artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
The Jeweled Net: Views of Contemporary Holography
会期:2012.06.27~2012.09.28
MIT Museum[ケンブリッジ]
ホログラフィ(holography、またはホログラムhologram)とは、ごく単純に言えば3次元の立体映像が2次元の平面スクリーンに現われること。MIT Museumは世界最大のホログラム・コレクションを持ち、また定期的にアーティストを招へいし、ショーケースを開くという。今回の展覧会は社会との交流を目的に、現役のアーティストと行なった連携プログラムである。英国のエリザベス女王を描いた、ロブ・マンデー(Rob Munday)のThe Diamond Queen(2012)など、面白い作品が多数展示されていた。ひとつ残念なのは、筆者を含めほとんどの観客が作品そのもの(内容)よりさきに技術の高さに感嘆してしまうこと。だが仕方ないかもしれない。ホログラフィーはゲームや広告、映画から芸術分野に至るまで無限の可能性を秘めていることには違いない。[金相美]
2012/08/20(月)(SYNK)
モジもじ文字
会期:2012/07/28~2012/09/09
武蔵野市立吉祥寺美術館[東京都]
文字のデザインを共通項に、三人のデザイナーの仕事を紹介する展覧会。本の装丁やポスターのデザインを中心に独特の描き文字で知られる平野甲賀。これまでに手がけた装丁などの仕事から文字のみを抜き出し、A3の紙にプリントしたものが壁一面に貼られている。ダイナミックな描き文字は読むものに強い印象を与え、その印象は作品と一体化する。鳥海修はヒラギノシリーズなど、いわゆる読むための文字のデザインを手がけるデザイナー。ここで紹介されているのは「嵯峨本」と呼ばれる江戸時代初期に木製の活字で刷られた書物の文字をデータ化する嵯峨本フォントプロジェクトである。変体仮名、多数の異体字、「けり」「ける」などの連字の再現それ自体は現代のテキストにそのまま用いることができるものではないが、技術的には新たな文字組の可能性を示している。そして、文字を素材としながらも読めると読めないの境界を行き来するタイポグラファー大原大次郎。「もじゅうりょく」という作品は、文字をエレメントに分解し、それをモビールに仕立て、動き続けるなかで一瞬読むことができる文字が現われるというもの。このようにして、手法も表現の場も異なる3人の仕事を同時に見せることで、この展覧会は私たちが日常的に行なっている読む、書く、伝えるという行為の本質とは何なのかという問いを私たちに投げかける。そしてその答えを示していないところがまた、この展覧会の優れた点である。[新川徳彦]
2012/08/16(木)(SYNK)
遊ぶ椅子・考える椅子・働く椅子
会期:2012/08/01~2012/08/19
ウラン堂 ギャラリー デ・カタチノ[兵庫県]
阪急甲陽線・苦楽園口駅近くに今秋開店予定の「オールド&ニューブックス ウラン堂」は、洒落たブティックやレストランが立ち並ぶ街並みで波型パネルのファサードがひときわモダンな香りを放っている。箱状の建物の扉をあけると、吹き抜けのスペースに大きな木のテーブルが置かれたカフェがあり、横にある階段を上った奥にはギャラリー・スペースがある。書店としての営業開始は9月以降とのことだが、6月からプレ・オープン企画としてさまざまな展覧会が開催されている。展示されるのは、ウラン堂のオーナー、リトウリンダ氏が応援するクリエイターたちの作品。グラフィック・デザイナー、アート・ディレクターとして活動するリトウ氏は、関西のクリエイターたちの出会いの場を提供したいとの思いから、書店でありカフェでありギャラリーでもあるこの「箱」を立ち上げた。
今回紹介するのは、オープニング企画展Vol.3として開催された、関西の建築家、デザイナー、アーティストら7組による椅子の展示である。作家たちは各々、異なる経歴を持ち、年齢層も20代から60代までとじつに幅広い。展示された椅子はいずれも、各作家が心の襞のどこかに忍ばせておいた小さな願望のようなものがかたちになったかのようだ。
西良顕行のハイバック・チェアは、フレームの一部がサルスベリの木へと変容し、枝のあいだには鳥の巣箱もある。座が宙づりとなった合板の肘掛椅子は、建築家の藤井学がマルセル・ブロイヤーの「ヴァシリー・チェア」の合板への翻案を試みたもの。どちらの発想も、「コンセプト」という大仰な言葉よりは、「ちょっとやってみたかったこと」という形容がしっくりくる。クリエイターというのは、この「ちょっとやってみたかったこと」の繰り返しのなかに己の思想やアプローチを見出すのだと思うが、なかなかそれを実践する機会は得られない。そういう意味では、今回は、作家たちの自由な心が引き出された稀有な機会といえるのでは。出品作家が各々、自薦本を1冊展示するという本展のユニークな試みもそれを後押ししたかもしれない。
ゆったりと時間が流れるような空間では、訪れた客が注文したコーヒーを待ちつつ、階段を上って本や展示物を鑑賞する光景がみられた。今後、ウラン堂では、グラフィック・デザインを中心とした勉強会も実施される予定とのこと。阪神間の新しいクリエイティブ・スペースの誕生を祝いつつ、今後の活動にぜひ期待したい。[橋本啓子]
2012/08/15(水)(SYNK)
Century of the Child: Growing by Design, 1900-2000
会期:2012/06/29~2012/11/05
ニューヨーク近代美術館(MoMA)[ニューヨーク]
「子どものための20世紀デザインに関するMoMAによる野心的な調査の大規模展示」との宣伝文句が目につく。中身を見てみると、20世紀初めから現在までの、子どもを題材にまたは対象にした絵画やポスター、絵本や玩具、家具、日常用品、ゲーム機に至るまで、あらゆるものが展示されていた。確かに20世紀以後は子どもを完成されたひとつの人格として尊重するようになり、子どものためのデザインも著しく発展してきた。バウハウスの家具など、芸術作品さながらの、独創的なデザインをみるのは楽しかったが、全体的には統一性や文脈がなく、少しテーマを絞っていればより見やすく楽しめる展示になったのではないかと思った。野心的になり過ぎたかもしれない。[金相美]
2012/08/13(月)(SYNK)
山中俊治『カーボン・アスリート──美しい義足に描く夢』
本書はプロダクト・デザイナーで慶應義塾大学教授の山中俊治氏が、競技用義足のデザイン開発プロジェクトに臨んだ3年間の記録である。ロンドン・オリンピックでの活躍で話題を呼んだオスカー・ピストリウスの義足のように、カーボンファイバーの板バネを使用したスポーツ用義足は機能的にすでに高い水準が達成されている。日本でも同様の義足を使用するアスリートたちがいる。しかし、それらの義足の多くはデザインが不在であったと山中氏はいう。では、そこにデザインを持ち込むことの意義はなんだろうか。なぜ一般用の義足ではなく、スポーツ用義足なのだろうか。
戦争、事故、病気、先天性……なんらかの理由で身体の一部が失われてしまった人々を補助する道具のひとつとして、義手や義足には欠損した部位がはたしていた機能の代替が求められると同時に、動きや見た目などの外観的な要素を補うことも求められる。なかでも見かけの再現を主眼にした義手・義足を装飾用(コスメチック)義肢と呼ぶという。残念なことに現在の技術では使用者が求める機能と外観とは十分に両立できない。機能に不自由があったとしても「健常者」のような見た目を求めるか、それとも見た目に「違和感」があったとしてもより機能的な補助具を求めるかという選択が必要になる。その点、スポーツ用義足に第一に求められるのは、速く走るための機能である。カーボンファイバーでつくられた義足の形状は人の足とはまったく異なる。使用者もそれを当然のこととして受けとめている。それゆえデザインに求められる課題は装飾用義肢とは異なる。「すぐれたデザインは、どんな場面でも、人の気持ちを少し明るくするものだ」と山中氏はデザインの意義を述べる。「素敵なデザインの義足は、きっと切断者たちを少し前向きにすることができる」(45頁)。
デザインすることの意義はそればかりではない。アスリートたちの多くが日常用の義足とスポーツ用義足を履き分けているが、義足アスリートたちは日常的にも義足であることを隠さなくなる傾向にあるという(34頁)。機能的にも視覚的にも優れたデザインの義足を身につけたアスリートたちが、その実績によって自信を持ち、人々の好奇の目を気にしないで生活できるようになれば、義足であることを隠さずに済むばかりか、履き分ける必要がなくなるかもしれない。そのことは使用者の精神的ストレスや、もうひとつの義足を持つための費用負担をも軽減する可能性がある。さらに、アスリートたちの活躍がテレビや新聞でニュースが取り上げられることは製品にとっても、その使用者にとっても計り知れない効果を持つ。スポーツ用品メーカーがこぞって第一級の選手たちのためにコストを度外視し、逆にスポンサー料を払ってでも製品を開発するのは、莫大な宣伝効果が期待できるからである。一流選手が手にすることで、そのスポーツと関わりのない者までもが、必要もないのにバスケットシューズやランニングシューズを履くことになる。同様に、優れたデザインの義足を履いたアスリートたちが話題になり、その姿を目にする機会が増えれば、障碍やその補助具に対する人々の意識が変わる可能性がある。そしてその効果は選手にとどまらない。これこそが、なぜスポーツ用義足のデザインなのか、という疑問に対する答えであろう。このプロジェクトの最初の段階で、山中氏はすでにこのような価値観の変化の可能性と新しいノーマライゼーションの萌芽について記している(104頁)。山中氏が基本デザインを手がけたICカード改札機は、それまではなじみの薄かった非接触型ICカードという技術を人々の生活にとってあたりまえの存在に変えた。スポーツ用義足のデザインもきっと次の「あたりまえ」を生み出すに違いない。
これから始まるパラリンピックとともに、本書はさらに話題となるだろう。しかし本書の主題は障碍とスポーツとデザインとの関わりににとどまらない。3年間余という長期にわたって技術者と使用者とデザイナーの協業によって展開され、いまだ発展の途上にあるプロジェクトを記録しているという点で本書は類を見ない。さらに本書はデザインの新たなフィールドが生まれる瞬間を目撃するドキュメンタリーであり、学生がデザインを学び巣立つまでの物語であり、ひとりの優れたデザイナーが優れた指導者になるまでを描いた自伝でもあるのだ。[新川徳彦]
2012/08/10(金)(SYNK)