artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

安齊重男「MONO-HA BY ANZAI」

会期:2014/01/17~2014/01/22

ツァイト・フォト・サロン[東京都]

安齊重男は1969年頃から日本の現代美術家たちの展覧会を撮影し始めた。当初は純粋に展示の記録として撮影を続けていたのだが、20年、30年と時が経つにつれて、写真の持つ意味が少しずつ変質していったのではないかと思う。当時の現代美術シーンの貴重な記録という意味合いは、もちろん失われているわけではない。だが、それだけでなく、写真家と美術家たちの交流の様子、展示会場を取りまく社会的環境、さらに当事者である美術家たちの個性的な風貌などが写り込んだ、写真家・安齊重男の「作品」として評価されるようになっていったのだ。
今回のツァイト・フォト・サロンでの安齊の個展のテーマは、1970年代前半の「もの派」の作家たちの展覧会場である。取り上げられているのは菅木志雄、小清水漸、榎倉康二、高山登、本田眞吾、関根伸夫、李禹煥、成田克彦、高松次郎、原口典之。吉田克朗の11人。いずれも「もの派」の代表作家として、国内外で高く評価されているアーティストたちだが、当時はほとんどが20歳代の若手であり、世間的にはほぼ無名であった。安齊はむろん展示会場の正確なドキュメントをめざしているのだが、同時に彼らの自然発生的なパフォーマンスがいきいきと写り込んできている。菅、榎倉、関根、高松など、すでに故人となってしまったアーティストも多く、彼らの存在感が作品と共振して、異様なエネルギーの場を形成していることが伝わってきた。48点の展示作品の大部分は、70年代にプリントされたヴィンテージ作品であり、モノクロームの印画紙の生々しい物質感が、やはり彼らの作品と共鳴しているようにも感じた。

2014/02/12(水)(飯沢耕太郎)

松原健「反復」

会期:2014/02/07~2014/02/28

MA2 Gallery[東京都]

大森克己の「sounds and things」とともに、東京都写真美術館の「第6回恵比寿映像祭」(2月7日~23日)の関連プログラムとして開催された本展は、松原健にとっては同ギャラリーでの2年ぶりの個展となる。松原は、これまでも「人々の記憶が泌み込んだ写真や動画」にこだわり続けてきたが、今回の新作展ではそれがより多彩に、技術的にもより高度に洗練された形で実現されていた。
2階の会場に展示されていた「Hotel Continental Saigon」と「Potsdamer Platz」は、ベトナム、ホーチミン・シティの歴史的なホテルとドイツ・ベルリンのポツダム広場を背景に撮影された古写真と、同じ場所の最近の映像とを対比させる作品。1階の作品「Round Chair」では、水が入った複数のグラスが丸椅子の上に置かれ、その底でガラスの器が割れたり、少女が川の流れの中を遡ったりといった映像が揺らめく。これらの作品を通じて、松原はキェルケゴールの「反復と追憶とは同一の運動である、ただ方向が反対であるというだけなのである」というテーゼを、観客へ問いかけようとする。哲学的な作品だが、本やグラスや椅子のような日常的な事物を効果的に使うことで、こけおどしの重苦しさは注意深く避けられている。むしろ誰もが自らの記憶の奥底にあるイメージと重ね合わせることができるような、親しみやすい仕掛けが凝らされていると言えるだろう。
松原の作品のクオリティの高さは特筆すべきだと思うが、残念なことに日本の現代美術、写真関係者の反応は鈍い。むしろ近年はアメリカやヨーロッパでの展覧会が相次ぎ、評価が高まりつつある。日本のアート・シーンでは、どうしても若手に目が行きがちだが、彼のように長く、コンスタントに作品を発表し続けてきた中堅作家もきちんとフォローしていくべきではないだろうか。

2014/02/09(日)(飯沢耕太郎)

大森克己「sounds and things」

会期:2014/02/06~2014/03/09

MEM[東京都]

大森克己は音に敏感な「耳のいい」写真家だと思う。1994年に「写真新世紀」で優秀賞を受賞してデビューするのだが、そのときの作品はロック・バンドと一緒にヨーロッパや南米をツアーした旅日記だった。障害者のバンドを題材にした『サルサ・ガムテープ』(1998)という作品もある。音楽にかかわる人々や現場を撮影することが多いというだけでなく、大森は被写体を無音の事物として画面に凍りつかせることなく、それらをその周囲を取りまくノイズごと受け入れようとする姿勢が強いのではないだろうか。
その傾向は、今回のMEMでの個展にもはっきりと表われていた。「シューベルト 未完成交響曲の練習/うらやすジュニアオーケストラ」(2013)、メトロノームと管楽器を手にした少年を撮影した「black eyes and things」(2013)といった、音楽に直接的に関係する作品だけでなく、「耳を塞ぐ、そして耳を澄ます」(2013)、「呼びかけの声」(2013)といった「sounds」をはっきりと意識したタイトルの作品もある。むろん、視覚的な媒体である写真で聴覚的な体験をストレートに表現するのは不可能だが、大森はあえて色、形、光、空気感などを総動員して、画面から「聞こえない」音を立ち上がらせようとする。それを肩肘張らず軽やかにやってのけるのが、大森の写真術の真骨頂と言えるだろう。
今回の展示作品は新作が中心だが、2004年頃から折に触れて撮影してきた写真も含まれている。このところ、震災後の桜を撮影した『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー、2011)など、特定のテーマでまとめた作品を発表することが多かった大森だが、彼の写真行為のベースが、このような日々のスナップショットの積み重ねであることがよくわかった。

2014/02/09(日)(飯沢耕太郎)

西村多美子「しきしま」

会期:2014/02/05~2014/03/01

禪フォトギャラリー[東京都]

西村多美子は1948年、東京生まれの写真家。1969年に東京写真専門学院(現東京ビジュアルアーツ)を卒業した。在学中は唐十郎が主宰する状況劇場の舞台と役者たちを撮影していたが、卒業後は日本各地を旅しながら写真撮影を続けた。当時の若い写真家たちにとって、個人的な動機で旅に出て、目に触れたものを切り取っていくスナップショットは、写真表現の新たな方向性を示すものだったと言える。森山大道、北井一夫、須田一政らと同様に、西村もこの時期に「旅と移動」をベースとするような撮影のスタイルを身につけていく。そんなときに母校の東京写真専門学院の出版局から、写真集をまとめないかという話がくる。撮りためていた旅の写真から北海道、東北、北陸を中心にまとめて、1973年に出版されたのが写真集『しきしま』である。
今回の禪フォトギャラリーでの個展は、復刻版の写真集とセットになった新編集版の『しきしま』が刊行されるのにあわせて開催されたものである。会場には97×143cmの大判プリント1点を含めて、1990年代に再プリントされた8点が並んでいた。ざらついた粒子、不安定な構図、黒と白とのコントラストが強い画像は、言うまでもなく1960年代末~70年代の写真の基調トーンと言うべきだろう。森山大道、中平卓馬らの表現とも共通しているが、直接的な影響というよりは、同時代の時空間を共有するなかで無意識的に浸透していったと見るべきではないだろうか。西村の写真は、森山、中平よりもさらに粘性が強く、画像が軟体動物のようにうごめいている印象を受ける。2010年代になって『実存1968-69状況劇場』(グラフィカ編集室、2011)、『憧憬』(同、2012)など、写真集の刊行が相次いだことで、彼女の仕事に再び光が当たってきたことは、とてもいいことだと思う。西村に限らず、この時代の力のある写真家の仕事を、もっと積極的に掘り起こしていくべきではないだろうか。
なお、同時期に東京・青山のギャラリー、ときの忘れものでも、1970年前後を中心としたヴィンテージ・プリント32点による西村の個展「憧憬」(2月5日~22日)が開催された。

2014/02/08(土)(飯沢耕太郎)

アンディ・ウォーホル展 永遠の15分

会期:2014/02/01~2014/05/06

森美術館[東京都]

400点以上という「国内史上最大」の出品点数、ニューヨーク東47丁目の伝説のアートスタジオ「ファクトリー」の再現など、多面的かつ包括的なアンディ・ウォーホルの大回顧展である。だが、それを「写真展」として読み解くのも面白いのではないだろうか。
言うまでもなく、ウォーホルの制作活動は写真という表現メディアに多くを負ってきた。彼のシルクスクリーン作品のほとんどが、写真製版による既製のイメージの複写・反復をもとにしたものである。それだけではなく、ウォーホルは一種のカメラ狂であり、彼が出会ったセレブや身の回りの人物や出来事を写真におさめて続けてきた。それらの大部分は、彼自身の有名人崇拝、スノッブ趣味を満足させるために撮影されたスナップ写真の類だが、大判ポラロイドを用いたポートレートや、一枚の写真を複数焼き増しして縫い合わせた「縫合写真」(1970~80年代)など、写真作品としてのクオリティを感じさせるものも多数ある。
もうひとつ重要なのは、彼がセルフ・イメージを拡張・増幅・変容させるために、写真を徹底して利用していることだ。1960年代に「ポップ・アートの帝王」としての地位を確立してから以降、ウォーホルは最新流行のファッションを身につけ、鬘やメーキャップなどにも頼って、それらしいセルフ・イメージを流布し続けようとした。時には痛々しくも感じられるほどの、そのこだわりが、セルフ・ポートレート作品やスティーブン・ショアやビリー・ネームなど身近にいた写真家たちによるスナップ写真に刻みつけられている。
ウォーホルは1987年に亡くなっているので、90年代以降の写真のデジタル化に対応することはできなかった。ゆえに、もし彼がもう少し長く生きたならば、デジタルカメラとパソコンを使ってどんな写真作品を制作したのかというのは、とても興味深い設問だ。だが逆に、ウォーホルの奇妙に生々しい写真作品を見ていると、彼こそが、銀塩写真の時代の最後の輝きを体現した「写真家」だったのではないかとも思えてくる。

2014/02/04(火)(飯沢耕太郎)

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