artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

Designer Show House 2012

会期:2012/10/13~2012/11/04

Osaka Hommachi OSK-Building[大阪府]

「Designer Show House」とは、老朽化した建物にインテリアデザイナーや建築家などが独創的な内装等を施し、一定期間公開するイベント。米国では40年以上前から行なわれており、入場料などの収益金は慈善団体に寄付される。日本では、1947年に米国で創設されたインテリアの職能団体「IFDA(International Furnishings and Design Association)」の日本支部が同イベントを主催しており、今回の大阪・OSKビルでの開催は、2009年のベーリック・ホール(横浜)、2010年のホテルシーガルてんぽーざん大阪(大阪)に続き、3度目となる。
 築約40年のOSKビル(大阪繊維共同ビル)は、繊維街として知られる大阪・船場の丼池筋にあり、かつては生地の卸問屋に販売場所を提供する「共販所」だった建物だ。最上階のフロアとペントハウスの2カ所がデザイナーたちの手で新たな空間に生まれ変わった。紙幅に限りがあるため、ここでは、フロアの空間デザインのうち印象に残ったものについて触れておきたい。
 9つの小部屋を有するフロアでは、「シゴトを遊ぼう」をテーマに、11組のデザイナーらによって多種多様なオフィス空間が生み出されている。石川安江が手がけたパーティ・プランナーのためのオフィスは、白い壁にコリント式円柱などのクラシックなモティーフが黒でドローイングされ、ピンクやシルバーグレーのドレープ布が垂れ下がる可愛らしい空間だ。豪奢さと可愛らしさの絶妙なバランスは現代のゴスロリ・ファッションにも通じるものかもしれない。
 対照的に、宮地敦子らが手がけたバーのような空間は、トリックアートのインテリアへの変換というべきだろうか。床一面が鏡となっており、ストライプの壁が床に映りこむことで、小さな空間が垂直方向に拡大される。床には、サイドテーブルに置かれたシャンパングラスやケーキが映り込んでいるが、現実のサイドテーブルの上にはなにもない。グラスやケーキはテーブル天板の下に接着されているのだ。
 アート的な要素は中田眞城子らが手がけたオフィス空間にも見出される。白一色で塗装された薄暗い空間に置かれた白い机。この机にはセンサーが付いており、天板に触れるとカラフルな光がプロジェクターから投影されて、グラム数が出る。これはひょっとして私の手の重さなのだろうか。試しにカバンを置くとやはりグラム数が出た。その数字は、毎日、重いカバンを肩にかけ、くたくたになって仕事場に帰り着き、デスクの上にカバンをおろしてほっとする自分への褒め言葉のようだ。独創的なアイディアの根底には、たんに参加型アートのインテリアへの応用といった意図を超えた、優しさの感情があるように思える。それは、あらゆるデザインの原点なのかもしれない。[橋本啓子]


石川安江「Party Planner Office "RISA BRAIRE"」



宮地敦子・鳥居佳則・加藤千明「アツコ イン トリッキーランド」



中田眞城子ほか「Multi-touch display table」
以上すべて撮影=土田尚子

2012/10/16(火)(SYNK)

懐かし うつくし 貝細工

会期:2012/10/07~2012/11/25

大田区立郷土博物館[東京都]

JR京浜東北線大森駅(東京都大田区)のプラットホームには、「日本考古学発祥の地」と記された碑が建っている。これは明治10(1877)年、アメリカ人エドワード・モース博士が当地を汽車で通った際に車窓から貝塚を発見し、それを契機として日本の考古学が発展したことを記念するものである。貝塚は縄文人が食用のために採取した貝殻の廃棄場所であるが、貝は食用ばかりではなく、その殻は器や道具として用いられ、また縄文時代にはすでに貝輪と呼ばれるブレスレット型の装身具が交易品として流通していた。貝殻を用いた装飾品は、日本だけではなく、世界中でつくられてきた。
 おもに明治期以降を対象に、貝殻を素材として用いたさまざまな日本の工芸品を紹介する本展の展示は、調度類とお土産品とに大別できよう。漆地に文様を切り出した貝殻を沈める螺鈿細工の洋櫃や茶箪笥。螺鈿細工に似ているが、貝の裏に色を着けた青貝細工の盆、重箱、箪笥やライティング・ビューロー。貝殻で絵画的なレリーフ装飾を施した芝山細工の額や衝立など。明治期から昭和初期にかけてつくられた展示品の多くは輸出品として海外へと渡ったもので、その大ぶりな装飾は、美術館や博物館で日本人向けの繊細な工芸品を見慣れた眼には奇異に映るかもしれない。
観光土産としての貝細工が大量につくられたのは昭和30年代。高度成長期を迎えて人々が国内各地の観光地を訪れるようになった時代のお土産品である。貝殻を組み合わせて人形や動物、船などをつくりあげたものもあれば、他の産地でつくられた木地と組み合わせた人形もあった。貝殻を花びらに見立てた造花や、羽根に見立てた鷹や孔雀もメジャーなモチーフだったようだ。貝殻を用いた細工物の歴史は古く、江戸時代には貝細工による菊人形のような見世物もあったという。
 500点超出品されている展示品のほとんどは、輸出工芸研究会会長の金子皓彦氏の蒐集品である。金子氏よれば、これまでに蒐集したさまざまな工芸品は大小合わせて100万点を超えるとか。その規模にも圧倒されるが、蒐集の特徴はものを取りまく歴史にまで関心が及んでいる点にある。いや、むしろそのような関心が金子氏の蒐集の根底にあるのだろう。工芸品ひとつにも、原材料の入手、職人の出自、製造工程、流通にまで調査が広がる。例えば江の島の観光貝細工の製造では、原材料となる貝殻は大阪の業者からトン単位で買い付けられ、製造の一部は千葉の下請けにだされていた。製品はアメリカに輸出されるほか、国内の米軍施設にも出荷されたという。ナイフやフォークのハンドル、ボタンなどに用いられる白蝶貝・黒蝶貝の採取はオーストラリアの小島で行なわれ、明治初めにはすでに多数の日本人ダイバーが貝の採取に従事していた。かつて人々の家の棚を飾っていたお土産品にも、小さなボタンにも、背後にはグローバルな歴史が存在するという金子氏の話には、工芸の歴史ではほとんど語られることがない、市井の職人たちの生き生きとした姿を見ることができる。ただ見るだけでも十分に楽しいオブジェの数々であるが、ぜひ図録(フルカラー、128頁が700円!)の解説とともに観賞して欲しい。[新川徳彦]

関連レビュー=華麗なる日本の輸出工芸──世界を驚かせた精美の技

2012/10/13(土)(SYNK)

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日活創立100周年の上映会や企画展

1912(大正元)年9月10日、国産活動写真4商社が合併して日本活動写真株式会社(日活)が誕生した。創立100周年を迎えた今年、これを記念して各地で日活映画の上映会が開かれているほか、その映画づくり歴史を振りかえる展覧会も開催されている。展示テーマは撮影所であったり、映画の主題であったり、経営であったり、それぞれの館の特徴が現われていてとても興味深い。
 日活創立の翌年1913(大正2)年、墨田区向島に向島撮影所が建設される。ここにはガラス張りのステージのほか、現像や編集の機材、衣装や道具を製作する設備が整えられ、1923年の関東大震災までにおもに新派映画と呼ばれる現代劇が、約760本も制作されたという。すみだ郷土文化資料館の展示では当時の写真資料と映画ポスター、雑誌を中心に、向島撮影所の歴史をたどる。東京大空襲でも多くの資料が失われたなか、向島撮影所に勤めていた樋口哲雄カメラマンのご子息が当時の写真アルバムを保存しており、これから資料館とご子息とで撮影所の研究と分析が進められるという。
 1934(昭和9)年には調布市に多摩川撮影所が開設される。この撮影所は戦時統制による合併により大映多摩川撮影所(現・角川大映撮影所)となったが、戦後1953(昭和28)年に日活は新たに調布市に撮影所を建設した。調布市郷土博物館の展示は日活撮影所のほか、「東洋のハリウッド」としての調布に焦点をあてる。映画雑誌、ブロマイド、チケット、脚本やプログラム、役者が描かれたメンコやカルタなど、マニアックな展示品の多くは映画史研究家・畑三郎氏のコレクション。
 川崎市市民ミュージアムでは、1950年代から60年代に制作された日活アクション映画の上映と合わせて、日活ダイヤモンド・ラインと呼ばれた俳優や共演した女優たちをポスターや撮影小物、衣裳などで紹介する。日活の女優たちの衣裳を手がけたのは、森英恵。日活からの貸し出し品とのことであるが、展示されている衣裳の保存状態がよいことに驚かされる。
 東京国立近代美術館フィルムセンター展示室では、1912年の創業から現在までの日活の包括的な歴史を、撮影所の立地や経営主体の推移によって5つのパートに分けてたどる。特筆すべきは会場の一角につくられた小部屋。18禁の表示。ピンク色ののれんをくぐると、そこは日活ロマンポルノのコーナーである。数々のポスターと、ロマンポルノカレンダー(展示は複製)は、いずれもフィルムセンターの収集品。日活の歴史のなかでも、あるいは今日の映画界で活躍する才能を輩出したという点でも、1970年代から80年代のロマンポルノの時代は避けて通ることができない存在であるはずだが、諸事情で他館ではなかなか展示できないようだ。11月からはフィルムセンターの大ホールで、ロマンポルノを含む日活作品の上映会が開催される。[新川徳彦]

日活向島撮影所 展


会期:2012年7月28日(土)~11月4日(日)
会場:すみだ郷土文化資料館
東京都墨田区向島2-3-5/Tel. 03-5619-7034


日活100年と映画のまち調布


会期:2012年8月12日(日)~10月21日(日)
会場:調布市郷土博物館
東京都調布市小島町3-26-2/Tel. 042-481-7656


日活創立100年記念資料展


会期:2012年8月4日(土)~11月4日(日)
会場:川崎市市民ミュージアム
神奈川県川崎市中原区等々力1-2/Tel. 044-754-4500


日活映画の100年 日本映画の100年


会期:2012年8月14日(火)~12月23日(日)
会場:東京国立近代美術館 フィルムセンター
東京都中央区京橋3-7-6/Tel. 03-3561-0823

2012/10/11(木)ほか(SYNK)

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Design Futurology

会期:2012/09/27~2012/11/25

ソウル大学校美術館[ソウル(韓国)]

デザインの条件を考える際によく取り上げられるのが「造形性・独創性・実用性・経済性」だ。国や地域によってその時期は異なるが、おおむね1930年代以後に現われた、大衆消費社会はデザインの造形性や経済性の向上をうながし、逆に優れたデザインは消費をうながすといった、いわゆる生産と消費の好循環システムが確立することになる。そんななか、限りある資源や環境問題への関心が高まり、1970年代以後はデザインの役割を見直そうとする動きが広まった。グリーンデザインやエコデザインに対する議論が本格的になり、持続可能なデザインが求められるようになったのである。本展は、人間とその未来をつなぐ持続可能なデザインのあり方を考える試み。例えば、デヴィッド・トルブリッジ(David Trubridge)の竹素材の照明器具は折りたたむことが可能で、包装や運送費用の節約ができるといった具合だ。また、京都造形芸術大学の竹村真一教授の地球温暖化を考える「Tangible Earth」プログラムや、ある韓国企業の住宅再開発を見直す「Junkyard Project」など、さまざまな試みが紹介されていた。たしかタイムリーな話題だが、展示(内容)の新しさは足りないように感じた。[金相美]


左=会場外観
右=エントランス



展示風景

2012/10/07(日)(SYNK)

デザインとしての椅子 アートとしての椅子

会期:2012.09.08~2012.11.04

富山県立近代美術館[富山県]

日本の公立美術館におけるデザイン展の開催は、ファインアートの展覧会に比べて圧倒的に少ない。そこにはさまざまな事情が絡んでいるのだが、いずれにせよ、デザインがアートではないために美術館の収集・展示対象になりにくいと考えられていることがその大きな理由だろう。しかし、ニューヨーク近代美術館にはデザイン部門があるし、今回、紹介する富山県立近代美術館も日本では老舗の近代美術館でありながら、1981年の開館以降、グラフィックからプロダクトに至るデザイン作例を積極的に収集・展示してきた。また、同館は日本画、近現代美術の収集・展覧会企画においても高い評価を得てきている。「デザインとしての椅子 アートとしての椅子」は、アートとデザインの関連の観点から20世紀の椅子の歴史を振り返ろうとする展覧会だが、そうした、ありそうでない企画が実現されるのも、同館の歴史ゆえのことだろう。
 本展では、オットー・ワーグナーやアントニオ・ガウディなどのアール・ヌーヴォーの時代に始まり、エットーレ・ソットサスや磯崎新などのポスト・モダンの時代に至る20世紀の椅子の歴史が100点を超える所蔵品により概観される。この点だけでも日本では稀な機会だが、さらに面白いのはそれらの椅子と同時代のアートが併せて展示されることだ。カンディンスキーやクレーといった、バウハウスの美術家の絵画を、同じくバウハウスのブロイアーやミースの椅子とともに展示することはけっして珍しくないが、横尾忠則の絵画と倉俣史朗の椅子という組み合わせには驚く人もいるのではないだろうか。実はこのふたりは1960年代にコラボレーションを行なったことさえある仲である。そうした事実を知らなくても、椅子のデザインが同時代のアートの影響を、造形面でもコンセプトの面でも受けていたことは展示品自身が語ってくれる。椅子は「アート」ではなくとも、「造形」ではあるのだ。本展ではさらに、剣持勇や渡辺力など、戦後日本の名作椅子も体系的に展示される。彼らの格闘の成果ともいうべきそれらの椅子は、あらためて「椅子」が西洋由来のものであることをわれわれに気づかせてくれるだろう。[橋本啓子]

2012/09/30(日)(SYNK)