artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

マスター・プリンター 斎藤寿雄

会期:2017/05/30~2017/07/02

JCIIフォトサロン[東京都]

世界的に見ても珍しい写真展といえるだろう。斎藤寿雄は1938年東京生まれ。1953年に株式会社ジーチーサンに入社して以来、写真印画のプリンター一筋で仕事をしてきた。1969年にドイ・テクニカルフォトに、2004年にはフォトグラファーズ・ラボラトリーに移るが、篠山紀信の「NUDE」展(銀座・松坂屋、1970)から、荒木経惟の「Last by Leica」(art space AM、2017)まで、そのあいだに手がけた写真展は数えきれない。1973年にはニューヨーク近代美術館で開催された「New Japanese Photography」展の出品作のプリントもおこなっている。名実ともに日本を代表するプロフェッショナルのプリンターといえるだろう。
今回の展示は、斎藤が思い出に残っているという写真家42人から、あらためてネガを借りてプリントした作品を集めたものだ。このようなプリンターの仕事に焦点を合わせた企画は、これまでほとんどなかったのではないだろうか。出品作家の顔ぶれが凄い。浅井慎平、荒木経惟、石内都、伊奈英次、宇井眞紀子、江成常夫、大石芳野、金村修、鬼海弘雄、北島敬三、蔵真墨、郷津雅夫、今道子、笹岡啓子、笹本恒子、佐藤時啓、篠山紀信、田村彰英、土田ヒロミ、東松照明、徳永數生、土門拳、長島有里枝、長野重一、ハービー山口、平林達也、広川泰士、深瀬昌久、細江英公、前田真三、正木博、松本徳彦、宮本隆司、村井修、村越としや、森山大道、山口保、山端庸介、山本糾、吉行耕平、渡邉博史、Adam Dikiciyan。こうして見ると、それぞれの作品に即して、プリンターの仕事の幅が大きく広がっていることがわかる。たとえデジタル化がさらに進行したとしても、斎藤のプリントから確実に伝わってくるアナログの銀塩写真の魅力は、薄れることがないのではないだろうか。今回はモノクロームのプリントだけだったが、カラーも含めた展示も見てみたい。

2017/06/01(木)(飯沢耕太郎)

濱田祐史「Broken Chord」

会期:2017/05/10~2017/07/08

PGI[東京都]

濱田祐史は「写真力」の高い写真家だと思う。これまでも、スモークで光を可視化したり(「Pulsar」2013)、被写体を色面に解体して再構築したりするなど(「C/M/Y」2015)、写真という表現メディアの可能性を高度に活かした作品を発表してきた。ただ、アイディアがあまりにも多彩なのと、その作品化の手際が鮮やかすぎて、どことなく小さくまとまった印象を与えることが多かった。だが、今回の「Broken Chord」のシリーズを見ると、その彼の「写真力」が、ようやく地に足がついたものとして発揮されつつあることがわかる。
今回は珍しくモノクローム作品で、2016年の9月からポーランドのヴロツワフに約1カ月滞在して撮影した写真を中心に構成している。ヴロツワフは過去にドイツ領だった時期もある街で、用済みになったポスターが壁に何重にも貼られていたり、建物の壁が何度となく塗り替えられたりしている眺めに、歴史や記憶の蓄積を感じないわけにはいかなかった。今回のシリーズは、その体験を強調するように、街中の矩形の構造を抽出してプリントしている。また「撮影した後に自身が滞在した記憶の蓄積も作品の鍵になる」と考えて、2台の引伸機を使った多重露光も試みている。結果的によく考えて制作されたシリーズになったのだが、むしろそのまとまりを壊すように展示の最後のパートに置かれた、やや引き気味の都市の遠景の写真群が興味深かった。作品の完結性を一旦保留して、より大きく拡張しようとしているところに、濱田の成長があらわれている。これで終わりにしないで、この「Broken Chord」の方法論をほかの都市(例えば日本)でも試みてみるのはどうだろうか。

2017/05/26(金)(飯沢耕太郎)

甲斐啓二郎「Opens and Stands Up」

会期:2017/05/23~2017/06/04

TOTEM POLE PHOTO GALLERY[東京都]

甲斐啓二郎は、2013年に同じTOTEM POLE PHOTO GALLERYで、「Shrove Tuesday」展を開催した。イギリスの村で350年余り続いている、村中の男たちがボールを蹴り合う「Shrovetide Football」という行事を取材した作品である。今回展示された「Opens and Stands Up」はそれとよく似ているが、東ヨーロッパのジョージア(グルジア)の村に伝わる、やはりひとつのボールを巡って男たちが体を張って争う「Lelo」という行事を取り上げている。村を流れる川の両岸でチーム分けをすることや、ほとんどルールがなく、教会以外は村中のあらゆる場所が舞台になることも共通している。「Shrovetide Football」がサッカーの原型だとすると、こちらはラグビーの起源となる行事ということだ。
「Shrovetide Football」もそうだったのだが、甲斐はあえて中心的な被写体であるボールを画面に写しこまないようにしている。そのことによって、純粋な体と体のぶつかり合い、感情の高ぶり、男たちの悲痛な表情が強調される。2014年に、やはりTOTEM POLE PHOTO GALLERYで展示され、2016年に「写真の会賞」を受賞した「手負いの熊」展(長野県野沢温泉村の道祖神祭「火付け」を撮影)もそうだったのだが、甲斐が目指している、民俗行事を撮影することで、スポーツや戦争の起源となる状況を浮かび上がらせるという意図がよく実現された展示だった。
こうなると、これまで撮影してきたいくつかの行事を、横糸で繋いでいくような構造を持つ、よりスケールの大きな作品を見たくなってくる。今回は13点と作品数がやや少なかったが、もう少し大きな会場での展示、ボリュームのある写真集の企画をぜひ実現してもらいたいものだ。

2017/05/24(水)(飯沢耕太郎)

ダヤニータ・シン「インドの大きな家の美術館」

会期:2017/05/20~2017/07/17

東京都写真美術館2階展示室[東京都]

インド・ニューデリー出身の女性写真家、ダヤニータ・シンの《インドの大きな美術館(Museum of Bhavan)》の展示は、とても興味深いインスタレーションの試みだった。会場には木で組み上げられた枠組みが設置されており、それらは自由に折り畳んだり開いたりできる。枠にはフレーム入りの写真を展示ができるのだが、それらも入れ替えが可能だ。つまりこの「美術館」は、作家自身をキュレーターとして、たとえ会期中でも組み替えが可能な、可動式のプライヴェート・ミュージアムなのだ。ダヤニータ・シンは、さまざまな「書類」をモチーフにした《ファイル・ミュージアム》(2012)を皮切りに、このシリーズを制作し始めたのだが、その発想のきっかけになったのは、2011年に京都を訪れたとき、襖や障子で間取りを変えることができる日本旅館に泊まったことだったという。いかにも日本人が思いつきそうなアイディアを、インド人の彼女が形にしていったというのが面白い。
実際に「美術館」に展示されている中には、これまで彼女が撮影してきた写真シリーズの作品も含まれている。「ユーナック」(去勢された男性)のモナを撮影した「マイセルフ・モナ・アハメド」(1989~2000)、アナンダマイ・マーの僧院の少女たちのポートレート「私としての私」(1999)などの写真が、「美術館」のなかに組み入れられ、新たな生を得て再構築される。近作になるに従って、その構造はより飛躍の多い、融通無碍なものとなり、ドキュメンタリーとフィクションが入り混じった独特の雰囲気を発するようになる。写真を「見せる」ことの可能性を、大きく更新する意欲的な作品といえるだろう。
なお本展と同時開催で、同美術館のコレクション展「いま、ここにいる──平成をスクロールする 春期」展がスタートした。1990年代以降の日本の写真表現を、収蔵作品によって辿り直す企画で、夏期の「コミュニケーションと孤独」、秋期の「シンクロニシティ」と続く。個展の集合体というやり方をとったことで、すっきりとした見やすい展示になっていた。全部見終わったときに、どんな眺めが見えてくるのかを確認したい。

2017/05/19(金)(飯沢耕太郎)

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異郷のモダニズム─満洲写真全史─

会期:2017/04/29~2017/06/25

名古屋市美術館[愛知県]

1932(昭和7)年に中国東北部に建国された満洲国については、どうしても負のイメージがまつわり付いている。「五族協和」や「王道楽土」といった耳障りのいいスローガンを掲げていたにもかかわらず、実質的には日本の傀儡国家であったことは明らかだからだ。だがその満洲の地に、独特の色合いを帯びた写真文化が花開いていたことは、それほど知られていないのではないだろうか。今回、名古屋市美術館で開催された「異郷のモダニズム─満洲写真全史─」展は、まさにその「満洲写真」研究の集大成というべき展覧会である。
じつは「異郷のモダニズム」と題する展覧会は、1994年に同美術館ですでに開催されている。そのときには、1928年に南満州鉄道(満鉄)弘報課嘱託として渡満し、1932年に「満洲写真作家協会」を組織した淵上白陽を中心とした、馬場八潮、米城善右衛門、土肥雄二、岡田中治らの、ピクトリアリズムとリアリズムを融合した作品群が中心に展示されていた。だが今回は、その前後の時期の写真も取り上げられている。
具体的には宮城県出身の櫻井一郎が、自ら撮影した写真印画を頒布する目的で1926年に組織した「亜東印画協会」の活動、さらにアメリカの戦後対日賠償に関する調査団(「ポーレー・ミッション」)の報告書に掲載された、満洲国崩壊直後の工場、工業施設の記録写真がそうである。これらの写真群によって、「満洲写真」はさらなる厚みと奥行きを備えて立ち上がってきたといえるだろう。約450点(展示替えの分を含めると約600点)の写真が放つ熱量はまさに圧倒的なものだった。長年にわたって調査・研究を進めてきた同館学芸員の竹葉丈の力業に敬意を表したい。
なお、展覧会に合わせて、貴重な図版や資料を多数収録した同名の写真集(カタログ)が国書刊行会から出版されている。

2017/05/18(木)(飯沢耕太郎)

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