artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
「指を置く」展 佐藤雅彦+齋藤達也
会期:2014/03/12~2014/04/26
dddギャラリー[大阪府]
私たちが展覧会に行って、グラフィック作品に「触れる」ことはほとんどない。本展は、グラフィックに指先を置いてみることから出発し、紙に表わされた内容と来館者の「指を置く」行為を通じて起こるインタラクションのありようを探求している。展覧会に来た人は、まず入口に設置された掲示とともに付されたウェットティッシュによって、手を拭くことを求められる。数々の作品には任意の点が示されており、そこに指示された五本の指のうちのある指を置くと、なんらかの力が作用して、図像がそれまでと違う解釈で認知されることになる。例えば、指定された点に指を置くと、二次元的表現ではないはずの異なる空間が創成されるように見える。置く行為によって、圧力がかかってバランスが変化したり、図像がよりリアルな表現に変容するように感じられたりする。身体の所作によって、メディア作品のなかに隠されていた、新しい表現が立ち現われるのである。こうした私たちの盲点を突くグラフィックの新しい表現は、佐藤氏の『任意の点P』(2003)、『差分』(2009)等の著書で実践されてきたもの。はっとさせられ、ううむと唸ってしまう展覧会である。[竹内有子]
2014/04/16(水)(SYNK)
世界を魅了したやまとなでしこ──浮世絵美人帖
会期:2014/03/30~2014/06/15
芦屋市立美術博物館[兵庫県]
浮世絵美人画ばかりおよそ120点からなる展覧会。葛飾北斎、渓斎英泉、三代目歌川豊国、歌川国芳、月岡芳年、菊川英山ら、歌麿以降に活躍した絵師による作品が揃った。片岡長四郎氏によって大正時代に蒐集された「片岡家所蔵浮世絵」からの出品である。
「やまとなでしこ」といえば、たおやかでやさしい、それでいて芯の強い女性が思い浮かぶ。日本女性の理想像といったところだろうか。仕事や家事をする姿、夕涼みや化粧をする姿、物語や歌舞伎の一場面のほか、趣向をこらした連作ものなど、登場する女性たちはみな活き活きと魅力的だ。そして、丹念に緻密に描かれたきものの色や模様が彼女たちを華やかに演出する。縞や格子、花鳥風月、小紋や絣、コーディネートや着こなしを見るだけでも楽しい。それとは対照的に、顔や身体の表情はいたって控えめ。焦点の定まらない釣り上がった目、小さくすぼめられた口元、すっと筋のとおった長い鼻、細面の顔のつくりは浮世絵の特徴とはいえどれも似通っている。きものから出ているわずかな身体、手先や足先は素肌の白さが印象的だ。きものの過剰なほどの装飾性と身体の抑制のきいた表現、このめりはりが「やまとなでしこ」たちに色香を添えている。
ところで、浮世絵の究極の醍醐味は蒐集にあるのではないだろうか。名だたる浮世絵コレクションのなかではこの片岡コレクションはけっして大きな規模とはいえないが、それでもこれだけの「やまとなでしこ」たちを手元において密かに眺めることはごく限られた趣味人にのみ与えられた特権に違いない。閑静な住宅街のなかにある小さな美術館では、その気分に一時だけ浸ることができる。[平光睦子]
2014/04/06(日)(SYNK)
「本の芸術」──武井武雄の「刊本作品」を知って
会期:2014/03/17~2014/04/05
不忍画廊[東京都]
日本橋高島屋で「武井武雄の世界展」が開催されていたのと同時期、高島屋と通りを挟んで向かいにある不忍画廊で「『本の芸術』──武井武雄の『刊本作品』を知って」という小展示があった。展示品は武井武雄の「刊本作品」と現代作家による「本」をテーマにした新作である。
刊本作品とは、武井武雄が1935年から亡くなる1983年まで(最後の刊行は没後の1984年)の約50年間に刊行した139冊の豆本で、挿絵に用いられた技法、物語のテキスト、造本など、ひとつとして同じものがなく、「本の宝石」とも称せられる驚くほど凝った造りの私家本である。概ね限定数300部で刊行され、購入できるのは登録された会員のみ。購入を希望する順番待ちの人たちの「我慢会」や、さらには「我慢会」に入会する順番待ちの「超我慢会」までできたほどの人気であったという。武井が刊本作品の制作に心血を注いでいたことは、例えば第108作『ナイルの葦』のエピソードにうかがわれる。なにしろこの作品では武井は本文に用いるパピルスの栽培から着手し、必要な枚数の紙が完成するまでに4年半もの歳月をかけているのである。
本展には、日本画家・土屋禮一氏が所蔵する刊本作品から14点が出品された。高島屋での展覧会ではガラスケースの外から眺めるしかなかったが、土屋氏のご厚意によって来場者は手にとって読むことができた 。いずれの作品も凝りに凝っている。木版や合羽摺による本はまだ理解の範疇にある。しかし、螺鈿細工や寄せ木細工、麦藁細工、あるいはステンドグラスなどを表紙や本文に貼り込むのは驚きである。それも同じものを300部、多いものでは600部制作しているのである。武井は本文と挿絵の原画を用意し、職人や印刷会社を自ら手配し、満足がいく仕上がりになるまで試行したという。伝統的な技法ばかりではなく、制作当時に最新であった印刷法も用いられている。さらに驚かされるのは、これほどの手をかけていながらも会員には制作費かかった経費のみを請求し、利益を得ていなかったことである。美しい本をオリジナルな表現でつくるという目的自体が武井のエネルギーであり喜びだったのだろうか。「私が刊本の表現形式の多角化を実践してきたことは新しい感覚の発見と創造のためであり、その多角化の可能性は無限である」と武井は述べていたという 。
本展の企画は、武井武雄の「刊本作品」を知って感動した不忍画廊の荒井裕史氏が「本の芸術」をテーマに9人の現代作家に制作を依頼したもの。出品作家は伊藤亜矢美、設楽知昭、鈴木敦子、つちやゆみ、釣谷幸輝、橋場信夫、藤田夢香、安元亮祐、山中現の各氏。刊本作品の300部に比べれば100分の1のスケールではあるが、限定各3部の本が出品された。「本」という表現形式をどのように解釈し、自身の作品とするか。その多様なアプローチが興味深かった。[新川徳彦]
関連レビュー
2014/04/05(土)(SYNK)
武井武雄の世界展──こどもの国の魔法使い
会期:2014/03/26~2014/04/06
日本橋高島屋8階ホール[東京都]
『コドモノクニ』『子供之友』『キンダーブック』などの絵雑誌で活躍した童画家。「童画」という言葉をつくった人物。武井武雄(1894-1983)についての私の知識はその程度の漠然としたものであったが、生誕120年を記念して開催されている本展を見て、武井の仕事の幅の広さに驚かされた。武井武雄は東京美術学校で西洋画を学んだ後、研究科に残りエッチングを学んでおり、戦前期から銅版画の作品を制作していた。1940年前後には自刻自摺の木版画も始め、戦後1950年代から60年代に抽象表現の創作木版画を制作している。童画と並んで重要な仕事は、武井が刊本作品と呼んだ豆本である。1935年から武井が亡くなるまでの約50年間に139冊が作られた(年に3冊ほどのペースである)。そこではつねに新しい様式の表現が試みられた。言葉にすると簡単だが、造本、印刷用紙に留まらない素材、活版印刷だけではなく木版画や銅版画などをその時々に使い分け、一つひとつがまったく異なる仕事なのだ。武井武雄はコレクターでもあった。戦前期に集めた日本全国の郷土玩具は一万点におよび、それらをモチーフにした伝承版画集を刊行し、オリジナルの玩具(イルフトイス)をデザインした。北原白秋が「螢の塔」と名付けた武井のアトリエにあった玩具のコレクション、童画の原画、油彩画などは空襲によりすべて焼失してしまった。そのような事情もあり、原画を中心に構成された今回の回顧展では戦前期の童画の展示が少なかったのは武井の童画のファンとしてはやや残念である。しかしながら、武井が印刷メディアを舞台に仕事をしていたことで、私たちはいまでも当時の絵雑誌の誌面に色彩鮮やかな作品を見ることができるのは、本当にありがたいことである。
本展は以下の会場に巡回する。横浜高島屋(2014/4/23~5/5)、京都高島屋(2014/5/8~5/19)、大阪高島屋(2014/8/6~8/18)。
[新川徳彦]
関連レビュー
2014/04/05(土)(SYNK)
のぞいてびっくり江戸絵画──科学の眼、視覚のふしぎ
会期:2014/03/29~2014/05/11
サントリー美術館[東京都]
徳川八代将軍吉宗が、享保5(1720)年に漢訳洋書の輸入規制を緩和した結果、西洋の科学・技術・文化を研究する「蘭学」が盛んとなった。もたらされたのは書物ばかりではない。顕微鏡や望遠鏡といった光学装置が海外から輸入された。こうした新しい知識や異国の装置が江戸期の日本に新しい視覚体験と絵画表現とをもたらしたことは、イギリス人研究者タイモン・スクリーチによって明らかにされてきた。この展覧会はスクリーチの『大江戸視覚革命』(作品社、1998)をベースに、五つの視点から江戸時代後期の新しい視覚文化を紹介するものである。
第1章は遠近法。奥村政信、歌川豊春、葛飾北斎、歌川広重らが透視図法を用いて描いた「浮絵」、風景画をレンズを通して立体的に見せる「眼鏡絵」、洋風の表現と図法を取り入れた「秋田蘭画」が紹介されている。第2章は鳥の眼。名所や神社仏閣を俯瞰して描く手法は古くから行なわれていたが、遠近法の導入によってより正確な鳥瞰図が描かれるようになった。西洋からもたらされた望遠鏡は18世紀には一般にも普及して見世物の道具としても利用された様子は、浮世絵にも描かれている。第3章は顕微鏡。オランダで発明された顕微鏡は18世紀半ばに日本にもたらされる。顕微鏡を使用して観察された蚤や蚊などの虫の拡大図が描かれたり 、雪の結晶が衣服の文様として流行するなどの影響をあたえた。第4章は博物学。西洋の博物学の影響で、絵画作品としてではなく、博物図譜としての絵画の登場が示される。第5章は光と影。障子に映るシルエットや、寄せ絵、円筒状の鏡に絵を映してみる「鞘絵」など、西洋の「トリックアート」の影響が紹介される。
新しい科学・技術・文化に最初に触れたのはもちろん蘭学者と呼ばれた研究者たちであるが、興味深いのはそれらが江戸期の庶民の文化に影響していった点である。そのプロセスを担ったのは、絵画史の主流をなした人々ではなく、また「浮絵」や「眼鏡絵」は芸術というよりは「からくり」あるいは「見世物」であったと田中優子・法政大学教授は指摘している 。同時に新しい視覚が博物学などの観察や記録を主とする学問に影響したことを考えれば、江戸期の西洋文化の受容層はいかに多様であったことか。そして西洋文化と科学的な知識の多様な受容層が、明治維新後の日本の発展の基礎となったのである 。
3階会場には立版古(浮世絵を切り抜いて立体的に加工するもの)を拡大したものや、鞘絵を体験できる場が用意されており 、「遊びごころ」のある楽しい展覧会である。[新川徳彦]
2014/03/28(金)(SYNK)