artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

横浪修「1000 Children」

会期:2014/04/25~2014/05/30

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

広告やファッション写真の世界でいい仕事をしている横浪修だが、2007年に写真集『なんのけない』(新風社)を刊行して以来、独特の角度から現実世界を見つめ直すプライヴェート作品にも力を入れている。今回、EMON PHOTO GALLERYで発表された「1000 Children」は、京都の三十三間堂の千体仏に衝撃を受けて発想されたものだという。
「幼児期の自我が芽生える頃のこども」をモデルとし、同じ白シャツに黒い吊りスカート(ズボン)を着用させ、頭部と肩の間にリンゴ、マンゴー、アケビ、オレンジなどの果物や野菜を挟み込んで、白バック、間接光で撮影する。4年間で実際に1000人のこどもたちを撮影したというから、大変な労作といえるだろう。いろいろな大きさにプリントされ、手際よく壁面に配置された写真群を眺めていると、この種の写真に特徴的な差異性と共通性の戯れに強く引き込まれていくのを感じる。
ただ、壁面にはたしかに1000人のこどもたちの写真が並んでいるのだが、それだけの数があるように見えないのはどうしてだろうか。三十三間堂の千体仏を間近に見る時に感じる、あの禍々しさ、不気味さ、イメージがとめどなく増殖していくような魔術的な雰囲気が、横浪の端正な作品からはきれいに抜け落ちているのだ。むろん彼がめざしたのは、千体仏の単純な再現ではないだろう。だが、どこか方向性を間違えているのではないかという疑いを、どうしても拭い去ることができなかった。

2014/05/14(水)(飯沢耕太郎)

富谷昌子「津軽」

会期:2014/05/02~2014/05/25

POST[東京都]

富谷昌子は大阪芸術大学で須田一政に師事していた2000年代初頭から、故郷の青森県津軽地方を撮り始めた。ツァイト・フォト・サロン(東京)で2010年に「みちくさ」、2012年に「キョウハ ヒモ ヨシ」と、2回の個展を開催している。今回のPOSTでの個展は、初の作品集『津軽』(HAKKODA)の刊行にあわせたもので、これまでに展示された作品と新作をあわせて17点が展示されていた。
作品を見て強く感じたのは、富谷が決して派手ではないが着実に自分の作品を熟成させ、とても魅力的な写真の世界を提示できるようになっていることだった。ツァイト・フォト・サロンでの最初の展覧会に出品された作品もかなり多く含まれているのだが、プリントのクォリティひとつとっても、以前とは比較にならないくらいに深みのある、高度なものになってきている。風土性に安易に寄りかかることなく、「津軽という土地にある“独特の静けさ”」にしっかりと向き合った写真群は、はっとするような鮮やかさで目に飛び込んできた。この数年間で、彼女の写真の表現力が格段に上がっていることがよくわかった。
本展と写真集の刊行により、大学時代以来の積み上げにひとつの区切りがついたことは間違いないだろう。「津軽」は富谷にとってまださまざまな可能性を持つテーマだとは思うが、そろそろ次のステージに進んでもいい頃ではないかと思う。これまでの写真の撮り方、見せ方にあまりこだわらずに、むしろ新たな領域に大胆に踏み込んでいってほしいものだ。

2014/05/14(水)(飯沢耕太郎)

桑原史成「不知火海」

会期:2014/05/07~2014/05/20

銀座ニコンサロン[東京都]

桑原史成は2013年に刊行した『水俣事件』(藤原書店)で第33回土門拳賞を受賞した。その受賞記念展として開催されたのが本展である。桑原が水俣病の患者さんたちを撮影しはじめたのは1960年だから、既に50年以上が経過している。一人の写真家の仕事として異例の長さであるとともに、これだけの質と厚みを備えたドキュメンタリー・フォトは、日本の写真表現の歴史においても希有なものといえるだろう。
土門拳賞の受賞対象となった著作が『水俣病事件』ではなく、『水俣事件』となっていることに注目すべきだろう。これは版元の藤原書店の藤原良雄がいくつかの候補から選んだもののようだが、桑原が撮影してきたのが単純に「水俣病」を巡る状況だけではなく、地域社会の全体を巻き込み、国際的にも環境汚染の問題を問い直すきっかけとなった「事件」の全体であったことを、よく指し示すネーミングといえる。
写真をあらためて見直すと、「生ける人形」と称された重症患者の少女を撮影した1960年代のよく知られた写真から、2013年の水俣病認定棄却処分を不当とする最高裁判決の記録まで、桑原がまさに一つの地域と時代とをまるごとつかみ取り、写真に残しておこうという強い意志に突き動かされてきたことがよくわかる。土門拳賞の「受賞理由」としてあげられた「ジャーナリスティックで距離感を保った一貫した姿勢」というのは、まさにその通りだと思う。日本のフォト・ジャーナリズムの記念碑的な作品というだけではなく、いまだ現在進行形の仕事であることに強い感銘を受けた。

2014/05/09(金)(飯沢耕太郎)

川内倫子+テリ・ワイフェンバック「Gift」

会期:2014/04/27~2014/06/22

IMA gallery[東京都]

川内倫子は1972年生まれ。テリ・ワイフェンバックは1957年生まれ。キャリアも違うし、活動場所も東京とワシントン・D.C.と隔たっているが、たしかにこの二人の作品には共通性がある。身近な環境を題材にしながら、それを「永遠」とか「深遠」とかいう言葉がふさわしいような眺めに変換させていく。光や空気感の微妙な変化に鋭敏に対応し、その震えをそっと定着していく姿勢もどこか似ている。実際にこの二人の写真家には2011年頃から交友があり、メールのやり取りや写真の交換などを続けてきたのだという。それを二人展という形で実現したのが、今回の「Gift」展である。
六本木のIMA CONCEPT STORE内のギャラリーでの展示の内容は、決して期待を裏切るものではなかった。二人の間で交わされた「往復書簡」にならって、交互に作品を展示するというアイディアもとてもよかったと思う。ワイフェンバックのプリントにだけ白枠をつけてあって、すぐに判別できるように工夫されていた。ただ残念なことに、二人の作品世界が共振する相乗効果のようなものはあまり感じられなかった。どちらかといえば、「優しさ」や「ゆらぎ」が強調された小さいサイズのプリントが多く、彼女たちの普段の展示から伝わってくるダイナミズムが影を潜めていたのも理由の一つかもしれない。小ぎれいなギャラリー・スペースの雰囲気も、作品に集中しにくくさせていたこともあるだろう。二人の実力は折り紙付きなのだから、もっと大胆な遊びや冒険を見せてほしかったと思う。

2014/05/09(金)(飯沢耕太郎)

米田拓朗「Fuefuki Channels」

会期:2014/04/23~2014/05/11

photographers’ gallery[東京都]

米田拓朗は、この所、山梨県の甲府盆地を流れる笛吹川の流域を撮影場所とする作品を発表してきた。前回の同会場での個展「笛吹川」(2012年4月3日~5月6日)に続いて、今回も川の流れによって摩滅して形をとった「丸石」を主な被写体としている。夏に上流から運ばれてきて、川筋のあちこちに点在するようになった石たちは、冬になると水が減ったり草が枯れたりしてその姿をあらわすようになる。米田はそれらの石の姿を、一つ一つ手で触るように凝視してカメラにおさめていく。会場に展示されていた14点の写真を見ると、水の中に完全に没したものもあれば、半ば姿を見せたもの、地上に顔を出したものなどさまざまな形をとっている。「丸石」は古来信仰の対象になることも多く、道祖神として土台に据えられているものまである。それらの石たちの多彩なあり様に、米田は川の流れがもたらす生活と文化の厚みを、重ね合わせて見ているように思える。
笛吹川のシリーズは、そろそろ写真集にまとめたり、より大きな会場で発表したりする時期にきているのではないかと思う。米田の凝縮した内容の個展の背景には、おそらく膨大な数の写真が撮影されていることが想像できるからだ。ただその時には、おそらく写真だけでなく、作品の成り立ちを丁寧に記述するテキストも必要になってくるだろう。

2014/05/07(水)(飯沢耕太郎)