熱気を代弁しているように見えるからだろう。同心円状にきれいに広がる波紋があれば、直線状に尾を引く波紋もある。それらが互いに交錯し、新たな波紋を生みながら、全体的には大きなうねりを見せている。複雑に揺れ動く波紋そのものが、すべてを物語っているように感じられた。

2013/04/12(金)(福住廉)

添田唖蝉坊・知道展 明治・大正のストリート・シンガー

会期:2013/03/02~2013/04/14

神奈川近代文学館[神奈川県]

明治・大正時代の演歌師、添田唖蝉坊と、その息子、知道についての展覧会。遺族から同館に寄贈された「添田唖蝉坊・知道文庫」の貴重な資料をもとに展示が構成された。
「演歌師」とは、現在のような大衆音楽としての演歌の歌手ではなく、路上で歌を唄いながら演説する者のこと。自由民権運動の活動家たちが政府の弾圧を回避するために歌を装って政治的な主張を伝えた「壮士節」をもとに、唖蝉坊が開発し、知道が育んだ。だから、彼ら父子を「ストリート・シンガー」と言えなくもないが、そうだとしても、彼らが歌い上げていたのは政治的社会的な主張の強いメッセージ・ソングだった。
事実、唖蝉坊は幸徳秋水や堺利彦、荒畑寒村といった活動家と親交があり、知道も16歳にして売文社に雑用係として勤務していたという。唖蝉坊は日露戦争までは好戦的な歌もつくっていたようだが、「演歌」とは基本的には明治の自由民権運動の只中から生まれた表現なのだ。
しかし、だからといって唖蝉坊の演歌は、政治的な反逆や抵抗を強調する反面、音楽的な魅力に乏しい歌というわけではない。もともと壮士節は歌詞を重視するあまり旋律はおしなべて単調であり、その歌もダミ声でがなり立てる者が多かったという。ところが、会場で流されていた音源に耳を傾けてみると、その楽曲はむしろ柔らかく、軽やかな三味線の伴奏に合わせて小気味よく唄い上げている。明治と大正にかけて大衆のあいだで大流行したというのも、なんとなく頷ける。というのも、思わず口ずさみたくなるからだ。
例えば、1907年に発表された《ああわからない》。メロディラインを再現することは叶わないが、その歌詞を一瞥しただけでも、唖蝉坊の楽曲の柔和性が伝わるはずだ。

ああわからないわからない
今の浮世はわからない
文明開化といふけれど
表面(うわべ)ばかりじゃわからない
瓦斯や電気は立派でも
蒸汽の力は便利でも
メッキ細工か天ぷらか
見かけ倒しの夏玉子
人は不景気々々々と
泣き言ばかり繰返し
年が年中火の車
廻してゐるのがわからない

いたって日常的な言葉で綴られた歌詞を軽やかな旋律に載せて届けること。そのような唖蝉坊の「演歌」は、その後知道に受け継がれ、展示で触れていたように、土取利行をはじめとする弟子たち、さらに高田渡やなぎら健壱、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットらが引き受けた。あるいは、歌によって演説を偽装するという点で言えば、馬鹿馬鹿しくも楽しい活動によって従来の硬直した政治運動を柔らかく再構築している「素人の乱」の歴史的な起源のひとつとして唖蝉坊を位置づけることもできなくはない。
ただその一方で、見逃すことができないのは、唖蝉坊の演歌そのもののなかに時間を超えた批評性があるということだ。先に挙げた《ああわからない》の歌詞を今一度読み返してみれば、そこに3.11以後の日本人が重なって見えないだろうか。見かけ倒しの安全性を疑いもせずに安穏としていたことを一度後悔しながらも、そのことをいとも簡単に忘れてしまい、原発という火の車を再び回転させようとしている日本人は、まさしく「ああ、わからない!」。

2013/04/12(金)(福住廉)

壷井明 無主物

会期:2013/02/01~2013/04/14

原爆の図丸木美術館[埼玉県]

「無主物」とは、所有者のない物。福島第一原発事故に由来する除染作業の責任を問われた東京電力が、原発から飛散した放射性物質は誰のものでもない無主物であるから、よって自らに除染の責任はないと強弁したことで知られるようになった。これに激しい怒りを覚えた壷井明は、原発事故をめぐる人間模様を主題とした同名の絵画を制作して、それを裁判闘争や脱原発デモの現場に持参して多くの人びとに鑑賞してもらうという活動を繰り広げている。
本展は、壷井による《無主物》を、絵のなかの図像を言葉で解説しながら展示したもの。解説文を読めば、一つひとつの図像が何を象徴しているのか、正確に理解することができる。しかも、パネルによって加筆の前後も見せているので、絵画の画面構築がどのように変遷したのかも把握できる。
興味深いのは、こうした壷井の表現活動が、50年代のルポルタージュ絵画を前進させているように考えられることだ。政治的社会的な闘争の現場に介入し、その見聞をもとに絵画の主題を決定するという点で、それはかつての池田龍雄や桂川寛、中村宏、山下菊二らの絵画と通底していることは疑いない。けれどもその一方で、壷井の絵画にあってルポルタージュ絵画にないのは、描いた絵画を再び現場に持ち込んで鑑賞してもらうばかりか、そこで得た知見をもとに、再び絵画に手を入れるという点である。だから今後も加筆されるかもしれないし、その意味で言えば本展で発表された絵画は決して完成品ではないのである。
壷井の絵画は、画廊や美術館を終着点として想定していない。それらは文字どおり通過点であり、状況の成り行きに応じて描き直した絵画が立ち寄る場所でしかない。おそらく壷井にとって絵画とは、個性や内面の吐露といった自己表現の現われなどではなく、現場と非現場をつなぐメディアなのではないだろうか。絵画を創作するアーティストが絵画にとっての「主」であるとすれば、媒介者に徹底している壷井はある意味で「無主」である。つまり壷井は、無主物としての絵画によって「無主物」と対抗しているのだ。

2013/04/10(水)(福住廉)

遠藤一郎 展 ART for LIVE 生命の道

会期:2013/03/03~2013/04/14

原爆の図丸木美術館[埼玉県]

遠藤一郎の最高傑作は、やはり《愛と平和と未来のために》だと思う。この映像作品で遠藤は「行くぞー!」と雄叫びを上げながら、ただひとり、六本木ヒルズに全身で激突する行為を繰り返しているが、これはナンセンスを突き詰めることによって辛うじてわずかな意味を生み出そうとする、すぐれてコンセプチュアルなパフォーマンスだった。しかも、コンセプチュアル・アートにありがちな肉体性の欠如という弱点を、文字どおり肉体を酷使することによって見事に克服している点が、何よりすばらしい。
言うまでもなく、遠藤がそのようにして生み出したわずかな意味とは、彼が執拗に訴え続けている「未来」や「生命」、「愛」、「平和」というメッセージである。むろん、それらは字義どおりに受け取ることが難しいほどベタな言葉ではある。けれども、そのような使い古された言葉の根底にあの激烈な激突パフォーマンスを見通すとすれば、それらはたんなる愚直でストレートなメッセージではなくなるはずだ。
本展は、丸木美術館で催された遠藤一郎の回顧展。自転車で原爆ドームに向かった17歳のひとり旅を原点として、その後の表現活動の軌跡を無数の記録写真によってたどる構成である。回顧展としては堅実であるし、あの広大な空間に掲げられた「生命」という文字を描いた巨大な平面作品も見応えはある。けれども、どこかで一抹の違和感が残るのは、遠藤一郎にとっての原点のありかが、「広島」というよりやはり「六本木」なのではないかと思えてならないからだ。
あの肉体の突撃には、ナンセンスなユーモアだけでなく、切実な危機意識とやるせない悲壮感があった。それらは現在の遠藤一郎の明るく、朗らかで、ポジティヴな表現活動からは見えにくいものだが、しかし、その背面に確かに内在しているものだ。
遠藤一郎の活動範囲が被災地を含む全国へ拡大すればするほど、そのダイレクトなメッセージが人びとに伝播すればするほど、まるで反射作用のように、その原点のありかが逆に問い直されるに違いない。もしかしたら、新たな原点をつくりだすことが必要なのではないか。

2013/04/10(水)(福住廉)

アニメーション美術監督 小林七郎 展 空気を描く美術

会期:2012/12/19~2013/04/14

杉並アニメーションミュージアム[東京都]

アニメーション美術監督の小林七郎の展覧会。『ガンバの冒険』や『ルパン三世カリオストロの城』、『あしたのジョー2』などで知られる日本随一の美術監督で、鬼才・出﨑統と組みながら数々の名作を制作するとともに、男鹿和雄や小倉宏昌、大野広司といった後進の美術監督を育成した。現在は、自身が代表を務めた小林プロダクションを解散し、画家として制作活動に勤しんでいる。
本展は、アニメーション美術監督としての小林の仕事の全貌に迫る好企画。『ガンバの冒険』や『あしたのジョー2』、『少女革命ウテナ』などの背景画をはじめ、数々のスケッチ、そして実際のアニメーション映像が展示された。幻想的な城塞がひときわ印象的な『カリオストロの城』が展示に含まれていなかったのが残念だったが、それでも小林の筆力を存分に堪能できる展示になっていた。
なかでも本展の白眉と言えるのが、映像絵本として見せられた《赤いろうそくと人魚》である。童話作家の小川未明が1921年に発表した童話をもとに小林が新たに描き下ろしたアニメーションで、老夫婦のもとで育てられた人魚の娘の成長を描く悲劇だ。人間社会に希望を見出した母によって老夫婦に預けられたにもかかわらず、当の老夫婦によって裏切られる娘の心情が痛いほど伝わってくる。それは、ひとえにそのような悲劇を物語るに足る一貫して重厚な作画と、悲劇をよりいっそう効果的に物語る演出に由来するのだろう。
通常、アニメーションにおいてはキャラクターの絵柄と背景のそれは異なっていることが多い。前者が明るく平坦に描かれる反面、後者は筆跡を残した絵としてそれぞれ分離されて描写されるのだ。だが、小林による《赤いろうそくと人魚》では、そうした主従関係が相対化され、背景を描くタッチで登場人物も描写しているのである。従属的な立場に甘んじていた背景画が、前面にせり出し、ついに登場人物のシルエットを呑み込んでしまった。思わずそのように形容したくなるほど、物語は統一的に描写されているのだ。これは美術監督の逆襲なのだろうか。いや、むしろ「絵が動く」というアニメーションの原点に立ち返ったということなのかもしれない。
演出に関しては、象徴的なシーンがある。ある晩、老夫婦の家を訪ねてきた人物が戸を叩き、老夫婦はそれを戸内から見やるというシーンで、小林は暗闇の中で縦方向に走る光の筋を、戸を叩く効果音とともに二度描くだけで、それを表現した。一抹の不安に怯える老夫婦の心情に思わず共感を寄せてしまう。戸外の人物が描かれているわけではないが、それが老夫婦によって香具師に売り飛ばされた娘であることは想像に難くない。けれども、あえて光と闇に極端に抽象化して描写することによって、娘と老夫婦とのあいだの、もはや埋め合わせようのない決定的な隔たりを表現したのである。
小林の作画と演出には、アニメーションの本質というより、むしろ絵を描き、それを他者に伝えるという芸の真髄が隠されているのではないだろうか。

2013/04/09(火)(福住廉)