artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
田中一光:デザインの世界──創意の軌跡
会期:2013/01/12~2013/03/20
奈良県立美術館[奈良県]
巨匠グラフィックデザイナー、田中一光の没後10周年回顧展。「産経観世能ポスターシリーズ」などの代表作も出品されているが、本展の目玉はなんといっても、田中によるアートの試みに焦点を当てていることだ。とくに「グラフィックアート」の章では、図案化されたロープの作品や、漢字の「つくり」と「へん」が画面に浮遊する作品、幾何学的に抽象化された花や顔の作品など、彼の造形上の実験が堪能できる。田中曰く、グラフィックアートは「デザインで汚染された私の頭の中を真っ白にしてくれる」ものだった。それゆえ、これらの実験的作品にプッシュピン・スタジオや琳派との共通性を見出すことはあまり意味がなく、むしろそれらの作品は、田中がクリエイターとしての原点に返るための作業であったとみなすべきだろう。これらの作品はアートと言うよりはデザイン的であり、また、デザインと言うよりはアート的である。その未分化なもののいくつかは、後に「グラフィックデザイン」へと成熟させられるのだ。余談になるが、筆者は1990年代末に田中氏と仕事上の打合せをしたことがある。氏が多忙ゆえ、打合せ時間は15分と決められていたが、短い時間のあいだに多数の事柄を瞬時に理解され、適切な判断を矢継ぎ早に下される氏の知性には驚きと敬服の念を抱かずにはいられなかった。その想い出があるためだろうか、本展の最後の章で新発見の資料として展示された田中氏の若き頃の人体デッサンや油彩画を目にして、ふと、分刻みのスケジュールに追われるデザイナーから素の人間へと返る氏の姿を想像した。生気あふれるデッサンや油彩画は彼の心象風景であったのだろうと思う。[橋本啓子]
2013/02/03(日)(SYNK)
松永真『ggg Books 別冊 9:松永真』
赤い丸は《JAPAN ”燃え盛るか日本、燃え尽きるか日本。”》(JAGDA、2001)。黒い丸は《HIROSHIMA APPEALS 2007》(広島国際文化財団、JAGDA、2007)。シンプルにして力強いメッセージを放つ代表作を、さらにシンプルに表現した表紙が印象的である。本書はギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催された松永真の展覧会「松永真ポスター100展」に合わせて出版されたテキスト集である。デザイン誌、新聞、講演録などから再録した松永真自身によるテキストのほか、亀倉雄策、田中一光、永井一正らによる批評が収録されている。内容は「ポスター」「ブック&エディトリアル」「パッケージ」「CI、マーク&ロゴタイプ/カレンダー」「西武美術館・セゾン美術館の仕事」「海外での個展・活動など」「フォラージュ」「フリークス」「書評/コラムなど」「年譜」で構成。伝説的なスコッティのパッケージデザイン・コンペの話はもちろん、個々のデザインの背後にある物語から、自らの人生、デザイン哲学にいたるまで、松永真の人と仕事を知るうえで欠かすことのできない文献である。[新川徳彦]
2013/01/28(月)(SYNK)
松永真ポスター100展
会期:2013/01/09~2013/01/31
ギンザ・グラフィック・ギャラリー[東京都]
デザインは常にその時代の企業、社会、地域、人々の生活と密接に結びついて現われるものだから、「時代を超えた」とか「普遍的である」という言葉は必ずしも誉め言葉になるとは限らないのだが、ギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催されている「松永真ポスター100展」に関しては、「普遍的な」という形容がもっともふさわしいように思う。松永真の自選による約100点のポスターは、資生堂時代の作品、あるいはいまはなきセゾン美術館の展覧会ポスターを除くと、近作ばかりを集めたのだろうというのが最初に見たときの印象であった。実際、チラシのモチーフにもなっている《JAPAN“燃え盛るか日本、燃え尽きるか日本。”》は2001年、《HIROSHIMA APPEALS 2007》は2007年の作品である。ところが、入口で手渡されたパンフレットを片手に改めて作品一つひとつを見てゆくと、1970年代、80年代、90年代、2000年代と、氏の仕事からまんべんなく出品されていることがわかり、あらめて驚かされた。シンプル、ストレート、インパクトのある構成、色彩、書体……。この「新しさ」はいったいなんなのだろうか。パッケージ、CI、ポスターと多岐にわたる松永真のデザイン・ワークであるが、意外にもポスターのみを一覧する展覧会は初めてであるという。過去に手がけたポスターは約1,300点。そのなかから100種類を選んでいる。ではこの100種類はどのような基準で選ばれたものなのだろうか。松永氏によれば、それはやはり「普遍性」であるという。松永氏の仕事のなかには、その時代の文脈で評価され、大ヒットした作品も多数ある。時代を超越した作品ばかりをつくるアーティストではない。しかし、今回のセレクションでは流行が色濃く反映されるファッションなどのモチーフは避け、結果的により「普遍的」なイメージが選ばれることになったという。いずれのポスターも、いま、街角に貼られていても違和感を覚えないのではないか。
パッケージデザインやCIデザインの多くは短期に消費されるものではなく、長期にわたって使用されることを前提にデザインされる。しかし、一見変わりないように見える企業や商品のロゴも時折リニューアルされる。松永真の代表作のひとつであるスコッティのパッケージも、松永氏自身の手によってアップ・トゥ・デートされてきた。「普遍」は必ずしも「不変」ではないのだ。ここに選ばれた100種類のポスターは、いまの時代感覚における普遍性であり、10年後に松永氏が再び100種類のポスターを選んだとしたら、きっと今回とはまた異なる作品が選ばれ、それでいながら見る者に松永デザインの「普遍性」を印象づけるに違いない。[新川徳彦]
2013/01/28(月)(SYNK)
東日本大震災復興支援「つくることが生きること」神戸展
会期:2013/01/17~2013/01/27
デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)[兵庫県]
アーティストの中村政人が立ち上げた東日本大震災復興支援のためのアートプロジェクト「わわプロジェクト」とデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)の共催による展覧会。たった10日間で終わらせてしまうのが惜しいほど充実した内容だった。会場であるデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)は、1927年に旧館、1932年に新館が建てられた神戸生糸検査所を改修し、2012年夏にオープンしたオルタナティブ・スペースだが、レトロな工場を思わせる広々とした空間がじつに魅力的で、神戸にもようやくこのような場所ができたのかと思うと嬉しくなる。
今回の展覧会で、その空間的魅力を最大限に活かしていたのは、椿昇の巨大なバルーン作品と畠山直哉および宮本隆司の写真によるスライドショーだろう。ミサイルをかたどった白いバルーンは、青みがかった白い光を放ちながら天井高が10メートルはありそうな巨大な空間いっぱいに広がり、いまにも爆発しそうなその広がりが核の保有に対する警告となって観る者に精神的・肉体的に迫ってくる。バルーンのそばにあるカーテンを開けて中に入ると、部屋の真ん中に釣り下がる巨大なスクリーンに被災地の光景が映し出されていた。畠山の撮影による被災した気仙沼の写真と宮本が1995年の阪神・淡路大震災の数日後に撮影した神戸の写真のスライドショーだ。同じスクリーンの裏には別のスライドショーも投影される。畠山が被災する前の気仙沼で撮った写真だ。
被災前と被災後の気仙沼の写真は、とても同じ人間が撮ったとは思えないほど違う。アングルや構図の点では確かに同じ写真家の手によるものと感じられるのにである。その違いは撮影者の心情の違いであるのか、あるいは写された対象に対する観る者の思いがその違いを引き起こすのか。被災前の何気ない日常風景。それは静止画像でありながら、穏やかな時間の流れを感じさせる。これは紛れもなくアートだ。他方、被災後の写真は、報道写真のように硬直してみえる。これはアートなのだろうか。そう思った途端、この問い自体がきわめてナンセンスであるように感じた。実際、次の展示室に行くと、さまざまな支援プロジェクトの記録や映像がインスタレーションされ、それらの一つひとつが小さな希望と大きな愛にあふれている。各々の支援の記録は、アート・建築・デザインの三つに大別されていたが、被災者と支援者の思いが伝わってくる内容は、逆説的に、なにをもって芸術的であるとか、機能的であるといったことを半ば無化しているように思えた。私たちは皆、生きる希望を抱くためになにかをする。それはどんなことであれ、なんと称されようと、その人にとってはかけがえのないことであり、それこそが重要なのだ。[橋本啓子]
2013/01/22(火)(SYNK)
森と湖の国──フィンランド・デザイン
会期:2012/11/21~2013/01/20
サントリー美術館[東京都]
一般的にフィンランドのデザインには、生活に密着し、機能的・合理的でありつつも、美しさを追求したものが多い。短期間に消費されてしまうのではなく、長期にわたって作られ続け、売られ続け、そして使い続けられるデザインである。フィンランドのガラス・デザインにも同じことが言える。本展は、フィンランドのガラス・デザインの歴史を辿り、そしてこれからのデザインを考える展覧会である。フィンランドのガラス産業の歴史は、ヨーロッパの他の国と比べてそれほど古くはない。産業として本格的にガラスが製造されはじめたのはスウェーデン統治下の18世紀半ばで、ロシア統治下(1809~1917)の19世紀後半から拡大する。イッタラ社が設立されたのも1881年のことである。デザインを重視し、国際市場で高く評価されるようになったのは、家具や陶磁器と同様に1950年代。戦後、外貨獲得という国策もあって、デザイナーと職人のコラボレーションによって、モダン・デザインをリードする製品が作られていった。カイ・フランク、タピオ・ヴィルッカラらのデザインは、まったく古さを感じさせない。しかし問題は、現在そしてこれからのガラス・デザインであろう。アートとしてガラス作品を作り、国際的に活躍するアーティストも増えている。ハッリ・コスキネンを最後に現在イッタラ社では企業デザイナーを内部に抱えず、作品ごとに外部から招聘するかたちをとっているという。となると、イッタラ、ひいてはフィンランド・デザインのアイデンティティはなにを拠り所にすることになるのだろうか。「優れた品質によって、人々に、『自分は長く大切に使えるものの選択をした』という満足感を与えること。そして、それを人々が買える範囲の、できる限り押さえた価格で提供する……人々が『これは自分のライフスタイルへの投資なのだ』と思って買っていってくれる、それこそがイッタラ社のブランド力だと思う」というコスキネンの言葉
2013/01/19(土)(SYNK)