artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
津田直「SAMELAND」
会期:2014/02/14~2014/03/06
POST[東京都]
先日、シカゴに行くため成田空港に出かけたときに、津田直にばったり出会った。聞けば、これからミャンマーの奥地に出発するのだという。その偶然の邂逅に大して驚きもしなかったのは、彼が旅を日常としていることをよく知っているからだ。何かに取り憑かれたようにと言いたくなるほど、あちこちに出かけている。その行動範囲の広さは日本の写真家のなかでも際立っているのではないだろうか。
今回彼が旅立ったのは、北極圏のサーメランド。フィンランドとノルウェーにまたがる地域に住むサーメ人たちの居住地である。彼らはトナカイの遊牧を主たる業として、伝統的な暮らしを営んでいる。津田はニールスというシャーマンの血を引く男と出会い、サーメ人たちとの交友を深めつつ、ノルウェー最北端の岬、ノールカップへと向かう。よき導き手を見出す(というより引き寄せる)能力の高さこそ、写真家としての津田の最も優れた資質であり、旅の間に撮影された風景や、ポロ・メルキトゥスと呼ばれるトナカイの親子を選別する行事の写真は、絶対的な確信を持って撮影されているように感じる。
今回の作品はメインの会場に5点。これらはどこか向こう側に連れ去られてしまいそうな、魅力的な風景写真である。さらに書店の本棚の隙間などに、サーメ人のポートレートを中心に8点がバラバラに並ぶ。この展示のたたずまいが実にいい。観客もまた、津田がサーメランドで経験した出会いを追体験できるように仕組まれているのだ。
2014/02/21(金)(飯沢耕太郎)
山谷佑介「Tsugi no yoru e」
会期:2014/02/12~2014/03/05
YUKA TSURUNO GALLERY[東京都]
ギャラリーの壁には8×10判のモノクロームのプリントが51点、アルバムのページを開いたような雰囲気で並んでいる。1985年、新潟生まれの山谷佑介の写真のスタイルは、まさに正統的なストリート・スナップだ。「Tsugi no yoru e」は大阪のアメリカ村界隈を中心に撮影されたシリーズだが、写真そのものの印象は時代や地域を超越している。見方によっては、エド・ファン・デル・エルスケンの「セーヌ左岸の恋」、ブルース・デビッドソンの「ブルックリン・ギャング」、ラリー・クラークの「タルサ」など、1950~70年代のユース・カルチャーを主題にしたプライヴェート・ドキュメントと、ストレートにつながっているようでもある。しかも、山谷のカメラワークやプリントワークはすでにかなり高度な段階にあり、若さに似合わない老練さすら感じられる。
ということは、大事なのはまさに「Tsugi no」作品ということになるのだろう。目の前に次々に出現してくる状況を的確な技術で把握し、スタイリッシュな画面にまとめ上げていく能力の高さは今回の展示で充分に証明されたのだから、次作でそれをどんなふうに発展させていくのか、あるいは停滞してしまうのかが問われることになる。センスのよさだけで評価される時期は意外に短い。どこで、どんなふうに撮影するのか、次なる展開に向けて、着々と準備を整えてほしいものだ。なお、本展は2013年に山谷が自費出版した同名の写真集に収録された写真をもとに構成された。黒い布をパッチワークのように繋ぎ合わせたユニークな表紙の写真集は、すでに完売しているという。
2014/02/20(木)(飯沢耕太郎)
MOTOKI「FIRST EXHIBITION SUMO」
会期:2014/02/07~2014/03/08
EMON PHOTO GALLERY[東京都]
面白い「新人」が登場してきた。独学で写真作品を制作・発表していたMOTOKIは、50歳代の女性写真家で、2児の母親、弁理士としての顔も持っているのだという。この「SUMO」というシリーズは、昨年、靖国神社の奉納相撲をたまたま見て「裸体の力士が戦う姿は神聖であり、神秘的」と感じたことをきっかけにスタートした。たしかに古来相撲は神事としての側面を持ち、巨大な体躯の力士たちが四股を踏み、塩をまき、互いに組み合う姿は、ある種の宗教的な儀式を思わせる。MOTOKIはその様子を、写真の画面の大部分を黒の中に沈め、ブレの効果を多用することで、象徴的な画像として表現した。その狙いはうまくいって、独特の静謐な雰囲気を醸し出す魅力的なシリーズとして成立していると思う。
思い出したのは、奈良原一高が1970年に刊行した写真集『ジャパネスク』(毎日新聞社)である。奈良原は1960年代前半にパリを拠点としてヨーロッパ各地に滞在し、65年の帰国後にこのシリーズを構想した。禅、能楽、相撲、日本刀などの伝統的な日本文化のエッセンスを、むしろ欧米からの旅行者のようなエキゾチックな視点でとらえている。MOTOKIのこの作品は、もしかすると新たな『ジャパネスク』として大きく育っていく可能性を秘めているのではないだろうか。相撲だけでなく、広く他の被写体にも目を向けて、日本文化の「かたち」を視覚的に再構築していってほしいものだ。今回の展示が彼女の初個展だそうだが、すでにインドに10年間通い続けて撮影した「野良犬」のシリーズなどもあり、意欲的に作家活動を展開していくための条件は整っているのではないかと思う。
2014/02/19(水)(飯沢耕太郎)
中里和人「光ノ気圏」
会期:2014/02/17~2014/03/01
巷房[東京都]
闇の向こうから光が射し込んでくるトンネルのような場所は、写真の被写体として魅力があるだけではなく、どこかわれわれの根源的な記憶や感情を呼び覚ますところがある。太古の人類が洞窟で暮らしていた頃の感情や、母親の胎内からこの世にあらわれ出てきたときの記憶が、そこに浮上してくるというのは考え過ぎだろうか。中里和人は、これまでも都市や自然の景観に潜む集合記憶を、写真を通じて探り出そうとしてきたが、今回、その格好の素材を見つけだすことができたのではないかと思う。
中里が撮影したのは、千葉県の房総半島中央部と新潟県十日町市に点在する素掘りのトンネルである。泥岩や凝灰岩などの柔らかい地層を掘り抜いて、川と川とを結ぶ水路を確保し、田んぼに水を引くことを目的としてつくられたトンネルが、この地方にたくさん残っていることを偶然知り、2001年頃から撮影を続けてきた。水が今でも流れているトンネルと、乾いてしまったトンネルとがあるのだが、いずれも岩を削り取った鑿の痕が生々しく残っており、どこか有機的で生々しい生命力を感じさせる眺めだ。そこに射し込む光もまたきわめて物質性が強く、闇とのせめぎあいによって、たしかに「太古の風景、未来の時空と自在に往還できる」と感じさせるような力を発している。
中里のカメラワークは的確に被写体の魅力を捉え切っているが、欲を言えば写真のプリントにもより強い手触り感がほしかった。
2014/02/18(火)(飯沢耕太郎)
藤岡亜弥「Life Studies」
会期:2014/02/12~2014/02/25
銀座ニコンサロン[東京都]
藤岡亜弥は2008年に文化庁の奨学金を得て、1年間の予定でニューヨークに住み始めた。ところが、彼女は滞在予定が過ぎてもそのままニューヨークに留まり、結局4年間を過ごすことになる。藤岡を強く引きつける魅力が、この街にあったということだが、今回の展示を見てなんとなくその正体がつかめたような気がした。
ニューヨークにいた4年の間に、彼女の前には一癖も二癖もある人物たちが次々に登場してきた。虚言癖のある男、マリファナ中毒者、自称「女優」、自己中心的なルームメイト──彼らに振り回され、辟易としながらも、藤岡は同時に強く引き寄せられていく。ニューヨークの住人たちは「みんなが病的で、まじめに滑稽」なのだ。その渦中に巻き込まれ、翻弄されながらも、藤岡はスナップショットの技術を鍛え上げ、カラー暗室に通ってプリントの作業を続けていった。そうやって形をとっていったのが、今回銀座ニコンサロンで展示された「Life Studies」のシリーズである。
タイトルは、藤岡が公園のベンチでページが開いているのを偶然に見つけたという、スーザン・ヴリーランドの小説のタイトルに由来するが、ニューヨーク滞在がまさに彼女にとって「生の研究」であったことが、とてもうまく表明されていると思う。自らの家族を撮影した『私は眠らない』(赤々舎、2009)で高い評価を受けた藤岡の、新たな作品世界の展開をさし示すシリーズであるとともに、日本に帰国した彼女が次に何をやっていくのかという期待を持たせる充実した内容だった。できれば、ぜひ写真集としてもまとめてほしい。
なお、この展覧会は、3月27日~4月2日に大阪ニコンサロンに巡回する。
2014/02/12(水)(飯沢耕太郎)