artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

クロダミサト「My Favorite Things」

会期:2016/04/08~2016/04/24

神保町画廊[東京都]

クロダミサトが写真新世紀でグランプリを受賞したのは2009年だから、それから順調にキャリアを積み重ねてきたといえるだろう。同世代の女性を撮り続けている「沙和子」のシリーズも厚みを増してきたし、結婚や出産を経験して、写真家としての方向性が明確に定まりつつあるように見える。今回の神保町画廊での展示は、いくつかのシリーズを合体したミニ回顧展的な趣だったが、1点1点の作品が自立しつつ繋がっていて、なかなか見応えがあった。そのなかでも、特に新作の「Melt the ice cream」は、彼女が新しい世界に踏み込みつつあることを指し示すシリーズになるのではないかと思う。
「Melt the ice cream」というタイトルの作品は、すでに2015年に私家版の写真集としても刊行されている。この時は、クロダのインスタント写真に、京都造形芸術大学の同級生でもある河野裕麻のドローイングをプラスしていた。日常性と非日常性、即物的な光景と性的な場面が入り混じるスタイルは踏襲されているが、今回展示されたヴァージョンでは、よりクリアーに眼前の世界を再構築していこうとする志向が強まっている。ゲイの男性たちの性行為の場面や、太り気味の女性のヌードなどに、金魚やエビなどのイメージが加わって、シリーズとしてさらに成長しつつある様子がうかがえた。「沙和子」のような被写体を限定したセッションとは違う、より重層的な広がりと膨らみを備えた写真のあり方が、少しずつかたちをとりつつあるように思える。

2016/04/13(水)(飯沢耕太郎)

渡辺兼人「PARERGON」

会期:2016/04/11~2016/04/30

GALLERY mestalla[東京都]

本展のタイトルの「PARERGON(パレルゴン)」というのは、美術作品における「外、付随的なもの、二次的なもの」を表わす言葉。カントは絵の額縁や建築の列柱のようなそれらを、美術にとって非本質なものとみなしたが、デリダは本質的、非本質的という二分法そのものを脱構築すべきであると主張した。渡辺がなぜこの言葉をタイトルに用いたのかは不明だが、「写真至上主義者」である彼のことだから、写真における「PARERGON」を問い直そうという意図があることは明らかだろう。むしろ、写真表現の本質がどの辺りにあるのかを、逆説的に浮かび上がらせようとしているのではないだろうか。
会場に展示されている14点は、6×9判のカメラで撮影された縦位置の路上の光景で、すべて18×22インチのサイズに引き伸ばされている。写っているのはアスファルトで舗装されたあまり広くない道で、左右と奥には建物が並んでいる。どうやら雨上がりの場面が多いようで、歩道が黒々と濡れている写真が目につく。いつもよりはやや濃い調子で、黒みを強調してプリントしているように見える。
渡辺の写真は、いつでも何の変哲もない光景に見えて、見続けているうちに魔術的と言えそうな写真空間に誘い込まれていくように感じる。それを「PARERGON」を削ぎ落とした、純粋で本質的な写真の経験と言いたくなるのだが、「外、付随的なもの、二次的なもの」を欠いた「純粋写真」が、実際に成立するのかといえば疑問が残る。とはいえ、渡辺もそのことは承知の上で、写真撮影・プリントの行為を積み重ねつつ、「PARERGON」とその対立概念である「ERGON」の戯れに身をまかせようとしているのではないだろうか。

2016/04/13(水)(飯沢耕太郎)

中居裕恭「北斗の街──遡上の光景」

会期:2016/04/05~2016/09/25

三沢市寺山修司記念館エキジビットホール/短歌の径[青森県]

2016年2月17日に60歳で急逝した中居裕恭の遺作展が、青森県三沢市の寺山修司記念館で開催された。中居は1955年、青森県八戸市生まれ。1976年にワークショップ写真学校の細江英公教室で学び、その後、森山大道や北島敬三が所属していたギャラリー、CAMPの活動に参加する。八戸に帰郷してからは、ギャラリー北点を主宰し、写真集としては『北斗の街──遡上の光景』(IPC、1991)、『残りの花』(ワイズ出版、2000)を刊行した。じつは寺山修司記念館で森山大道との二人展を開催する予定があり、準備を進めていた矢先の突然の死だったという。本展の作品セレクト・構成は、その遺志を受け継いで、森山自身の手によっておこなわれた。
ぬめぬめと照り輝くような黒みを帯びたプリント、内から滲み出るような鈍い光を発するモノや人間たち、ざっくりと大づかみに切り取られた殺気を孕んだ路上の眺め──たしかに森山大道の強い影響力が刻みつけられてはいるが、そこには北方志向とでも言うべき骨太な写真表現が、確実に根を張り、大きく育ちつつあった。森山が「単純な郷土愛じゃなく、もっと広い視野に立つと見えてくるものを求め続けた写真家だった」というコメントを寄せているが、まったくその通りだと思う。
そして、その「広い視野」が、よりくっきりとあらわれていたのは、記念館の外の松林を抜けて寺山修司の文学碑に続く「短歌の径」に、パネル貼りで野外展示された12点の写真群だった。小川原湖を望む、広々とした風景のなかで、あらためてそれらの作品を見直すと、中居があたかも事物や風景の呼吸に合わせて、深々と、抱き寄せるようにシャッターを切っているさまが、ありありと見えてきたのだ。今回展示されたのは「北斗の街──遡上の光景」のシリーズだけだったのだが、その後の彼の写真家としての歩みを辿るような写真展も、ぜひ実現してほしいものだ。

2016/04/10(日)(飯沢耕太郎)

「美を掬う人 福原信三・路草─資生堂の美の源流─」

会期:2016/04/05~2016/06/24

資生堂銀座ビル1・2階[東京都]

福原信三(1883~1948)は資生堂化粧品の初代社長、福原路草(本名、信辰 1892~1946)はその9歳下の弟である。彼らは大正から昭和初年に写真家として活動し、優れた業績を残した。信三は忙しい会社経営の傍ら、1921年に冩眞(しゃしん)藝術社を結成し、写真プリントの「光と其諧調」を強調する作画の理論を打ち立てて、同時代の写真家たちに大きな影響を及ぼした。一方、路草はディレッタントとしての人生を貫き、信三のロマンチシズムとは一線を画する、理智的かつ構成的な画面構成の写真作品を残している。
資生堂意匠部(現 宣伝・デザイン部)創設100周年を記念する今回の展覧会には、信三と路草が残した未発表ネガから、同部所属の写真家、金澤正人が再プリントした作品、約50点が展示されていた。信三と路草の作風の違いがくっきり見えてくるだけでなく、彼らの写真の、時代を超えたクオリティの高さが、よく伝わる好企画だと思う。
写真家の残した未発表ネガを再プリントすることについては、いろいろな問題がつきまとうのも確かだ。どこまで勝手に作品を選べるのか、どれくらいの解釈の幅があるのかという判断は、なかなかむずかしい。ただ、今回の展示について言えば、資生堂の「美の遺伝子」がどのように受け継がれているのかを確認するという意味で、面白い試みになったと思う。金澤の解釈は、デジタル化したデータからのプリントも含めて、現代的な感性を充分に発揮したものであり、二人の写真から新たな魅力を引き出していた。それをポジティブに評価したいと思う。これまでの見方とは逆に、信三の写真から力強さが、路草の作品からは繊細さが引き出されているように見えたのも興味深かった。

2016/04/08(金)(飯沢耕太郎)

仙谷朋子「Life」

会期:2016/04/01~2016/04/30

nap gallery[東京都]

仙谷朋子は1975年生まれ、東京藝術大学美術学部彫刻科を卒業後、同大学院美術研究科を2000年に修了し、主に写真作品を中心に発表している。今回のシリーズは、勤務先の東海大学の海洋調査船に乗り組んで、39日間を赤道直下の南太平洋で過ごした体験を元にしたものだという。つまり「海の上のlife」というわけだ。
僕も多少は経験があるが、船の上では地上とはまったく異なる身体感覚を味わうことができる。つねに足元が揺れ動いている不安定な状況は、視覚や聴覚を狂わせ、精神的にも大きな変動をもたらすだろう。仙谷にとっても、その体験はひどい船酔いも含めて相当に強烈なものだったようだ。だが、あまりにも「キョーレツでありキツかった」ために、2012年のその航海の体験を作品化するにはかなりの時間がかかってしまった。逆にいえば、それだけ時間をかけて熟成したからこそ、クオリティの高いシリーズに仕上がったのではないかと思う。
展示作品は全9点。海面のイメージに球体をフォトグラムの手法で焼き付けた大作、「架空の南半球の星座」を構成した作品、船窓を思わせる円形の画面に海と鳥のイメージを封じ込めた作品から成る。「海の上のlife」を直接的に(ドキュメント的に)再現したものではないが、個人的な体験を普遍的なそれへと昇華することによって、なかなか味わい深い、非日常のなかの日常の手触りが感じられるようになっていた。「life」というテーマは、さらにいろいろなかたちで変奏できそうな気がする。ぜひ、このシリーズの続きを見てみたい。

2016/04/07(木)(飯沢耕太郎)