artscapeレビュー
絵本はここから始まった ウォルター・クレインの本の仕事
2017年04月15日号
会期:2017/04/05~2017/05/28
千葉市美術館[千葉県]
イギリスの画家・デザイナーであるウォルター・クレイン(1845-1915)は、ウィリアム・モリスの思想に共鳴して、社会主義運動、アーツ・アンド・クラフツ運動に参加したことで知られている。クレインがモリスとともに活動するのは1880年頃からのことであり、それまでは主に「トイ・ブック」と呼ばれる子供向けのカラー絵本を数多く手がけている。この展覧会は、これらクレインの本の仕事に焦点をあてる企画。
1845年に画家の息子としてリヴァプールに生まれたクレインは、木口木版の工房でデッサンの基礎を学び、その後多色刷木口木版の技術を開発した彫版師エドマンド・エヴァンズに才能を見いだされ、1865年に全ページカラー刷りの絵本を生み出した。それ以前の絵本の挿画は単色の版に手彩色だったり、イラストは既存のものの流用だったりしていたところに登場したオリジナルな美しい色彩の絵本は、人々に高く評価され、多くのタイトルが出版され、それぞれが幾度も版を重ねた。トイ・ブックは8から12ページの小さな絵本で、当時6ペンスあるいはその倍の1シリング程度で売られていた安価な本。クレインが手がけた作品は、シンデレラや長靴をはいた猫、美女と野獣、マザーグースなどのよく知られた物語や、アルファベットを覚えるための唄など、多岐にわたる。テキストを含め誌面全体が美しく構成されていることが特徴的で、クレインが単なるイラストレーターではなく、優れたデザイナーであったことがよく分かる。
クレインの絵本の魅力が、当時の印刷技術とともにあったことは見逃せない。図版の印刷に用いられたのは、木口木版。クレインの原画を元に、エヴァンズが主線の版を彫って仮刷りし、これにクレインが色の指示をして色版を完成させる。6ペンスの本では主線の版の他に4色、1シリングの本では合計8色の版で刷られているという。鑑賞の際にはルーペか単眼鏡の持参をお勧めする。細部を拡大してみると、色版は単純なベタの色面ではなく、ハッチングなどの手法で濃淡をつけており、さらには他の色版との掛け合わせで微妙かつ複雑な色を表現していることに驚かされる。少し離れてみると、筆者には手彩色やリトグラフによるものと区別が付かない。木口木版が用いられたのは、これが活字と組み合わせて凸版印刷の手法で刷ることができたことと、機械を使った大量印刷に耐える強度があったためだ。トイ・ブックは通常でも数万部、多いものでは10万部も刷られたという。板目木版や銅版画では版が潰れてしまうためにこれほどの大量印刷は不可能だ。日本で同様の技術が用いられたという話を聞かないのは、日本で出版文化が興隆した頃にはすでに石版印刷や網点による色分解が主流になっていたからであろうか。クレインの作品にも後期には網点によるカラー印刷のものがあるが、あまり魅力が感じられないのは、クレインが木口木版の技法を熟知したうえでその特徴を最大限に生かすように作品を描いていたからなのだろう。
会場にはクレインのほぼすべての絵本と主要な挿絵本約140点の他に、エヴァンズが版を手がけた他の画家たちの作品(これも印刷が素晴らしい)、絵本画家ケイト・グリーナウェイ、ランドルフ・コールデコットの作品も並ぶ。ヴィクトリア時代後期の絵本の世界を堪能できるこの展覧会に出品されている作品が、すべて国内の美術館や博物館、図書館、個人の所蔵によるものという点も驚きだ。このほか、千葉市美術館のコレクションから、クレインの表現様式に影響を与えた日本の浮世絵版画が出品されている。クレインの作品を大胆に構成したチラシデザインおよび図録装丁は中野デザイン事務所。[新川徳彦]
2017/04/11(火)(SYNK)