artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
印刷都市東京と近代日本
会期:2012/10/20~2013/01/14
印刷博物館[東京都]
この展覧会は、1860年から1890年頃、すなわち幕末から明治初期に焦点をあて、東京の印刷業が日本の近代化に果たした役割を探る企画である。工業統計調査(2010年)によると、近年その比率は下がりつつあるものの、印刷業に関して都道府県別の事業者数、従業員数、出荷額、付加価値額のいずれにおいても東京都は首位であるという。また、東京の製造業のなかで、印刷業は高い比率を占めている。このような集中はすでに江戸後期から始まっており、明治以降、その傾向を強めていった。もちろん、情報産業が集中する首都に印刷業が集中するのは当然のことのように思われる。しかし、ヨーロッパ諸国の事情をみると、ロンドンは産業・金融の中心地として、印刷業はそのような情報センターとしての都市を支える役割を果たし、パリの印刷業は行政と学術の中心地としての首都の発展を支えるなど、国によって印刷業と首都との関わりは異なっていたという。それに対して、日本の首都東京には、政治、経済、文化などあらゆる現象が集中し、印刷業もそれに応じて多様な側面から発展を支えてきた。すなわち、首都東京における印刷業の発展は、中央集権的な近代化の過程と軌を一にしていたといえる。もちろん、急速な近代化を可能にしたのは、江戸時代以来の技術的、文化的な蓄積があってこそのことである。この展覧会が江戸時代末期にまで時代を遡るのはそれゆえである。
展覧会は4つの章で構成されている。第1章「江戸で熟した印刷」では、日本橋の版元が西欧からもたらされた知識の普及に大きな役割を果たしていたことや、粋を極めた木版印刷の技術により、出版文化が隆盛を極めていたことを、当時のさまざまな印刷物によって示す。第2章は、「印刷がつくった近代日本」では行政や経済と印刷との関わりが取り上げられる。政府が公布した新しい法律は『太政官日誌』(のちの『官報』)という印刷物によって地方まで確実に伝達された。紙幣や、地租を課すために土地所有者に発行された「地券」や、株券など、偽造防止技術が施された印刷物も大量に必要とされた。近代化に不可欠な印刷技術は西洋から輸入され、徐々に国産化されてゆく。第3章「東京という地場と印刷」は政治と印刷。言論人の出現や総合雑誌の登場に印刷が果たした役割が示される。第4章「近代日本の出発と印刷都市東京の躍進」は、メディアの発達と印刷。新聞、雑誌、錦絵などの印刷メディアは当時の政治と密接に関係していた。このように、明治初期の日本において、印刷技術は政治・経済にとって非常に重要なインフラストラクチャーであり、東京の印刷業は中央集権的な近代化にとって不可欠な存在であったことが明らかにされている。
明治初期の印刷業の展開でもうひとつ興味深いのは、旧来の木版印刷技術と活版や石版といった新しい印刷技術とが併存していた点である。たとえば「枢密院会議」や「大日本帝国憲法発布」を伝える絵図には、石版画のものと錦絵のものとがある。西洋から導入された新しい印刷技術がまだモノクロームを中心としていたのに対して、カラーのメディアである錦絵はむしろ一時的な隆盛を誇ったのである。しかしながら、明治後期になると旧来の技術は廃れ、新しい印刷技術による新たな印刷文化が花開くことになる。その変化の様相は、ぜひとも「印刷都市東京と近代日本2」として取り上げて欲しい。[新川徳彦]
2012/10/23(火)(SYNK)
これも印刷?!──ふしぎな特殊印刷の世界
会期:2012/09/04~2012/11/11
印刷博物館P&Pギャラリー[東京都]
PCとプリンタの普及で、印刷はとても手近な存在になった。iPadなどのタブレットPC、楽天のkobo、そして先頃アマゾンKindleの発売も発表されて、活字文化の世界は大きく変わろうとしているように見える。しかし活字だけが印刷ではない。まだまだプロフェッショナルな領域は存在する。それが「特殊印刷」の世界である。この展示では、私たちがふだん意識している印刷とはまた異なる印刷技術を紹介するもの。会場には《キラキラピカピカ》《ひかる》《とびだす》《デコボコ・つるつる・ふさふさ・ざらざら》といった、視覚だけではなく触感なども表わす言葉が記されたパネルが下がる。キラキラの代表は箔押し印刷。接着剤をコートした金属の薄い箔を熱で対象物に圧着することで、紙の上にも金属のような質感を印刷することができる。デコボコの代表は紙自体に凹凸をつくるエンボス加工であるが、発泡インキやUVインキを用いることで、さらに細かくはっきりとした凹凸が可能になる。発泡インキはただ盛り上がるばかりではなく、フェルトのような質感も実現できるし、点字を印刷することも可能だ。金属をエッチング処理したような質感を実現するリオトーンインキは、化粧品のパッケージなどに高級感を演出する。温度によって色が変わる印刷、香る印刷、光る印刷、まるで木のパネルのように見える木目印刷など、多種多様な技術が実物とともに解説されている。印刷のプロフェッショナルにはさほど珍しいものではないかも知れないが、まさしく「これも印刷?!」と声を上げてしまうものもある。素人にとっては驚き、そしてデザイナーにとっては新たな表現の可能性を見せてくれる展覧会である。[新川徳彦]
2012/10/19(金)(SYNK)
世界の織機と織物──織って!みて!織りのカラクリ大発見
会期:2012/09/13~2012/11/27
国立民族学博物館[大阪府]
本展は完成された織物、つまり織物の形(デザイン)やその用途を紹介する展示ではない。織物を織るという「織りの技術・機械」を紹介するもので、それが興味をそそられるポイントだ。身体の一部を用いる、手機や足機、腰機から、織機と聞くと真っ先に思い浮かぶ、枠機まで、さまざまな生活の知恵が紹介されていた。会場にはいくつかの体験場が設置されてあり、展示企画者は「体験型展示を通じて、産業革命以降に人類が手仕事を放棄し続けて今日に至っているという危機的状況について警鐘を鳴らし、手仕事への回帰というメッセージを社会に向けて発信することも計画している」と、企画意図を語る。織物の製作過程に興味があるならオススメ、完成品(デザイン)に興味があるならほかの展覧会をお勧めしたい。[金相美]
2012/10/19(金)(SYNK)
近代日本の学びの風景──学校文化の源流
会期:2012/10/01~2012/12/01
学習院大学史料館[東京都]
教育制度の確立は近代国家形成の根幹であり、それゆえ明治政府は1872(明治5)年には学制を発布し、全国民への統一的な教育の普及を目指した。江戸時代からすでに寺子屋のような教育の場が存在したことは、新しい制度の急速な普及に資したことは間違いない。ただしその学びの空間、風景は大きく変わっていった。本展は、学習院所蔵の資料による解説を中心に、明治期から昭和初期にかけての初等教育の場の形成をたどる。最初に取り上げられているのは、教室の風景。寺子屋の畳の部屋から机と椅子を使用する教室へと変わっていったことが示される。児童の姿も変化する。小学生の通学鞄として用いられるランドセルは、兵士が用いていた背嚢を転用したもので、これを最初に採用したのは学習院であった。授業には教科書が用いられるようになり、教師は地図や歴史を記した大きな掛図や、物産標本などの実物資料を用いて授業を進めた。また、試験、成績評価(通信簿)の存在も近代教育の特徴のひとつである。運動会、学芸会、遠足などの行事も、地方や学校によって違いはあるものの、明治20年代から30年代にかけて形成されていったという。学業優秀な児童を表彰したり、運動会競技の順位に応じてメダルを授与する習慣も現われる。技術の変化などによって使用される教材は変わってきているが、基本的な初等教育の風景は、このころに形成されたものといってよいだろう。他方で、明治になって学校制度や学びの場は大きく変化したが、教材となる掛図などには錦絵以来の木版画技術が用いられ、標本づくりや褒賞メダルの制作には職人たちの技巧が凝らされていた。すなわち、学校制度を支えていた文化は必ずしも江戸期と明治期とで断絶していたわけではないという指摘は、とても重要であると思う。[新川徳彦]
2012/10/16(火)(SYNK)
ザ・大阪ベストアート展──府&市モダンアートコレクションから
会期:2012/09/15~2012/11/25
大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室[大阪府]
欧米に行かなければ見られないような近代美術の名品を多数コレクションに有し、1日も早い開館が待たれる大阪市立近代美術館(仮称)。「ザ・大阪ベストアート展」は、その日本屈指のコレクションと大阪府20世紀美術コレクションのなかから厳選された50点が一堂に会する夢のような展覧会だ。そしてなにをかくそう、作品を選んだのは一般の美術愛好者たち。2012年4月末から7月末まで大阪市立近代美術館コレクションと大阪府20世紀美術コレクションが所蔵する近現代美術の作品100点のなかから、郵送やネットなどによる投票で選ばれた50点が展示されている(一部展示替えあり)。展示作品には、大阪府下の小学生、中学生、美術系高校・大学での投票で上位を獲得したものも含まれる。
一般投票で1位を獲得したのは佐伯祐三《郵便配達夫》(1928)。佐伯は《レストラン(オテル・デュ・マルシェ)》(1927)も3位を獲得し、不動の人気ぶりがうかがえる。以下、2位のモディリアーニを初め、ユトリロやローランサン、福田平八郎、横尾忠則など、有名作家の名作が会場に並ぶ。面白いのは小学生の1位が、一般投票では52位の鍋井克之《兜島の熊野灘》(1965)であること。青と橙の色彩のコントラストやバベルの塔のような島のかたちが子どもたちの感性を刺激したのだろうか。
デザイン部門からは、一般投票で16位、大阪府立港南造形高校で1位を獲得した倉俣史朗《ミス・ブランチ》(1988、製作1989)、およびマジョレル《肘掛け椅子》(1900)、リートフェルト《レッド・ブルーチェア》(1918、製作1950年代)、アアルト《パイミオアームチェア》(1931-32)の4点が選ばれた。4つの椅子は1カ所にまとめて展示されていたが、西洋の椅子3点とともにある倉俣の椅子は、どことなく日本的であるように感じられる。とはいえ、アクリルという現代的な素材で西洋の典型的なアームチェアの外形をかたどり、造花のバラを埋め込んだこの椅子にさして日本的な要素は見当たらない。
なぜ、日本的だと感じるのだろう……もやもやとした感情を抱きつつ、会場にあるコメント集に目をやる。本展では、投票者から寄せられた「作品に対する想い」や「作品にまつわる思い出」をピックアップして紹介しており、その内容はじつに興味深い。倉俣の椅子についてのコメントは、「きれい、美しい」「アート、オブジェ」という言葉が目についたが、ひとつ予想外のコメントがあった。「日本画や着物の柄を連想させる美しさ」という、男性のコメントである。《ミス・ブランチ》に日本的な要素があるとしたら、多分にこういうことであるかもしれない。北欧のアアルトの椅子を「和室に合う」としたコメントもじつに興味深い意見だ。
コメント集があることで、たとえひとりで訪れたとしても、作品に対する想いや疑問を他者と共有でき、意外な見方も発見できる。まして、目の前にあるのが名品であれば素晴らしいことこのうえない。美術愛好者はもちろん、美術に興味がない人にこそぜひ訪れてほしい展覧会である。[橋本啓子]
2012/10/16(火)(SYNK)