artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

原芳市「エロスの刻印」

会期:2017/05/10~2017/06/17

POETIC SCAPE[東京都]

写真作品は、時としてとても数奇な運命を辿ることがある。原芳市は1993年頃に、東京と大阪の個展で発表した作品をまとめて、写真集を刊行しようとしていた。ところが、撮影済みのポジフィルムを預けていた出版社が突然倒産して、それらのフィルムも行方不明になってしまった。ところが、それから20年以上が過ぎた2015年に、箱に入れたまましまっていた展示用の「チバクロームクリスタルプリント」が出てきた。今回の個展は、それらのプリントを最新の複写システムでデジタル化して再プリントしたものだ。あわせて、そのデジタルデータを使用して、同名の写真集もあらためて出版されることになった(でる社刊、ブックデザイン=鈴木一誌+下田麻亜也)。
こうして姿をあらわした「エロスの刻印」は、モノクロームプリントが多いこの時期の原の写真シリーズとしては珍しく、6×6判のカラーで撮影されている。原の写真はエロスとタナトス、日常と非日常とを絶妙に配分してブレンドするところに特徴があるのだが、このシリーズはタイトル通りエロスへの傾きが半端ではない。当時の彼は「地方の小さな温泉宿や、近郊の小都市で戯れ遊んだ女たちとの、一夜限りの逢瀬」に溺れていたのだという。写真にも、バブル経済の名残が色濃く残るそんな時代の空気感が刻みつけられているように感じる。女たちだけでなく、花や小動物や風景にも、息苦しいほどに濃密なエロティシズムが漂っているのだ。近年の原の仕事は、やや枯淡の境地という趣があるが、こういう写真が発掘されると、続編も期待できそうな気がしてくる。

2017/05/10(水)(飯沢耕太郎)

藤岡亜弥「アヤ子、形而上学的研究」

会期:2017/05/09~2017/05/26

ガーディアン・ガーデン[東京都]

藤岡亜弥は、日本大学芸術学部写真学科を1994年に卒業し、16人の女性写真家たちのアンソロジー写真集『シャッター&ラブ』(インファス、1996)に作品を発表してデビューした。以後、コンスタントにいい仕事を続けてきている。写真集としてまとまったのは、『さよならを教えて』(ビジュアルアーツ、2004)、『私は眠らない』(赤々舎、2009)の2冊だけだが、台湾、ニューヨークに長期滞在して撮影した厚みのあるシリーズもある。ブラジル移民の二世だった祖母の足跡を辿った「離愁」(2012)も印象深い作品だ。2016年に、広島をテーマに銀座と大阪のニコンサロンで開催された個展「川はゆく」は、同年度の伊奈信男賞を受賞した。今回、ガーディアン・ガーデンのSecond Stageの枠で開催された藤岡の個展「アヤ子、形而上学的研究」は、単独の作品ではなく、ミニ回顧展とでもいうべき構成をとっていた。
69点の写真は7つのパートに分かれている。「アヤ子江古田気分」、「なみだ壷」、「台湾ミステリーツアー」などの初期作品を集めたパートから始まり、「さよならを教えて」、「離愁」、「Life Studies」、「Tokyo Ghost Tour」、「私は眠らない」、「川はゆく」の各シリーズからピックアップされた写真が並ぶ。そのなかで、ちょうど2000年代初頭(「離愁」と同時期)に撮影された「Tokyo Ghost Tour」の写真群に強く惹きつけられた。もともと藤岡の写真には、生者と死者(Ghost)とが入り混じって存在しているような気配が色濃く漂っている。現実の空間から半ば離脱し、非日常の幽界に足を踏み入れつつある、そんな死者たちを写真に呼び込むようなアンテナが藤岡には備わっているのだ。そのアンテナの精度は、近作になるにつれてさらに高まりつつあるように見える。その意味では、もうすぐ赤々舎から刊行されるという新作『川はゆく』がとても楽しみだ。初めてデジタルカメラで撮影したのだというこのシリーズで、ヒロシマの死者たちは、藤岡の写真の中にどんなふうに姿をあらわすのだろうか。

2017/05/09(火)(飯沢耕太郎)

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インベカヲリ★「車輪がはけるとき」

会期:2017/05/05~2017/05/21

神保町画廊[東京都]

インベカヲリ★は、写真を撮影する前にモデルの女性たちにインタビューし、そこで出た話題を元にして、撮影のシチュエーションを決めていく。だが、最終的に写真が発表されるときには、その話がどんなものだったのか、テキストとして示されることはない。タイトルに、その内容が暗示されるだけだ。そのことについては、以前からややフラストレーションを覚えていて、もっときちんとテキスト化された文章を、写真と一緒に見たいと思っていた。
だが、今回の神保町画廊での展示(新作13点、旧作7点)を見て、その考えがやや変わった。というのは、インベの作品タイトルは、それ自体がふくらみを備えていて、観客のイマジネーションを強く刺激するので、テキストでそれを固定する必要がないように思えてきたからだ。例えば表題作の「車輪がはけるとき」は、黒と赤の衣装を身につけた二人の女性が窓越しに向き合う場面を撮影している。「自分勝手の推奨」は、道でラーメンのどんぶりをかかえて食べようとしているOL風の女性、「裂けるチーズ現象」は、水たまりのある公園でうつぶせになって顔を上げている女性を撮影した写真だ。むろん、写真を見ただけでは、タイトルに込められた意味はストレートに伝わってこない。だが逆に、観客は写真を見ながら、タイトルをヒントにして自分なりの物語を構築することができる。その面白さを、今回あらためて感じることができた。
インベのデビュー写真集『やっぱ月帰るわ、私。』(赤々舎、2013)の刊行からすでに5年近くが過ぎている。そろそろ次の写真集が出てもいいのではと思っていたら、赤々舎で企画が進んでいるそうだ。どんな写真集になるのかが楽しみだ。

2017/05/05(金)(飯沢耕太郎)

幕末明治の写真家が見た富士山 この世の桃源郷を求めて

会期:2017/04/13~2017/06/30

フジフイルムスクエア写真歴史博物館[東京都]

入江泰吉、牛腸茂雄、奈良原一高など、主に日本の写真家たちの企画展を開催しているフジフイルムスクエア写真歴史博物館で、「幕末明治の写真家」の作品をフィーチャーしたユニークな展覧会が開催された。富士山はいうまでもなく古来日本人の心を強く捉え、詩歌や絵画の題材としても繰り返し取り上げられてきたテーマだが、幕末に日本に渡来した写真も例外ではない。今回の展示は、フェリーチェ・ベアト、日下部金兵衛、ハーバード・ポンティングが撮影した富士山の写真を中心に、水野半兵衛の珍しい「蒔絵写真」、小川一真、渡辺四郎らの作品を加えて構成されていた。
イタリア生まれで、幕末から明治初期にかけて横浜にスタジオを構えて活動したベアトは、その優れた撮影技術を駆使して、エキゾチックな富士山の眺めを巧みに捉えている。外国人のための土産物として販売されていた「横浜写真」の代表的なつくり手であった日下部撮影の富士山の写真は、隅々まで気を配って彩色された工芸品だ。1901年からたびたび日本を訪れ、何度も富士山を撮影しているポンティングは、むしろそのダイナミックで雄大な自然美を強調した。幕末から明治期にかけての「富士写真」に絞り込むことで、よくまとまった、中身の濃い展示になっていた。
ただ、いつも思うことだが、クオリティの高い企画が多いにもかかわらず、歴史博物館の展示スペースがあまりにも狭すぎる。今回の展覧会も、骨格を提示しただけで終わってしまった印象が強い。もう少し展示会場の面積を拡張できないのだろうか。なお、本展を監修したのは、2015年に『絵画に焦がれた写真 日本写真史におけるピクトリアリズムの成立』(森話社)を上梓した気鋭の写真史家、打林俊である。リーフレットに掲載された、彼の「いざ写し継がん、幕末・明治の写真家と不尽の富士」は行き届いた内容の解説文だった。

2017/05/04(木)(飯沢耕太郎)

奥山由之「君の住む街」

会期:2017/04/27~2017/05/07

スペース オー[東京都]

ちょうどトークショーの開催直後だったということもあって、原宿・表参道ヒルズ内の会場には観客があふれていた。同名の写真集(SPACE SHOWER BOOKS)の販売ブースやサイン会には長蛇の列。奥山由之の人気がいまや沸騰しつつあることがよくわかった。
今回の展示は、ファッション雑誌『EYESCREAM』2014年3月号~2016年11月号に連載された「すべてポラロイドカメラによって撮影された35人の人気女優」のスナップ=ポートレートのシリーズを中心に、撮り下ろしの東京の風景写真を加えて構成している。奥山の人気の秘密は、すでにタグ付けされている彼女たちのイメージを、ポラロイドのあえかな画像で、誰にでも手が届くレベルにまで引きおろしたことにあるのだろう。とはいえ、特に過激な再解釈を試みるのではなく、あくまでもインスタグラムで「いいね!」がつく範囲に留めている。そのあたりの匙加減が絶妙で、観客(男女の比率はほぼ半分)は、あたかも自分のために撮影された写真であると思いこむことができる。むろん、それをただの幻影にすぎないと批判するのは簡単だ。だが、どの時代でも観客とスターたちとのあいだに見えない回路をつくり出す特殊な魔法を使える写真家はいるもので、現在では、奥山がそのポジションに一番近いのではないだろうか。
以前、彼の写真展(「Your Choice Knows Your Right」RE DOKURO)について「ファッション写真の引力権から離脱すべきではないか」と書いたことがあるが、本展に足を運んで、必ずしもそうは思えなくなってきた。魔法は使えるうちに使い尽くしてしまうべきだろう。ファッションや広告を中心に活動する写真家が、「アート」の世界に色目を使うと、あまりにも過剰に反応し過ぎて、かえってつまらない作品になってしまうのをよく見てきた。シリアスとコマーシャルの領域を、むしろ意図的に混同してしまうような戦略が、いまの奥山には似合っているのではないだろうか。

2017/05/03(水)(飯沢耕太郎)