artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

「手負いの熊」

会期:2014/05/06~2014/05/18

TOTEM POLE PHOTO GALLERY[東京都]

甲斐啓二郎は、同じ会場で2012年10月に「Shrove Tuesday」と題する個展を開催している。イギリスの村に伝わる、作家の原型というべきボール・ゲームの様子を撮影した作品である。今回の「手負いの熊」はその続編というべきだろう。
撮影場所は長野県野沢温泉村で、そこで繰り広げられる「道祖神祭り」が今回の被写体である。「社殿」と称される櫓に火をつけようとする一団と、それを防ごうとする一団が、文字通りの肉弾戦でぶつかり合う。「Shrove Tuesday」もそうだったのだが、甲斐は祭りの全体を俯瞰するようなポジションはまったくとらず、うねりつつ形を変えていく集団の中に、呑み込まれるようにしてシャッターを切る。そのことによって、闇の中で焔が渦巻き、煙が上がり、喧騒に包み込まれる状況が、いきいきと、まさに「生身」の姿であらわれてくる。甲斐が興味を抱いているのは、この祭りがきわめて「競技的」な構造を備えているということだ。かつては神事としておこなわれていた祭礼や行事が、スポーツに転訛していくのは世の東西を問わずよくあることだ。この文脈をさらに深く掘り下げていくと、闘争=ゲームの本質が、写真を通じてくっきりと浮かびあがってくるのではないだろうか。
ただ、もう少し人類学、民族学、神話学などの知を総動員しないと、単なる物珍しい行事の記録だけに終わってしまいそうだ。また、数をこなすよりも、むしろ一つの行事に深く絞り込んでいくことも必要になってくるのではないだろうか。

2014/05/07(水)(飯沢耕太郎)

隣人 イスラエル現代写真展

会期:2014/05/03~2014/06/15

東京アートミュージアム[東京都]

おそらく日本でははじめての「イスラエル現代写真展」だろう。自身がインスタレーション作家でもあるレヴィヴァ・レゲヴのキュレーションにより、東京・仙川の東京アートミュージアムで20人のアーティスト、写真家の作品の展示が実現した。各作家の出品点数が1~3点とやや少なく、もう少しそれぞれの作品世界がよくわかるような構成にしてほしかったし、解説もややわかりにくかった。それでも、とても興味深い内容の展覧会であったことは間違いない。
いうまでもなく、イスラエル人にとっての「隣人」とは、パレスチナ、アラブの人たちである。だがいうまでもなく、両者は「しばしば相反する歴史的文脈、イデオロギーの切望、そして国家的野望を負って」きた。その「隣人」同士の、複雑で微妙な関係をテーマにした作品を集成したのが、今回の展覧会である。当然、歴史的、政治的文脈を強く意識した表現が頻出する。ミハ・ウルマンの1972年のパフォーマンスの記録「Messer-Metzer: Exchange of Earth」では、アラブの村、Messerとイスラエル側のキブツ、Metzerに掘った穴の土を交換する。フォト・ジャーナリズムとアートの両方の分野にまたがって活動するパヴェル・ヴォルベルグの「Dir-Kadis」(2004年)では、目隠しされて後ろ手に縛られたアラブ人の男性、イスラエル軍の戦車、白ヤギたちが三位一体の構図をとる。周辺諸国との極度の緊張関係の中で生活し、制作しなければならないイスラエル人アーティストたちが、政治的にならざるを得ない状況がよくわかる。
もう一つはキュレーションを担当したレヴィヴァ・レゲブやライダ・アドン、タル・ショハット、アニサ・アシカルなどの女性アーティストの作品に典型的にあらわれているように、身体性と演劇性を強調する仕事が目につくことだ。自己と他者との境界線を常に意識する中で、身体を介して現実世界の感触を確かめようという強い欲求が、彼女たちの中に芽生えつつあるということではないだろうか。いずれにせよ、歴史・政治意識が極めて希薄な日本の写真家たちの仕事の対極というべき「イスラエル現代写真」が、はじめてきちんとした形で紹介されたことの意義は大きい。

2014/05/03(土)(飯沢耕太郎)

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北井一夫「村へ」

会期:2014/04/25~2014/05/31

ツァイト・フォト・サロン[東京都]

欧米のアート・マーケットでは、ヴィンテージプリントの価格が高騰している。言うまでもなく、撮影されてすぐに印画紙に焼き付けられ、そのまま時を経て現存しているプリントのことだ。希少価値はもちろんだが、撮影当時の空気感を生々しく感じられるものが多く、写真作品のコレクターの間では人気が高い。日本の写真家たちの1960~70年代のヴィンテージプリントも、欧米のコレクターたちにとっては垂涎の的のようだ。ちょうど前回の橋本照嵩展に続いて、今回の北井一夫展も「全てヴィンテージプリント」の展示だったのが、ちょっと面白いと思った。僕自身はヴィンテージ絶対主義者ではないが、コレクターたちの心理も充分に理解できる。ややセピア色に褪色したりしているプリントの前に立つと、その中に強い力で引き込まれていくように感じるからだ。
もっとも、それが北井一夫の「村へ」の展示だったことも大きな要素ではあるだろう。彼が1970年代前半に『アサヒカメラ』に連載し、75年に第一回木村伊兵衛写真賞を受賞したこのシリーズは、いま見てもいぶし銀の輝きを発している。人物を突き放すように、やや距離を置いて画面の中心に置き、周囲を大きくとって村の環境を細やかに写し込んでいくスタイルは、当時多くの写真関係者を驚嘆させたものだ。一見無造作なようで、そこには北井の写真家としての周到な配慮があり、当時急速に解体しつつあった村落共同体のありようを、哀惜を込めて写しとっていくにはそのやり方しかなかったことが伝わってくる。その名作を35点のヴィンテージプリントで見ることは、他に代えがたい歓びを味わわせてくれる視覚的体験だった。

2014/05/01(木)(飯沢耕太郎)

文藝絶佳──林忠彦、齋藤康一、林義勝、タカオカ邦彦 写真展

会期:2014/04/19~2014/06/29

町田市民文学館ことばらんど[東京都]

林忠彦の『小説のふるさと』(中央公論社、1957)は、彼が1956年に『婦人公論』に連載したシリーズをまとめた写真集だ。12人の小説家の作品を選び、その舞台となった土地を撮影しながら、物語世界を再構築していく。林といえば、戦後すぐの「焼け跡・闇市」の時代を活写した「カストリ時代」の写真群や、太宰治、坂口安吾ら「無頼派」の文士たちのポートレートが有名だが、僕はこの『小説のふるさと』が、彼の写真家としての力量をもっともよく発揮した作品だと思う。
土門拳の「絶対非演出の絶対スナップ」の提唱を真摯に受けとめつつ、それに盲目的に追従することなく、持ち前の演出力と画面構成の能力を充分に発揮したこの作品の魅力を、今回の町田市民文学館ことばらんどの展示でも味わうことができた。残念ながら今回展示されたのは、川端康成「伊豆の踊り子」、三島由紀夫「潮騒」、椎名麟三「美しい女」、志賀直哉「暗夜行路」、石坂洋次郎「若い人」の5作品に取材した写真だけだったので、ぜひシリーズ全体を概観する展覧会を実現してほしいものだ。
なお、林忠彦のほかに、齋藤康一「THE MAN 時代の肖像」、林義勝「観世清河寿の能」、タカオカ邦彦「町田文学散景」の3作品も同時に展示されていた。3人とも林忠彦門下という共通性はあるが、それぞれアプローチは異なっている。齋藤の正統的な「作家のポートレート」、原テキストに遡って能の世界を探求する林義勝の試み、町田を舞台にした現代作家の作品のバックグラウンドを撮影したタカオカの撮りおろしと、見応えのある作品が並んだ。チラシに掲げられた「物語を紡ぐのは小説だけではない」という言葉は本当だと思う。

2014/04/26(土)(飯沢耕太郎)

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桑原甲子雄の写真──トーキョー・スケッチ60年

会期:2014/04/19~2014/06/08

世田谷美術館[東京都]

1993年に世田谷美術館で開催された桑原甲子雄と荒木経惟の二人展「ラヴ・ユー・トーキョー」は、とてもエキサイティングな展覧会だった。同じ世田谷区在住ということだけでなく、荒木の母校である都立上野高校の前身は、桑原が卒業した市立二中だったという不思議な縁もあるこの二人の写真家は、東京の街をずっと撮り続けてきた。だが彼らのスナップ写真は、似ているようでかなり肌合いが違う。荒木の能動的に仕掛けていくような写真に対して、桑原は徹底して受け身の姿勢でシャッターを切っている。その結果として、桑原の写真には、戦前から戦後の高度経済成長期、さらにバブル崩壊の次期に至る東京の空気感が、そのままリアルに写り込んでいるように思えたのだ。荒木のけれん味のある作風と比較すると一見地味だが、桑原の写真には誰もが既視感を覚えてしまうような、柔らかな包容力を感じとることができた。
今回の「桑原甲子雄の写真──トーキョー・スケッチ60年」展は、それから20年あまりを経た回顧展である。昨年末に代表作を集成した『私的昭和史』(上下巻、毎日新聞出版局)が刊行されるなど、没後7年あまりを経て、いまなお彼の写真のみずみずしい鮮度が失われていないことを確かめることができた。今回展示された約220点の作品のほとんどは、「ラヴ・ユー・トーキョー」展の前後に世田谷美術館に収蔵されたものである。だが、写真集、雑誌などの資料展示が充実しているだけでなく、ほぼ初めて公開された作品もある。そのひとつ、スライド上映された「カラーのパリ」(1978)のシリーズを見て、桑原ののびやかなカメラワークによって、出来事が、明確な形をとる前の未分化な状態のまま、生々しく写り込んでいることにあらためて驚かされた。アンリ・カルティエ=ブレッソン流の「決定的瞬間」の対極とも言えるその感触は、桑原の写真に独特のものに思える。

2014/04/22(火)(飯沢耕太郎)

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