artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

八木進「CINEMA PARFUM 子供のころ、映写室を愛したように」

会期:2017/06/09~2017/06/15

富士フイルムフォトサロン東京 スペース2[東京都]

2012年に設立された東京カメラ部は、インターネット上で展開されている写真専門の投稿サイトである。毎年、投稿作品の人気投票を行なって「10選」を選び、渋谷ヒカリエで展覧会を開催している。今回、富士フイルムフォトサロン東京で個展を開催した八木進の「CINEMA PARFUM」のシリーズは、2015年に46万点のなかから「10選」に選ばれた作品だという。つまり、SNSの仮想空間から生まれてきた写真表現を、写真展のかたちに落とし込むという、なかなか興味深い試みだった。
作品自体は、閉館が決まった「約40年前に父が建てた映画館」で、息子をモデルに撮影したフォト・ストーリーで、モノクロームの写真を中心にしっかりと組み上げられていた。映写室の独特の雰囲気がうまく活かされていて、銀塩プリントのクオリティも申し分ない。写真展としては上々の出来栄えなのだが、せっかくの東京カメラ部とフジフイルムの共同企画という意味合いはやや薄れてしまった。むしろ、SNSで見る写真のあり方を、展示にももっと積極的に取り込んでもよかったのではないだろうか。写真展の概念を壊すような展示を期待していたのだが、やや肩すかしだった。ただ、インターネットの空間から、八木のような「写真作家」が出現してくるということ自体はとても面白い。SNSの参加者と写真展の観客とのあいだの回路をどのように構築していくかが、今後の大きな課題になりそうだ。

2017/06/14(水)(飯沢耕太郎)

宇井眞紀子「アイヌ、100人のいま」

会期:2017/06/08~2017/06/14

キヤノンギャラリー銀座[東京都]

宇井眞紀子は1992年、偶然のきっかけから北海道・二風谷で仲間たちと共同生活をするアイヌ女性、アシリ・レラさんと知り合い、「子連れで」彼らの写真を撮影し始めた。それから20年以上かけて、アイヌ民族の人たちと付き合い、『アイヌときどき日本人』(社会評論社、2009)、『アイヌ、風の肖像』(新泉社、2011)などの写真集を刊行してきた。今回、キヤノンギャラリー銀座で開催された個展「アイヌ、100人のいま」の写真群も、2009年から撮り続けたという労作である。北海道だけでなく、関東周辺から九州までも足を伸ばし、丁寧にコミュニケーションをとりながらポートレートの撮影を続けている。クラウドファンディングによる出版の企画も同時に進められ、冬青社から同名の写真集が刊行された。
宇井の写真撮影は「どこで撮影したいか考えてください。服装も撮られたい服装でお願いします」と告げるところから始まるのだという。つまり、どのような写真になるのかという選択は、モデルとなる人たちにほぼ委ねられている。結果として、並んでいる写真はかなりバラバラな印象を与えるものになった。その「自然体」の雰囲気が、逆に今回の撮影プロジェクトにはふさわしいものだったのではないだろうか。同じアイヌ民族の血を引く人々といっても、彼らを取り巻く環境も、彼ら自身の「アイヌであること」へのこだわりも、大きく引き裂かれており、むしろその多様性こそが「アイヌ、100人のいま」の根幹であると思えるからだ。全体的にポジティブな、明るいトーンでまとめられた写真群には、「今一番言いたい事」というそれぞれのメッセージが添えられていた。それらもまた多種多様であり、写真と言葉とが絡み合いながら「100の物語」を織り上げている。アイヌの人たちを鏡にして、日本人のあり方を浮かび上がらせる、志の高さを感じさせるドキュメンタリーである。なお、展覧会は、キヤノンギャラリー大阪(7月13日~7月19日)、キヤノンギャラリー札幌(7月27日~8月9日)に巡回する。

2017/06/13(火)(飯沢耕太郎)

笹岡啓子「PARK CITY」

会期:2017/06/06~2017/06/24

The Third Gallery Aya[大阪府]

笹岡啓子は2009年に写真集『PARK CITY』(インスクリプト)を刊行した。彼女の故郷である広島の平和記念公園とその周辺を、6×6判のモノクロームで撮影した写真をまとめたものである。だが広島での撮影は、すでに2001年頃から始まっており、写真集刊行後も断続的に続けられていた。今回のThe Third Gallery Ayaでの展示では、それらを現時点で振り返って再構築していた。
会場にはモノクローム作品だけでなく、近作のカラー写真も並んでいる。魂がフワフワと漂うような浮遊感を増したそれらの写真群も興味深かったのだが、今回の展示で最も力が入っていたのは、壁面に投影されていたスライドショーではないかと思う。そのなかには「作品」として制作されたものだけでなく、彼女が所属するphotographers’ galleryが刊行した『photographers’ gallery press no.12』の広島特集「爆心地の写真 1945-1952」(2014)のための調査の時に撮影されたスナップや、自分や友人たちの子供時代のアルバム写真なども含まれている。つまり、笹岡自身と広島との重層的な関わりのあり方を再検証しようという試みであり、そこではスライドショーという形式がとてもうまく機能していたと思う。おそらく『PARK CITY』というシリーズ自体、完結することなく続いていくことを前提としているのだろう。展示だけではなく、写真集としても、さらに新たなかたちでまとめ直すことができるのではないだろうか。次の展開が楽しみだ。

2017/06/07(水)(飯沢耕太郎)

第11回 shiseido art egg:吉田志穂展〈写真〉

会期:2017/06/02~2017/06/25

資生堂ギャラリー[東京都]

新進アーティストに展示の機会を与える「シセイドウアートエッグ」の企画では、ほぼ毎回、写真を使う作家が選出されている。今回は2014年の第11回1_WALL展でグランプリを受賞した吉田志穂が、新作を含む作品を発表した(審査員は岩渕貞哉、中村竜治、宮永愛子)。
吉田は撮影場所をあらかじめ画像検索し、地図や航空写真などで確認したうえで決定する。実際にその場所で撮影された写真をプリントに焼き付け、すでに持っていた視覚情報や実際に見た風景と比較しながら、「理想的なイメージと目の前の風景を組み合わせる」ことを目指していく。実際には、引伸ばし機の投影像の複写、画像を取り込んだパソコンのモニターの複写などを繰り返し行なうことで、現実とも非現実とも見分けがつきがたい、曖昧だが奇妙にリアルなイメージが生み出されてくる。「測量|山」のシリーズでは、それらを大小のプリントに焼き付けて壁面、床などに展示したり、スライド映写機で投影したりして、会場を構成していた。
このようなデジタル画像とアナログ画像の変換・操作を積み重ねることで「新しい風景」を創出していくような志向性は、もはやありがちなものになってきている。吉田の場合も、それほど新鮮な印象は与えられなかった。だが、新作の《砂の下の鯨》には、違った方向へと出ていこうという意欲を感じた。こちらは「鯨が座礁し、それを骨格標本にするために一時的にその囲いの中に埋められている」という場所を撮影した写真を下敷きにして、インスタレーションを試みている。手法的には前作と同じなのだが、「鯨の腹部の模様」を思わせる砂紋を強調することで、観客のイマジネーションをより強く喚起する物語性が組み込まれた。この方向性をさらに進めていくことで、独自の「語り口」を見出していくことができるのではないだろうか。

2017/06/05(月)(飯沢耕太郎)

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萩原朔美の仕事展

会期:2017/04/15~2017/07/02

萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館[群馬県]

昨年、萩原朔美が「萩原朔太郎記念 水と緑と詩のまち 前橋文学館」の館長に就任した。萩原朔太郎の孫というこれ以上ない出自に加えて、演出、編集、エッセイスト、映像・造形作家としての多面的な活動を展開している彼は、まさに同館の館長に適任といえるだろう。その萩原の「就任1周年」を記念して企画・開催されたのが本展である。「映像」、「アートブック」、「写真」、「編集」の各パートに、目眩くように多彩な作品が展示されていた。
ここでは、写真のパートを中心に見てみよう。萩原の写真の基本的な手法は「定点観測写真」である。同じポーズをとる「20代」と「60代」のポートレート。2、3歳の頃に撮影された小田急線の電車に万歳している彼の写真を、20代、30代、60代で再現した写真シリーズなどを見ていると、時の経過とともに、否応なしに死─滅びへと向かっていく人間の運命を感じてしまう。これらの「定点観測写真」もそうなのだが、萩原の写真作品にはつねに「差異と反復」に対するオブセッションがあらわれてくる。「変容を観察し変容の度合いを測ることに面白さを見出す」という彼の志向は、カメラ機能付きの携帯電話の登場でより加速してきているようだ。道路上の「丸いもの」を撮影した《circle》、鏡に自分を映して撮影した《selfy》、路上の「止まれ」の表示を、文字通り立ち止まって撮影した《とまれ》など、携帯電話で撮影した写真群は、驚くべき数に達している。物事の微妙な「差異」に徹底してこだわり、「反復」を積み重ねて視覚化していく試みは、彼自身の生と分かち難く密着することで、これまで以上に広がりを持ち始めているのではないだろうか。
萩原は、先頃東京都写真美術館で個展を開催し、6月5日に亡くなった山崎博と日本大学櫻丘高校の同級生だった。17歳の頃「写真家になる」と宣言した山崎に刺激されて、彼自身も写真家になりたいと思った時期があったという。その望みは、果たされなかったわけだが、山崎と共通する、写真というメディアの可能性を、あくまでもコンセプチュアルに問い続けていく志向は、いまなお彼のなかに脈打っている。「写真家・萩原朔美」の仕事をもっと見てみたい。

2017/06/03(土)(飯沢耕太郎)