artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
シャガールのタピスリー展──二つの才能が織りなすシンフォニー
会期:2012/12/11~2013/01/27
松濤美術館[東京都]
白井晟一が設計した松濤美術館の地階展示室に巨大で鮮やかな色彩のタピスリーが並ぶ。最大の作品《平和》(1993)は、国連本部のステンドグラスのためのマケットをモチーフとして、フランス・サルブール市の依頼でつくられたもので、幅620センチ、高さ410センチある。
シャガール(Marc Chagall, 1887-1985)は60歳を過ぎてから絵画以外に陶器や彫刻、リトグラフなどの作品を手がけるようになり、70歳を過ぎてからはモザイクやステンドグラス、タピスリーなど、モニュメンタルな作品を手がけた。実際には規模の大きな作品は技術的にも体力的にも自ら手がけることは困難で、職人や専門家たちとの共同作業が行なわれた。本展が焦点を当てるのは、シャガールとタピスリー作家イヴェット・コキール=プランス(Yvette Cauquil-Prince, 1928-2005)との協業である。他のモニュメンタルな作品とは異なり、シャガールはタピスリーにはほとんど口を挟まなかったという。理由のひとつには技術的な問題があったようだ。イヴェットのタピスリーの制作方法は、次のようなものである。(1)シャガールの原画を撮影し、原寸大のモノクロームにプリントする(裏から織るために写真は鏡像である)。(2)原画に基づき配色を決定し、使用する色や織りの指示を写真に書き込む。これをカルトン(大下絵)という。(3)経糸(たていと)の下に置かれたカルトンの指示に従い、職人たちがタピスリーを織る。緯糸(よこいと)が織り込まれていった部分は少しずつ巻き取られ、職人の目の前にあるのは常に白い経糸とその下に置かれたモノクロームのカルトンのみ。ひとつの作品が織り上がるまでに小さなものでも数カ月、大きなものでは2年におよぶという。そして、すべてが織り上がって枠から外されたときに、初めて全体が現われる。すなわち、織りの途中で口を挟む余地がないのである。
もちろん、その仕上がりが意に反していたならば両者の関係は続かなかったであろう。シャガールとイヴェットとの出会いは1964年、シャガールが77歳のときである。以来両者は20年にわたって共同作業を続け、シャガールの没後もイヴェットはシャガール作品のタピスリーを作り続けたのは、ふたりのあいだに深い信頼関係があったからにほかならない。展覧会の副題に「二つの才能が織りなすシンフォニー」とあるように、シャガール自身、両者の関係を音楽に例えていた。すなわち、作曲家=シャガールが描いた「楽譜」を指揮者=イヴェットが読み解き、演奏者=職人たちがそれぞれのパートを奏でる。イヴェットのタピスリーはシャガールの原画のたんなる拡大コピーではない。大画面に拡大したときにふさわしい色の組み合わせを選び、必要な色に糸を染め、織り方を考える作業から生まれたのは、またひとつの独立した芸術作品なのである。[新川徳彦]
2012/12/16(日)(SYNK)
もうひとつの川村清雄 展
会期:2012/10/20~2012/12/16
目黒区美術館[東京都]
昨秋、江戸東京博物館と目黒区美術館の2館で洋画家・川村清雄(1852-1934)の展覧会が開かれた。江戸東京博物館での展示(2012年10月8日~12月2日)は「維新の洋画家──川村清雄」と題し、清雄の生涯を川村家の資料と、《勝海舟像》や《形見の直垂》、フランスからの里帰り展示である《建国》などの絵画作品で包括的に振り返るもの。同時期に開催された目黒区美術館での展示(2012年10月20日~12月16日)は江戸博に対して「もうひとつの川村清雄」というタイトルで、目黒区美術館が所蔵する加島コレクションと、馬頭広重美術館所蔵の青木コレクションを中心に、とくに清雄の後半生に焦点を当てた展示であった。加島コレクションの旧主、加島虎吉は出版社「至誠堂」の経営者であり、清雄の支援者でもあった。清雄は明治末から大正期にかけて至誠堂が出版した雑誌や書籍の装幀を手がけている。油彩画においてはカンバスにとどまらず、木の板や、漆の盆、絹本など多彩な素地に作品を描いた清雄であるが、装幀の仕事においては当時の印刷技術を前提とした限られた色彩と明解な描画が、油彩とはまた異なる魅力を生み出している。彼はまた、至誠堂との関わりを持つ以前から春陽堂の文芸雑誌『新小説』の挿画や表紙も手がけていた。絵画においては画壇に背を向け、作品を発表する機会がほとんどなかった清雄であるが、雑誌の表紙や挿画、書籍の装幀を手がけることで、彼の作品は同時代の多くの人々に知られていたのである。書籍の原画には板に油彩で描かれて周囲に印刷用のトンボが貼り付けられているものもあり、当時の印刷技術を知るうえでも興味深い。川村清雄の装幀の仕事には、まだ同定されていないものもあるといい、今後の研究の進展が楽しみである。[新川徳彦]
2012/12/16(日)(SYNK)
プレビュー:馬込時代の川瀬巴水──馬込生活は一番面白い時代でもあった
会期:2012/12/01~2012/12/24
大田区立郷土博物館[東京都]
新版画の画家・川瀬巴水(1883-1957)は、大正15(1926)年に現在の東京都大田区に転居して以来、戦時中に塩原に疎開した以外は、昭和32(1957)年に亡くなるまで区内で過ごした。39年にわたる制作期間のうち31年間を大田区で暮らしたことになる。そのなかでも、昭和5(1930)年から19(1944)年まで馬込で生活した時代を巴水はそのころを「一番面白い時代であった」と述懐していたという。この展覧会では、《馬込の月》《森ヶ崎の夕陽》《池上本門寺》や、《東京二十景》《新東京百景》シリーズなど、馬込時代に大田区や東京の風景を主題として制作した版画作品を中心に、試刷、版木など、大田区立郷土博物館が所蔵する作品から約100点が展示される。没後50年(2007年)前後に開催された大田区立郷土博物館や江戸東京博物館の展覧会をきっかけに、近年ふたたび巴水作品への評価が高まっている。2013年には生誕130年を記念する展覧会が千葉市美術館(2013年11月26日~2014年1月19日[予定])などで企画されているとのことなので、予習を兼ねて馬込の地を訪れてはいかがだろうか。[新川徳彦]
2012/11/30(金)(SYNK)
佐藤オオキ『ネンドノカンド──脱力デザイン論』
今世界でもっとも注目される若手デザイナー佐藤オオキの初の単著。雑誌『DIME』で連載していた「ネンドノカンド──脱力デザイン論」を書籍化したものだ。本屋の本棚にお風呂で本を読む男性のイラストと、「こんな感じで読めるデザイン論」との宣伝文句が掲げられていたが、、まさにそのとおりで、著者が手がけたプロダクトのデザインコンセプトやアイデア発想法などをわかりやすく解説している。語りかけるような文章と著者によるイラスト、作品写真も楽しめる一冊。1977年にカナダで生まれ早稲田大学で建築を学んだ佐藤は、学生時代の仲間たちとデザインオフィスnendoを発足、現在まで代表を務めている。nendoは「ELLE DECOR International Design Award 2012」のDesigner of the Yearを受賞するなど、国内のみならず世界中が注目している。奇抜だけど気取らない、シンプルだけど遊び心あふれるnendoのデザインから目が離せない。[金相美]
2012/11/30(金)(SYNK)
「国立デザイン美術館をつくろう!」第1回パブリック・シンポジウム
会期:2012/11/27
東京ミッドタウンホール HALL A[東京都]
三宅一生氏(デザイナー)と青柳正規氏(国立西洋美術館館長)を呼びかけ人として、2012年9月に「国立デザイン美術館をつくる会」が設立された。10月末にはウェブサイトが開設され、設立趣意の公表とシンポジウムの開催を告知。定員650名があっというまに埋まったことで、この動きが多くの人々の関心を集めていることがわかる。当日はUstreamの中継を視聴した人も多かったようだ。
11月27日に開催されたシンポジウムの登壇者は、佐藤卓(グラフィック・デザイナー)、深澤直人(プロダクト・デザイナー)、工藤和美(建築家)、皆川明(ファッション・デザイナー)、田川欣哉(デザイン・エンジニア)、鈴木康広(アーティスト)、関口光太郎(アーティスト)の各氏。その肩書きからは、ここでいう「デザイン」が非常に広い領域を包摂しようとしていることがうかがわれる。2時間半に及んだシンポジウムには、「だから今、デザインミュージアムが必要だ!」「みんなに愛されるデザイン・ミュージアムとは?」「デザイン・ミュージアムとアーカイブ」という3つのテーマが設定されていたが、実際の進行はゆるやかなブレイン・ストーミングの趣きであった。「経済以外に生活の質を計るための基準をつくる」(深澤氏)、「デザインとは何かという気づき、体験の場」(佐藤氏)、「デザイナーたちが自分たちの足跡を残し、未来をつくる場」(三宅氏)、「デザイン・ミュージアムにとってモノは生活の質を考えるための入口」(皆川氏)、「モノとのつきあい方をプロデュースする」(鈴木氏)、「モノとモノをつなぐ発想法のワークショップ」(佐藤氏)などのコメントからは、「歴史」「観察」「教育」「機能」「技術」「環境」といったキーワードが浮かび上がってきた。
「国立」であることの意義としては、継続性という点で登壇者の意見は一致。21_21 DESIGN SIGHTを実現させた三宅一生氏の次の願いは、アーカイブ機能を持った施設をつくること。これまでにも私企業によるデザイン・ミュージアムはあったが、業績の変動によって存続不能になったり資料が散逸する恐れがある。国の施設にすることで、そのようなリスクを排除したいということである。
「デザイン」の定義については直接の話題にならなかったが、むしろその枠組みを取り払いたいとの意見も見られた。ただし、企画展ではさまざまな試みが可能としても、この構想が「アーカイブ機能」を持つとなると、なにを収集・保存するかが問題となる。デザインとアート、デザインと工芸、デザインとものづくりの関係のとらえ方は、この構想と既存の美術館・博物館との重要な差別化要因になるだろう。
立地、規模、形態などは現時点では未定。どんなに順調にいっても、実現には最短で5年。今後シンポジウムを重ねると同時に、広くサポーターを集めて「みんなでつくる美術館」を目指しつつ、国会議員連盟を形成して実現への足掛かりとしてゆく(青柳氏)とのことであった。2013年秋には、21_21で主旨を反映した展覧会開催が予定されている。
日本には包括的にデザインを収集・紹介するミュージアムが存在しないこと、そしてそれが必要とされていることは、デザインに関係する人々には共通の認識で、これまでにも日本デザイン団体協議会(D-8)の「ジャパンデザインミュージアム構想」や、武蔵野美術大学美術館の試みが存在する。しかし、ここまで多様な人々の関心を集めたことはなかったのではないだろうか。これまでに行なわれてきた議論の蓄積や海外での事例を生かし、よりよいミュージアムが実現されることを期待したい。[新川徳彦]
Video streaming by Ustream
2012/11/27(火)(SYNK)