artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

シャルダン展──静寂の巨匠

会期:2012/09/08~2013/01/06

三菱一号館美術館[東京都]

18世紀フランスの静物・風俗画家ジャン・シメオン・シャルダン(Jean Siméon Chardin, 1699-1779)の、日本初の個展である。展示は初期の静物画、中期の風俗画、その後の静物画への回帰と、年代を追う構成。作品の大部分が日本初公開である。静物画には、銀のゴブレットや中国磁器が描かれることもあるが、狩りの獲物である野ウサギ、銅の鍋や陶器の器、肉や卵、野菜などのように、ほとんどが非常に素朴で身近なモチーフばかりである。風俗画であっても描かれた女中や看護人の姿には、派手さは感じられない。画面に動きはなく、音のない空間が広がる。「静寂の巨匠」たる所以である。
 図録では、シャルダンの生涯、同時代における評価や、忘却の時代、そして19世紀後期の再評価まで、美術史におけるシャルダンの位置づけが詳細に論じられている。そのなかでも三菱一号館美術館の安井裕雄主任学芸員による論考「日本におけるシャルダン受容史」が興味深い★1。明治期に渡仏した画家たちの足跡を追うことからはじまり、美術雑誌、評論などの文献を渉猟し、来日展にまで及ぶ丹念な調査は、さしあたりは事実確認が中心であるが、シャルダンを切り口とした日本における西洋美術受容史の可能も示している。
 安井氏の論文には、画家シャルダンとエステー化学(現エステー)の芳香剤エアーシャルダンとの関係についても触れられている。1971年に発売された室内用芳香剤「エアーシャルダン」(商品の英文綴りはShaldan)を名付けたのは、当時エステー化学専務でのちに社長、会長を務めた鈴木明雄氏であった。鈴木氏は1953年、ソ連への親善視察団に参加した折りにエルミタージュ美術館を訪れ、そこで目にした数々の美術作品に衝撃を受けて絵を習いはじめ、以来経営の傍ら絵を描き続けてきた画家でもある。鈴木氏が心ひかれた画家のひとりがシャルダンであった。鈴木氏はシャルダンがありふれた日常生活における静物や人物をモチーフとして描いたことに着目し、当時はまだ一般的な存在ではなかった室内用芳香剤をどのような場所にでも普及させたいと、画家の名前を商品につけたのである★2。鈴木氏は、商品のネーミングに込めたこのような想いを新聞や業界紙でたびたび語っている。しかしそれだけではなく、忘却の時代を超えて19世紀後期の画家たちに影響を与えた先駆者としてのシャルダンを、新しい商品に重ねていた可能性も考えられるのではないだろうか。
 展覧会の広報デザインは、ライトパブリシティの細谷巖氏。コピーは同じく山根哲也氏。「やさしい沈黙に、つつまれる。」という言葉も、余白のあるデザインも、私たちをシャルダンの静寂なる世界へといざなう。[新川徳彦]
★1──展覧会図録、35~53頁。
★2──鈴木明雄「シャルダンのこと」(『東京石鹸商報』、1991年1月1日)、「“色香”に迷う──かぎ分けた時代の要請。エステー化学社長鈴木明雄氏(上)」(『日経流通新聞』、1998年3月3日)。

2012/11/23(金)(SYNK)

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魅惑の日本の客船ポスター

会期:2012/10/06~2012/11/25

横浜みなと博物館[神奈川県]

明治時代後期から現代まで、海運会社が集客・集荷のための宣伝のためにつくってきたポスターの変遷をたどる展覧会。300点近いポスターを、時代、社会環境、船の役割の変遷を中心に6つのパートに分けて紹介している。第1は「引札・汽船号からポスターへ」。明治時代には商店・商品の宣伝に用いられた引札と同じ手法を海運業者が利用していたが、遠洋航路の発展とともにそれがポスターに代わる。デザインには美人画が多く用いられていたのは、同時期の百貨店やお酒のポスターに類似する広告の手法である。第2は「美人画ポスターから船のポスターへ」。第一次世界大戦による船舶需要の拡大は日本の海運会社に繁栄をもたらし、大阪商船などは勢力を誇示するような迫力のあるポスターをつくる。また、美人画に代わって船そのものがデザインの主題になっていった。第3は「客船就航告知と船の旅」。戦間期には船の画像にとどまらず、観光地や旅の楽しみをイメージしたポスターなどがつくられて、人々を船の旅に誘った。里見宗次によるポスター(日本郵船、1936)や、ゲオルギー・ヘミング(ピアニストのフジコ・ヘミングの父)のポスター(日本郵船、1932)などには、フランスのポスター画家カッサンドルの影響も見て取れる。第4は「華やかなポスターと戦争」。台湾や満州などへの航路が充実し、新造船の就航がアナウンスされる。デザインには画家やデザイナーも活躍。3つの新造船を三人姉妹に例えた小磯良平のポスター(日本郵船、1940年)もすばらしい。しかし、1942年以降客船は接収され、軍艦や輸送船となって戦闘に参加。大半が失われてしまった。第5は「減少する客船ポスター」。敗戦によって客船が失なわれたが、南米移民の増加は新たな天地での生活をイメージしたポスターをもたらした。しかし、移動の主役が航空機に代わるとともに、客船ポスターも減少する。第6は「ポスターはクルーズへ誘う」。移動のための手段から、レジャーを楽しむクルーズ船の時代になった現在、ポスターのデザインも青い海に浮かぶ白く豪華なホテルというイメージが多用されていることが示される。たんに懐古趣味のポスター展覧会ではない。日本の海運業発展の歴史ばかりではなく、印刷史、広告史、同時代の社会状況までをも視野に入れた、充実したポスター史の展覧会であった。[新川徳彦]

2012/11/21(水)(SYNK)

The Posters 1983-2012 世界ポスタートリエンナーレトヤマ受賞作品展

会期:2012/11/06~2012/12/21

dddギャラリー[大阪府]

「世界ポスタートリエンナーレトヤマ(IPT)」開催10回目を記念し企画された展覧会。歴代の受賞作品のなかから、重要な作品を厳選し紹介している。1985年から3年毎に開催されるこのイベントは日本で唯一の本格的な国際ポスターコンペティションだという。ポスターが鑑賞の対象になるかどうかはともかく、実大のポスターは迫力満点で、雑誌や新聞、チラシなどの印刷媒体で見るのとは一味も二味も違う。またポスターはよく「時代を映す鏡」にたとえられるが、各時代の関心事や流行がわかるので別の角度からも楽しめる。[金相美]

2012/11/20(火)(SYNK)

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47 GOOD DESIGN──47都道府県のグッドデザイン賞

会期:2012/11/01~2013/01/27

d47 MUSEUM[東京都]

「d47 MUSEUM」は47都道府県を切り口にそれぞれのデザインやクラフトなどを紹介するスペース。ナガオカケンメイ氏がディレクターを務め、2012年4月に渋谷ヒカリエの8階にオープンして以来、4回目の企画展となる今回の展示のテーマは「グッドデザイン賞」。日本から海外への輸出品の模倣対策を主眼に1957年に発足したグッドデザイン賞は、日本のプロダクトの質を向上させると同時に、海外の模倣ではない日本独自のデザインの創造と発見にも資してきたものと思う。本来は日本対海外という枠組みでの話であるが、これまでの受賞作を生産者の都道府県別に分けると、クラフトのみならず工業製品にもローカリティが見えてくるのである。北海道・旭川や山形県・天童の木工家具、佐賀県や長崎県の陶磁器、福井県・鯖江のメガネや、新潟県・燕のカトラリなどは良く知られていよう。大阪府には画材や文房具、家電メーカーが集中しており、受賞製品も多い。もっとも意外であったのは、奈良県にプラスチック製品のメーカーがいくつも立地しており使い勝手に優れた日用品をつくっていることであった。[新川徳彦]

2012/11/18(日)(SYNK)

日本の映画ポスター芸術

会期:2012/10/31~2010/12/24

京都国立近代美術館[京都府]

1930~1980年代に日本でつくられた映画ポスター約80点を採り上げ、映画ポスターの歴史を振り返る展覧会。筆者のようなアート系の人間が「おもしろい」と感じるのは、1960年代以降の日本アート・シアター・ギルド(ATG)のポスターや、粟津潔、横尾忠則などのグラフィック・デザイナーを起用したポスターだ。しかし、映画ポスターというジャンルが芸術よりもデザインの範疇に属するものであることを考えれば、映画の宣伝効果というその機能を考慮せねばならないだろう。そういう意味では、対象が映画であれ演劇であれ、同様の作風を貫くグラフィック・デザイナーのポスターよりも、看板絵のような野口久光のポスターのほうが、映画ポスターの目的にはかなっていたかもしれない。加えて、現代からみればキッチュな表現にとれる岩田専太郎のイラストレーションが溝口健二の映画ポスターに起用されたのは奇異に思えるが、それは、いまでは前衛の先駆とされる溝口映画も当時は大衆の娯楽であったということなのだろう。いずれにせよ、ポスター研究には芸術性の視点だけでなく、それに付随するさまざまな視点からの考察が必須となる。今回、映画ポスターを通史的に展示したのは貴重な機会であったが、今後はなにをもって「映画ポスター芸術」ということが言えるのかを学問的に検証するような企画を期待したい。[橋本啓子]


上村一夫《シェルブールの雨傘》1973年、東京国立近代美術館フィルムセンター蔵

2012/11/10(土)(SYNK)