artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

森山大道写真展

会期:2016/01/23~2016/02/20

東京芸術劇場5階ギャラリー1[東京都]

AMでの「DAIDO IN COLOR」展の余韻がまだ冷めないうちに、東京・池袋の東京芸術劇場5階ギャラリー1で「森山大道写真展」が始まった。2月6日~6月5日にはパリのカルティエ現代美術財団で、近作による「DAIDO TOKYO 」展が開催予定で、このところの森山の展示活動には加速がついてきたようだ。
本展は「光と影」、「網目の世界」、「通過者の視線」の3部構成で、それぞれ特徴がある三つのシリーズを組み合わせて森山の作品世界を再構築している。1982年の写真集『光と影』(冬樹社)の掲載作30点を並べた「光と影」は、オーソドックスな回顧展の趣だが、「網目の世界」のパートでは初期の「ニューヨーク」や「アクシデント」などのシリーズからピックアップした作品18点を、シルクスクリーンで大きく引き伸してプリントし、壁紙状に反覆された目のイメージの上に重ねて展示している。「通過者の視線」のパートは2009~2015年に池袋や新宿の路上で撮影された新作をインクジェット・プリントで出力して、グリッド状に構成しており、森山のカラー写真の表現の、現時点での到達点を見ることができた。
以前の森山は、どちらかというと写真集の刊行を目標、あるいは区切りとして作品を発表していたのだが、このような展示を見ると、その意識が展覧会のほうにややシフトしてきているように思える。会場のレイアウトにあわせて、写真の数や並べ方を自在にコントロールすることで、観客を巻き込んでいくようなヴィヴィッドな展示空間を実現している。ただ、これだけ展覧会が続くと、作品を前にして新鮮な衝撃を感じるのはむずかしくなってくるだろう。写真集と写真展を両輪としつつ、新たな発表の形式を模索していく時期に来ているのかもしれない。

2016/01/25(月)(飯沢耕太郎)

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森山大道「DAIDO IN COLOR」

会期:2015/12/15~2016/01/30

AM[東京都]

森山大道といえば、モノクロームのコントラストを強調したストリート・スナップというイメージが強いが、じつは初期からカラー写真もかなりたくさん撮影している。1960年代~70年代に「朝日ジャーナル」や「週刊プレイボーイ」(篠山紀信と交互にヌード作品を掲載していた)に発表された写真はほとんどがカラーだし、それらをまとめて蒼穹舎から『COLOR』(1993)、『COLOR2』(1999)という2冊の写真集も刊行している。2000年代以降、デジタルカメラを主に使うようになってからは、むしろカラー写真の比率のほうが大きくなりつつあるように見える。
今回、東京・明治神宮前のアートスペース、AMでまとめて展示された、150点あまりの作品を見ると、森山にとってのカラー写真はモノクロームとはやや異なった意識で撮影されているようだ。森山自身は「モノクロームには、印象性、象徴性、抽象性があるけれど、カラーには、ポップでクリアーでジャンク、いい意味でペラペラな感じがある」と語っているが、たしかにカラー写真のほうが、被写体の色や「ペラペラな」質感にヴィヴィッドに反応しているように感じる。特に目につくのは、飲食店街などに氾濫する紫がかったピンク色や、丸みを帯びたエロチックなフォルムに対するエキサイトぶりで、モノクロームと比較すると、森山のフェティッシュな嗜好が剥き出しで表出しているのが興味深い。1960年代から70年代を中心に80年代の作品まで、バラバラな順序で並んでいたが、年代ごとに彼のカラー写真の変遷を追う展示も見てみたいものだ。


© Daido Moriyama / courtesy art space AM

2016/01/24(日)(飯沢耕太郎)

柿本ケンサク「TRANSLATOR」

会期:2016/01/16~2016/01/31

代官山ヒルサイドテラス ヒルサイドフォーラム[東京都]

柿本ケンサクは1982年、香川県生まれ。学生時代から映像作家として活動し始め、コマーシャルフィルムを中心に多くの仕事をこなしてきた。今回の代官山ヒルサイドテラス ヒルサイドフォーラムでの個展は、写真家としての本格的なデビュー展になる。
ソルトレイクシティのハイウェイ、アイスランドの氷海、スコットランド・アバディーンのCM撮影現場、カザフスタンのロケット打ち上げ、イギリス・ウェストンスーパーメアのアーティストがプロデュースしたという遊園地、モンゴルの草原地帯の人々──世界中を移動しながら仕事を続けている映像作家らしく、次々に新たな眺めがあらわれては消えていく。被写体のつかまえ方は揺るぎなく的確だし、それぞれのエピソードごとの写真群の並べ方、まとめ方も実にうまい。とはいえ、その映像センスのよさは諸刃の剣で、どこか空々しい「コマーシャルっぽさ」を感じてしまう写真も多かった。
気になったのは、むしろ撮影の合間にふと横を向いてシャッターを切ったような日常的な場面の写真で、それら空き瓶、食べかけのバナナ、枯れ葉や吸い殻に覆われたマンホールの蓋、プラスチック製の蠅たたきなどの捉え方に、彼らしいものの見方が芽生えつつあるように思う。今のところ、個々のエピソードを繋いでいく強固なメッセージはまだ見えてこないが、巨視的なイメージと微視的なイメージを対比させたり、重ね合わせたりしていくことで、「写真家」としてのスタイルが定まっていくのではないだろうか。そんな可能性を強く感じさせる展示だった。

2016/01/22(金)(飯沢耕太郎)

川田喜久治「Last Things」

会期:2016/01/08~2016/03/05

PGI[東京都]

川田喜久治は2000年代以降、以前にも増して精力的に作品を制作し、発表し続けている。2002~2010年の写真は「World’s End(世界の果て)」、2011~2012年の写真は「2011──Phenomena(現象)」というタイトルでまとめられ、それぞれフォト・ギャラリー・インターナショナル(現PGI)で展示された。そしてその「最後の項」として提示されたのが、今回の「Last Things(最後のものたち)」のシリーズである。
目の前の事象を「滅び」の相の下に捉えていく視点は、最初の写真集である『地図』(美術出版社、1965)以来一貫している。だが、そのメランコリックで瞑想的なイメージの強度は、近作になればなるほどより増してきているようにも感じる。川田は1933年生まれなので、80歳を越えてから、なお新作を次々に発表しているわけで、その創作意欲の高まりは特筆すべきものといえるだろう。
2000年以降の3シリーズを比較すると、微妙な変化も生まれてきている。今回の「Last Things」は、デジタル画像の加工や合成のテクニックがやや過剰なほどに使われていた前作と違って、ストレート写真への回帰が目につく。それだけではなく、天体現象と地上の現実を対比させる導入部は旧作の「The Last Cosmology」(1996)を思わせるし、「気まぐれ Los Caprichos」(1972~75)や『ルードヴィヒII世の城』(朝日ソノラマ、1979)につながる写真もある。つまり「Last Things」には、どことなく彼の写真家としての軌跡を辿り直しているような趣があるのだ。
今回の発表で三部作の一応の区切りはついたようだが、川田自身はこれで終わりという考えは毛頭ないようだ。さらに次のステップへとたゆみなく歩みを進めていく、そんな覚悟が充分にうかがえる意欲的な展示だった。

2016/01/15(金)(飯沢耕太郎)

伊澤絵里奈「そんな気がした」

会期:2016/01/09~2016/01/31

SUNDAY[東京都]

伊澤絵里奈は2013年の第9回「1_WALL」展のファイナリスト、同じ年に東京工芸大学大学院を修了している。その時の作品《うつろに、溶け込んで》は、「私に最も近い存在」である「弟」を中心に撮影したスナップショットのシリーズだったが、その後「彼」ができたことで、被写体の幅が広がった。今回の東京・三宿のカフェ・レストラン「SUNDAY」のギャラリースペースでの初個展では、「弟」と「彼」の写真をあえて「混ぜこぜ」にするようにして展示していた。
基本的には、90年代以降の日本の女性写真家たちのお家芸とでもいうべき、身近な他者にカメラを向けた、軽やかな「プライヴェート・フォト」といえる。だが、被写体との距離をできる限り縮め、感情移入しつつ撮影していた90年代の女性写真家たちと比較すると、どこか違いが出てきているように感じる。「弟」も「彼」も。どちらかといえば突き放した素っ気ない撮り方であり、身体の部分(手、脚、首筋など)や身振りの細部を、じっと観察しているように見えてくるのだ。自分とは異質の「近くにいる奇妙な生きもの」の観察日記といえるかもしれない。この観察眼がもう少し研ぎ澄まされてくると、なかなかユニークな作品に育っていきそうだ。
今回の展示は、写真編集者・ライターの山内宏泰の企画による「provoke page.3」として開催された。新進写真家にスポットを当てて毎月開催されている連続展で、これまで天野祐子、 田菜月が展示し、次回は山崎雄策展が予定されている。場所がややわかりにくいのが難だが、ゆったりとしたいい展示スペースなので、長く続くことを期待したい。

2016/01/10(日)(飯沢耕太郎)