artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

西村陽一郎「山桜」

会期:2016/03/18~2016/03/27

みんなのギャラリー[東京都]

西村陽一郎は、これまで印画紙の上に置いたモノに光を当ててそのフォルムを写しとるフォトグラムの手法で作品を制作してきた。今回東京・半蔵門のみんなのギャラリーで展示された「山桜」のシリーズでは、そのフォトグラムをデジタル化した手法を用いている。名づけてスキャングラム。スキャナー上に被写体を置いて、そのデータを元にプリントする方法だ。特筆すべきなのは、そのデータからネガ画像を出力していることで、結果として被写体の色相が補色に反転する。つまり赤っぽい色は青や緑に変わってしまうわけで、「山桜」なら赤っぽい雌蕊や若葉の部分が、青みがかった色に見えてくる。さらに通常のフォトグラムと違って、花弁や葉のディテールが、まるでレントゲン写真のような精度で写り込むことになる。花々が本来備えている神秘性、魔術性が、この手法によってさらに強調されているともいえる。
今回の「山桜」の展示を見ると、スキャングラムには、さらに表現の幅を広げていく可能性がありそうだ。西村はこの手法を使って、「山桜」だけでなく、ほかの植物群も含めた「青い花」のシリーズをまとめようとしている(6月に同ギャラリーから写真集として刊行予定)。だが、スキャングラムはもっとさまざまな被写体にも応用が効くのではないだろうか。例えばスキャングラムによるポートレートやヌードも面白そうだし。複数の画像をモンタージュすることも考えられるだろう。デジタル化の急速な進展にともない、これまでではとても考えられないような画像形成の可能性が生じてきている。今回はオーソドックスなフレーム入りの展示だったが、会場のインスタレーションにも工夫の余地がありそうに思える。

2016/03/18(金)(飯沢耕太郎)

今井祝雄「白のイヴェント×映像・1996-2016」

会期:2016/03/05~2016/04/02

Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku[東京都]

今井祝雄は1966年に東京・銀座の松屋デパートで開催された「空間から環境へ」展に「白のイヴェント×映像」と題する作品を出品した。1メートル角の白いラバースクリーン(4面)の一部が、前後にピストン運動する鉄棒によって隆起を繰り返している。そこに2台のプロジェクターで80点のカラースライドを5秒ごとに投影するという作品である。カラースライドを提供したのは大辻清司、東松照明、奈良原一高、横須賀功光。現代美術アーティストと写真家が合体したユニークなプロジェクトだった。今回Yumiko Chiba Associates viewing room shinjukuで再現されたのは、そのうちの一面のみだが、当時の臨場感が伝わってくる面白い展示になっていた。
なお、大辻(ヌード)と東松(顕微鏡写真、モンタージュ作品)のカラースライドは1966年当時のものだが、奈良原と横須賀は特定がむずかしかったので、鷹野隆大の「毎日写真」のシリーズに置き換えられている。だが、逆にそのことによって、1966年の時空間が2016年のそれと接続し、伸び縮みする映像の生々しさがより際立ってきていた。鷹野の素っ気ない風景写真に写り込んでいる建物の一部が、呼吸するようにうごめく様が、奇妙なユーモアを醸し出していたのだ。今後はほかの現代写真家の画像を使って、作品を更新し続けていくこともできそうだ。
今井は1946年の生まれだから、当時は弱冠20歳だったわけで、それを考えるとやや忸怩たる思いがある。最近の若い写真家やアーティストたちの作品は、小綺麗にはまとまっているが、未知の状況にチャレンジしていく意欲を欠いているように思えてしまうからだ。本作のような、現代美術や写真のジャンル分けを踏み越えていく破天荒な作品をもっと見たい。

2016/03/17(木)(飯沢耕太郎)

長島有里枝「家庭について/ about home」

会期:2016/03/16~2016/04/23

MAHO KUBOTA GALLERY[東京都]

東京・神宮前に新しいギャラリーがオープンした。元白石コンテンポラリーアートの久保田真帆さんがオーナーの、現代美術専門の商業ギャラリーだが、そのこけら落としとして、長島有里枝の「家庭について/ about home」展が開催された。
長島は1993年のデビュー以来、「家族」をテーマにした写真作品をコンスタントに発表し続けてきた。だが、2010年に刊行した『SWISS』(赤々舎、展示は白石コンテンポラリーアート)のあたりから、その取り組みの姿勢が変わってきたと思う。以前のように、直接的に「家族」を被写体として撮影し、生々しい関係を写し込んでいくのではなく、やや距離を置きつつ、「家族」と過ごした時間や、そこで積み上がってきた記憶を辿ろうとしているのだ。
『SWISS』では、祖母が遺した花の写真が重要な要素となっていたのだが、今回は母と共同作業で布や衣服を繋ぎあわせたテントを制作した。テントの素材には長島の息子が小さかった頃の服や、ヴァージニア・ウルフの言葉を刺繍した布などが使われており、「母とわたしの関係性─家族という関係性」が再構築されている。さらに、台所の一部や身近な人たちのポートレートなどを含む大小の写真群が、テントと呼応するように壁に貼られており、全体として、「家族」のイメージを透して見た「女性の経験」が緩やかに浮かび上がってきていた。アーティストとしての成熟を感じさせるいい展示だと思う。このシリーズは、ぜひ写真集としてもまとめてほしいものだ。
MAHO KUBOTA GALLERYのアーティストは、今のところ写真家は長島だけだが、今後はジュリアン・オピーや富田直樹のように、写真を下絵として絵画作品を制作する作家の展示も予定している。写真と現代美術の境界領域で活動するアーティストを、積極的にフォローしていってほしい。

2016/03/16(水)(飯沢耕太郎)

「屋須弘平 グアテマラ140年のロマン」

会期:2016/01/23~2016/03/27

あーすぷらざ3階企画展示室[神奈川県]

屋須弘平(1846~1917)は現在の岩手県一関市藤沢町の蘭方医の家に生まれ、17歳で江戸に出て医学、フランス語、スペイン語などを学ぶ。1874年に金星の太陽面通過を観測するために来日したメキシコ調査隊の通訳となり、75年にメキシコに渡った。76年にグアテマラに移り、80年にグアテマラ市で写真館を開業、以後一時帰国を挟んで、1917年に亡くなるまでグアテマラ市と古都 アンティグアで「日本人写真師」として活動した。
1985年、グアテマラに長期滞在していた写真家、羽幹昌弘が「ある古都の一世紀 アンティグア グァテマラ 1895-1984」(東京デザイナーズスペースフォトギャラリー)と題する写真展を開催した。数年前に再発見された屋須のネガからプリントしたアンティグアの風景・建築写真と、羽幹が1980年代に同じ場所を同じアングルから撮影した写真群を並置した写真展だった。僕はたまたまその展覧会を見て、屋須の写真家としての能力の高さに感嘆するとともに、アンティグアの街並が一世紀前とほとんど変わっていないことに驚いた。それをきっかけにして、屋須について調べ始め、当時『芸術新潮』誌に連載していた「フットライト 日本の写真」の原稿を執筆するため、アンティグアを訪ねることができた。その「グアテマラに生きた写真家 屋須弘平」という記事は、のちに『日本写真史を歩く』(新潮社、1992)におさめられることになる。
そういうわけで、屋須弘平の仕事はずっと気になっていたのだが、今回、横浜市栄区のあーすぷらざで、藤沢町に寄贈された屋須の遺品と遺作の回顧展が開催されることになり、久しぶりにその全貌に触れることができた。あらためて、屋須とその養子のホセ・ドミンゴ・ノリエガの写真群はとても面白いと思う。技術力の高さだけでなく、当地のキリスト教文化との密接な関係が、聖職者の肖像写真や教会の建築写真によくあらわれているからだ。また、アンティグアとその周辺の村を撮影したスナップ的な写真群も残っており、少しずつ写真家としての意識が変わりつつあったことが伺える。
今回は、羽幹昌弘の「ある古都の一世紀 アンティグア グァテマラ 1895-1984」に展示されていた写真も出品されており、懐かしさとともに、時を越えて異空間に連れ去られるような彼の写真の力を再確認することができた。来年は、屋須の没後100年にあたり、グアテマラの日本大使館でも記念イベントが予定されているという。さらなる研究の進展が期待できそうだ。

2016/03/06(日)(飯沢耕太郎)

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GABOMI.「/in/visible」

会期:2016/03/02~2016/03/25

資生堂ギャラリー[東京都]

資生堂ギャラリーが主催する新進アーティストの公募展、「shiseido art egg」には、時々面白い「写真家」が登場する。今回の第10回公募には370名の応募があり、そのなかから選ばれたGABOMI.の写真作品が展示された(前後の会期で川久保ジョイ、七搦綾乃展を開催)。
GABOMI.は1978年、高知生まれで、香川在住のアーティスト。「肉眼で見えない光」の様態を捉えるために、「TELENS」、「NOLENS」などのユニークな手法で制作している。「TELENS」=手レンズは「手をカメラのボディと組み合わせ、手で光を調節」して撮影し、「NOLENS」=ノーレンズは「カメラレンズを外してカメラ内部を開け放った状態で、屋外にて被写体をマクロ撮影し、色を抽出する試み」である。結果として、抽象化され、パターン化された、微妙なグラデーションの色面が出現してくる。それらをグリッド状に並べるのが、今回の展示の基本形だ。
試みとしては悪くないが、ここから先がむずかしいだろう。被写体として選ばれているのは、例えば「NOLENS」のシリーズなら、「コーラ(自販機) あじさい 椿 いちょう あじさいの葉」などであり、なぜこの手法で撮影して提示しなければならなかったかという根拠がやや乏しい。インクジェックプリントのクオリティ、壁面への展示の仕方も、これでいいのかという疑問が残る。紙焼きのプリントでは、「光」本来の物質性や輝きが抜け落ちてしまうように思えるからだ。そのあたりをクリアーしたうえで、さらに大胆な探究と実践が必要になってきそうだ。

2016/03/05(土)(飯沢耕太郎)

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