artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

堀井ヒロツグ「Voices」

会期:2014/03/10~2014/03/22

Art Gallery M84[東京都]

2013年度の東川町国際写真フェスティバルの関連行事「赤レンガ公開ポートフォリオオーディション2013」でグランプリを分けあった青木陽に続いて、堀井ヒロツグの個展が、東京・東銀座のArt Gallery M84で開催された。
青木の「写真論写真」というべきコンセプトの追求とはまったく対照的に、堀井は「セットアップとスナップショットの中間」と自ら称する柔らかなカメラワークで、ゲイのカップルの日常を細やかに描写する。主に2005~09年の東京在住(現在は京都で暮らす)の時期に撮影された写真群には、「周囲の環境に鋭敏に反応」することで、どうしても深い傷を負わざるを得ない彼らの姿が、その痛みを共有する作者によって写しとられている。何よりも魅力的なのは、自分の体の中から聞こえてくる「声(Voices)」にじっと耳を澄ませ、壊れやすい存在を互いに身を寄せることで守っているような、彼らの切ない身振りの描写だ。ゲイの写真にありがちな派手で大袈裟な身体表現はまったくなく、あくまでも静かに、ゆるやかに水の底に沈んでいくような感触が、シリーズの全体を覆っている。
青木と堀井の写真はまさに対極に見えるが、どこか通じるところもありそうだ。3月10日の堀井の個展のオープニング前に行なわれたトークイベントで、青木は最後に「写真は世界があって成り立つ」と、堀井は「自分の足元から世界をくつがえしたい」と述べた。観念の側からと身体の側からとの違いはあるにせよ、どちらも写真を通じて新たな「世界」を見出すことを希求しているということだろう。

2014/03/10(月)(飯沢耕太郎)

鈴鹿芳康「新作! 世界聖地シリーズ:インドネシアより」

会期:2014/03/05~2014/04/01

ハッセルブラッド・ジャパンギャラリー[東京都]

鈴鹿芳康はサンフランシスコ・アート・インスティテュート卒業後、京都造形芸術大学で長く教鞭をとってきたアーティスト。版画からオブジェ作品まで、幅広い領域で作品を発表してきたが、近年は写真が中心的な発表媒体になりつつある。特にピンホールカメラを使用した作品は、東洋思想に造詣が深く、易や五行説などを下敷きに「必然と偶然が織り成す世界」を追求してきた彼にとって、さらに大きな意味を持ちつつあるように思える。
ひさしぶりの東京での個展でもある今回の新作展では、2012年に京都造形芸術大学退官後、新たな拠点となったインドネシア・バリ島で撮影した写真を展示している。太陽と海を中心に、仏教寺院や仏像などをシルエットとして配したシリーズは、8×10インチ判のフィルムを使用し、15秒から1分30秒ほどの露光時間で撮影された。それを伝統和紙(アワガミインクジェットペーパー)にデジタルプリントするという「ハイブリッド作品」として成立させている。ピンホールカメラはコントロールがむずかしく、実際に撮影してみないと、どのような画像が浮かび上がってくるのかはよくわからない。アーティストの主観的な操作ではなく、そこにある世界が自ずと形をとることを目指すという意味で、ピンホールカメラには写真表現の本質的な可能性が内在しているのではないだろうか。ハレーションを起こしつつ、天空に広がって微妙な彩をなす太陽の光の画像を見ながら、そんなことを考えていた。

2014/03/10(月)(飯沢耕太郎)

野村佐紀子「sex/snow」

会期:2014/03/01~2014/03/18

Bギャラリー[東京都]

野村佐紀子(写真)、一花義広(リブロアルテ、写真集発行)、町口景(デザイン)、藤木洋介(Bギャラリー)のコラボによる写真展企画の第二弾。今回は物語性を強く意識した前作とは違って、野村佐紀子がここ20年あまりかけて積み上げてきた「闇─裸体─部屋」というテーマが、より深く追求されていた。男性の手、脚など身体の一部を、闇の中に宙吊りに浮かび上がらせるような眺めも手慣れたものだ。その意味では、意外性があまり感じられない展開と言えるが、「雪」というもうひとつのテーマ系との絡み(内と外の世界の対比)、大、中、小の写真36点をバランスよく配置した画面構成など、これまで以上に洗練された美意識を、細部まで手を抜かずに発揮している。
特筆すべきは、リブロアルテから同時期に発行された同名の写真集(300部限定)の出来栄えで、点数が43点に増え、写真の並びも写真集のページをめくっていく速度、感触にあわせるように、厳密かつふくらみのあるものになってきている。ここではグラフィック・デザインを担当した町口景(町口覚の弟)の能力が、充分に発揮されていると言えるだろう。どうやら、この野村佐紀子の連続展示は、内容的に一貫したものではなく、その度ごとに形を変えながら続いていくことが予想される。ただ、あまりいろいろな方向に分散してしまうのも、ちょっともったいない気がする。前にも書いたのだが、全体を眺め渡す視点から書かれたシナリオが必要になってくるのではないだろうか。

2014/03/07(金)(飯沢耕太郎)

青木陽「火と土塊」

会期:2014/02/24~2014/03/08

Art Gallery M84[東京都]

昨年(2013年)8月に開催された東川町国際写真フェスティバルの行事の一環として開催された「赤レンガ公開ポートフォリオオーディション2013」。そこで最高賞のグランプリを分け合ったのが青木陽と堀井ヒロツグである。彼らの個展が、東京・東銀座のArt Gallery M84で相次いで開催されることになり、まず青木の「火と土塊」から展示がスタートした。
青木の写真について語るのはなかなか難しい。写っているのは、ごく日常的な事物や風景(カーテン、丸まった寝具、墓、森、海など)だが、それらを撮影し、プリントする過程において、何やら魔術的な操作が加わっているように感じる。全紙、あるいは小全紙サイズのモノクローム・プリントの前に立つと、その濃密なグレートーンに身も心もからめとられ、遠い場所へと連れ去られてしまうような気がしてくるのだ。その青木の写真の引力を支えているのは、むろん彼の写真にふさわしい被写体を選別し、嗅ぎ分ける鋭敏な感受性だが、それを達成するための極めて高度な技術力も見落とすことができない。ライカの一眼レフカメラと50ミリの標準レンズ、印画紙は粒状性に優れたイルフォードHP5、トーンをコントロールしやすい散光式の引伸し機、画像にコントラストと深みを与えるためのセレニウム調色──このような徹底した技術的なこだわりによって、印画紙の中に別次元の画像空間が形成されているように思えるのだ。しかも、彼がつくり上げる画面は、ジャクソン・ポロックの「オール・オーヴァー」からアンドレアス・グルスキーの「全体を一度に把握する構成」まで、該博な美術史、写真史の知識に裏づけられている。
あたかも中世の錬金術師のような彼の制作態度は、反時代的としか言いようがないが、逆にそこから現代の写真表現の新たな可能性が芽生えてきそうな気もする。形而上学的な思考力と職人的な技巧との、精妙かつ大胆な結合。彼の作品世界が、これから先どんなふうに大きく成長していくかが楽しみだ。

2014/02/24(月)(飯沢耕太郎)

イメージの力──国立民族学博物館コレクションにさぐる

会期:2014/02/19~2014/06/09

国立新美術館 企画展示室2E[東京都]

とても刺激的な展覧会だった。大阪・千里万博公園の国立民族学博物館が収蔵する34万点もの民族資料から、約600点を選りすぐって展示している。「プロローグ─視線のありか」のパートに並ぶ世界各地のマスクから、「第1章 みえないもののイメージ」「第2章 イメージの力学」「第3章 イメージとたわむれる」「第4章 イメージの翻訳」「エピローグ─見出されたイメージ」と続く展示は、圧巻としか言いようがない。目玉が飛び出し、口が裂け、体のあちこちが極端にデフォルメされたマスクや神像は、リアルな再現性からはほど遠いものだ。にもかかわらず、それらは魂の奥底に食い込み、始源的な記憶を引き出してくるような強烈なパワーを発している。これらのコレクションを見たあとは、並みの現代美術などは吹き飛んでしまうのではないだろうか。
考えたのは、このような民族資料を写真として提示するときにはどのような形がいいのかということだ。本展のカタログにも展示物の写真が掲載されているが、典型的な白バックの物撮り写真で、面白みはまったくない。たしかに、出品物の外観は細部まできちんと捉えられているが、あの圧倒的なパワーが完全に抜け落ちてしまっているのだ。理想をいえば、マスクや衣装や装飾品は、それらを実際に使用している人たちに、その場で身につけてもらって撮影したい。彫像なども現地の環境で見ると、まったく違った印象を与えるのではないだろうか。ちょうど津田直のサーメランドの写真のなかに、民族衣装を身につけた住人の素晴らしいポートレートがあったのを見た直後だったので、余計にそう感じてしまった。

2014/02/21(金)(飯沢耕太郎)

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