artscapeレビュー
ファッションとアート 麗しき東西交流
2017年06月01日号
会期:2017/04/15~2017/06/25
横浜美術館[神奈川県]
京都服飾文化研究財団(KCI)が所蔵するドレス、服飾品約100点を中心に、内外の絵画、工芸品によって、明治から大正、昭和初期までの日本と西洋の文化交流およびそれらが人々の生活や美意識に及ぼした影響をみる企画。ファッションに焦点を当てる展覧会は、横浜美術館では初めてのことだという。
展示は3章で構成されている。第1章は「東西文化の交差点YOKOHAMA」として、1859(安政6)年の開港以来、明治時代に主に横浜で製造・輸出された日本の家具、工芸品、装身具が出品されている。とくに興味深いのは、椎野正兵衛商店製の輸出用室内着だ。殖産興業政策のもと横浜港から輸出された代表的な商品は生糸だが、明治政府はさらに付加価値が高い絹製品の輸出を試みた。西洋市場の動向をつかむために1873(明治6)年のウィーン万博に絹物商として派遣されたのが椎野正兵衛で、その万博参加後に輸出が開始された絹製品のひとつが室内着だった。外出着は顧客のサイズに合わせて縫製する必要があるので、輸出品としてあらかじめ製造することは難しい。しかし、室内着は比較的緩やかな仕立てでよいため、日本国内での製造が可能だったという。(周防珠実「明治期の輸出室内着」本展図録162-166頁)。仮に外出着の製造が可能であっても、ファッションの変化は速く、欧米の情報を得て日本で仕立てた服が現地に到着する頃にはすでに流行遅れになっていたに違いない)。またヨーロッパの市場が日本製の服を求めていたかどうかも疑問だ。19世紀半ば、ヨーロッパでは蚕の伝染病が流行したために生糸が不足し、絹織物産業に打撃を与えていた。日本から蚕種、生糸が大量に輸出されたのはそのような需要側の事情が大きく影響している。であれば、加工済み日本製絹製品の輸入を、現地絹織物業者たちはどのような目で見ていただろうか。
第2章は「日本 洋装の受容と広がり」。日本の皇室や上流階級の人々の洋装化の過程を、実物資料や、絵画・写真で見る。楊洲周延などの錦絵、鹿鳴館における社交風景を見ると女性の洋装化は早くから進んでいるように見えるが、それは上流階級のことで、庶民の女性が洋服を着るようになるのは遅く、本格的な洋装の広がりは第二次世界大戦後のことだという。しかし、和装にも西洋からの影響があったことは、指輪や髪飾りなどの装身具や、銘仙に用いられたモダンな意匠に見ることができる。
第3章は「西洋 ジャポニスムの流行」。ここでは19世紀後半の西洋における日本ブームと、その美術工芸やファッションへの波及が紹介されている。珍しいものとしては江戸時代の小袖をドレスに仕立て直したもの。しかし出品作品を見る限り、日本の染織品というよりも、それらを独自に解釈したものがほとんどだ(だからジャポニスムなのだが)。それも、意匠の直接的模倣から、たとえば着物の構造をドレスに応用するなど、東洋との交流が次第に西洋の工芸やファッションに新しいスタイルを創り出していった様子を見て取ることができる。
本展の企画はすでに2013年よりスタートしており、近年の明治工芸ブームや、昨年東京周辺で多数開催されたファッション関連の企画を後追いしたわけでは決してないとのこと。それでもこの時期に互いに領域が重なる企画が連続していることは興味深い。そうしたなかでも本展は美術館が所在する横浜という地域を起点としてファッションを美術工芸とともに見せることで、より幅広い生活領域における東西交流の姿を提示している点で、他の企画とは一線を画した構成になっている。[新川徳彦]
関連レビュー
日本人と洋服の150年|SYNK(新川徳彦):artscapeレビュー
2017/04/14(金)(SYNK)