artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

藤岡亜弥『川はゆく』

発行所:赤々舎

発行日:2017/06/11

本書の外箱に「川は血のように流れている 血は川のように流れている」というエピグラムが記されている。藤岡亜弥が撮影した広島では、太田川、天満川など市内を流れる6つの川は、特別な意味を持っているのではないだろうか。いうまでもなく、1945年8月6日の原爆投下の日に、川は死者たちの血で染まり、その周辺は瓦礫と化した。広島で川を見るということは、その記憶を甦らせることにほかならない。
「8・6=ヒロシマ」の記憶は、多くの写真家たちによって検証され続けてきた。土門拳、土田ヒロミ、石黒健治、石内都、笹岡啓子──だが藤岡の『川はゆく』はそのどれとも似ていない、まさに独特の位相で捉えられた「ヒロシマ」の写真集だ。原爆追悼の記念行事が集中する暑い夏と、原爆ドームをはじめとする爆心地近くの象徴的な空間が、中心的なイメージであることに違いはないのだが、写っているのはどちらかといえば脱力を誘うような日常の場面だ。にもかかわらず、その底には悪意と不安としかいいようのない感情が透けて見える。日常の裂け目やズレを嗅ぎ当てる彼女の鋭敏なアンテナは、幾重にも折り畳まれた光景から、「ヒロシマ」の死者たちの気配を引き出してくる。そしてその眺めを、「血のように流れている」川のイメージが包み込んでいる。
2016年度の伊奈信男賞を受賞したこの作品で、藤岡亜弥は写真家としてのステップをまたひとつ前に進めた。2007~12年のニューヨーク滞在時に撮影された《Life Studies》など、まだ写真集になっていないシリーズもある。先日のガーディアン・ガーデンの個展「アヤ子、形而上学的研究」をひと回り大きくした展示も見てみたい。

2017/06/26(月)(飯沢耕太郎)

東京墓情 荒木経惟×ギメ東洋美術館

会期:2017/06/22~2017/07/23

CHANEL NEXUS HALL[東京都]

「東京墓情」の「墓情」はいうまでもなく「慕情」の洒落だが、荒木経惟の作品世界をとてもうまく指し示す言葉だ。荒木は東京の下町の三ノ輪の出身だが、生家の前には「投げ込み寺」として知られる浄閑寺があり、身寄りのない遊女を供養した総霊塔は、子供時代の「インディアンの砦」だったという。また、彼が被写体としての花を意識するきっかけになったのは、1973年に浄閑寺の墓場の花を白バックで撮影したのがきっかけだった。つまり、「墓」のある眺めは、荒木の原風景であり、そこからごく自然に、東京を「墓場」に見立てる発想が湧いてきたのではないだろうか。「3・11」後のざわついた状況のなかで、彼はモノクロームの「東京墓情」シリーズを撮影し始める。そして、それらは旧作を加えて2016年にパリのギメ東洋美術館で開催された「Tombeau Tokyo」展で初めて公開されることになった。今回のCHANEL NEXUS HALLでの展示は、そのダイジェスト版というべきものだった。
とはいえ、東京での「東京墓情」展には、花と人形とオブジェを構成した新作のカラー作品と、ギメ東洋美術館の日本の古写真コレクションから荒木自身が選んだという15点の写真があわせて展示され、展覧会としてはまったく別な印象を与えるものになっていた。特に興味深いのは、幕末から明治中期にかけて撮影されたフェリーチェ・ベアト、日下部金兵衛、小川一真らの着色プリントの世界と、荒木の写真との意外なほどの近さである。これらの「横浜写真」は、主に日本を訪れた外国人旅行者のためのお土産用写真として撮影・販売されていたものだ。当時の日本の風景や日本人の風俗は、外国人のエキゾチシズムを喚起するテーマだったのだが、荒木の写真にも日常を異物化する視点があり、それが古写真と奇妙なかたちで共鳴しているように思える。
それにしても、今年に入って荒木の活動には再び加速がついてきている。同時期にタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムでは「写狂老人A 17.5.25で77齢 後期高齢写」展(5月25日~7月1日)が、新宿のエプサイトでは「花遊園」展(6月10日~6月29日)が開催された。今年は10くらいの展覧会企画が同時進行しているという。それらをつなぎ合わせていくと、荒木の作品世界の新たな切り口が見えてくるのではないかという予感がある。

2017/06/21(水)(飯沢耕太郎)

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鏡と穴──彫刻と写真の界面 vol.2 澤田育久

会期:2017/05/27~2017/07/01

gallery αM[東京都]

光田ゆりがキュレーションする連続展「鏡と穴──彫刻と写真の界面」の第2弾。前回の高木こずえ展も面白かったが、今回の澤田育久展もなかなかスリリングな展示だった。澤田は1970年、東京生まれ。金村修のワークショップに参加して本格的に写真家としての活動を開始し、現在は東京・神田神保町の写真ギャラリー「The White」を運営している。今回展示された「closed circuit」シリーズは、2012年11月~2012年10月に、1年間にわたって毎月1度個展を開催して発表したものである。
撮影されているのは、地下鉄の駅と思しき、白っぽい材料で覆い尽くされた無機質な空間である。「日常的に撮影できること」、「撮影場所をありふれた公共的な場所」に限定するという条件を課して撮影されたそれらの写真群は、ツルツルのプラスチック的な質感を持つペーパーに大きく引伸ばして出力され、壁に貼られたり、ワイヤーからクリップで吊り下げられたりして展示されていた。撮影、プリント、展示のプロセスは、きわめて的確に選択されており、現代日本における社会的、空間的な体験のあり方を見事に体現している。澤田の展示をきちんと見るのは今回が初めてだったが、思考力と実践力を備えたスケールの大きな才能の持ち主だと思う。
ワイヤーから吊り下げられた作品は、横幅が壁の作品の半分で、画面が二分割されてスリットが覗いている。そのために画像に微妙なズレが生じているのだが、「視線の移動に伴う対象同士の関係性の変化を通して撮影時の状況に似た体験を鑑賞者に与える」という展示の意図が、そこでも的確な視覚的効果として実現していた。

2017/06/16(金)(飯沢耕太郎)

新居上実「配置」

会期:2017/06/08~2017/07/02

Kanzan Gallery[東京都]

新居上実(にい・たかみつ)は1987年、岐阜県生まれ。2014年の第11回写真「1_WALL」展でファイナリストに選出されている。今回のKanzan Galleryでの個展には7点の作品が展示されているが、そのうち5点はバックライトフィルムにインクジェットプリンタで出力した写真を、ライトボックスにおさめて壁に掛けてある。ほかの2点は、オフセットで印刷した写真で、テーブルの上に重ねておき、観客が自由に持ち帰ることができるようになっていた。被写体は石、紙、スチロールなどの断片的、日常的な物体で、それらを机や床の上に直接置いたり、ビニールシートや布を敷いて並べたりしている。おおむねストレートな描写だが、写真を8枚モザイク状に置いて、それを複写した作品もあった。
とてもセンスのよい、よく考えられたインスタレーションで、作品化の手際も申し分ないのだが、どこか既視感を覚えるのは否めない。物体をランダムに配置して、デジタル変換を加えて味付けしていく「テーブル・マジック」的なアプローチが、すでにありふれたものになってきているということだろう。ここからもう一歩作業を進めていくための、具体的かつ必然性のあるアイデアがほしいところだ。なお、本展は菊田樹子がキュレーションする連続展「写真/空間」の2回目の展示だった。「写真の内と外に立ち現れる空間について考える」というコンセプトが、偶然ではあるが、ごく近い会場で開催中の「鏡と穴──彫刻と写真の界面」展と共通していたのが興味深かった。

2017/06/16(金)(飯沢耕太郎)

ルイジ・ギッリ「Works from the 1970s」

会期:2017/05/27~2017/06/24

タカ・イシイギャラリー東京[東京都]

著書『写真講義』(みすず書房、2014)の刊行によって、イタリア・スカンディーノ出身の写真家、ルイジ・ギッリ(Luigi Ghirri, 1943-1992)の名前も少しは知られるようになった。だが、依然として玄人好みの「知る人ぞ知る」の存在であることは間違いない。今回のタカ・イシイギャラリー東京での展示が、おそらく彼の仕事の、日本における最初の本格的な紹介といえるのではないだろうか。
「現実と見かけ(あるいは擬態)、実態と表象、在と不在、外界と内なる世界──こうした形而上の二元性をそれぞれ同じレベルで見つめ、その調和や多義性を探る」。展覧会の会場の紹介文にはこんなふうに書かれている。その通りで、間違いではない。だがギッリの写真は、この文章から想像されるような小難しく、哲学的、形而上学的な印象を与えるものではない。被写体はありふれた都市の日常から切り出されており、そのアプローチの仕方は軽やかで楽しげだ。彼の写真には、カメラを通じて世界を見つめることの幸福感がいつでも伴っている。今回の展示には、ポスターや写真など「現実になるイメージ」、またそれらを見つめる人々を撮影したものが多い。ギッリは写真と世界との関係のあり方を、さまざまな「眼差し」の表象物を通じて探求するのだが、そこには肩の力を抜いた柔軟な姿勢が貫かれている。見ているわれわれにも、その幸福感が伝染してくるようだ。
今回展示されている写真は、1970年代にプリントされたもので、小ぶりなだけでなく褪色もかなり進んでいる。だが、そのあえかな渋みを帯びた色調が、彼の作品世界にはむしろふさわしいように感じた。なお展覧会にあわせて、同ギャラリーから写真集『Luigi Ghirri』が刊行された。印刷された写真図版をページに貼り込んで、丁寧につくり込んでいる。

Luigi Ghirri, “Sassuolo” (Serie: Diaframma 11, 1/125 luce naturale), 1975, C-print,
image size: 15.5 x 19.2 cm © Eredi di Luigi Ghirri

2017/06/14(水)(飯沢耕太郎)