artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
『民芸運動と建築』
「それまで見過ごされてきた日常の生活用具類などに美的価値を認めようと、柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司らによって大正末年・昭和初年に始められた運動。短く辞書風に書くならば「民芸運動」はこのように紹介されるだろう」とはじまる本書は、こうした民芸運動と建築との関係を、広い視野で展望したもの。「濱田庄司邸」「日本民藝館」「河井寛次郎記念館」「倉敷民藝館」など、民芸運動に関わりのある建物や調度品が豊富な写真とともに紹介されている。また、1998年に発見され話題となった、「三国荘」や「高林兵衛邸」など、書籍として初公開の建築も多い。民芸運動や建築の専門家5人による最新の研究成果や情報も充実している。「民芸の建築」を楽しめる写真集として、あるいはこれまで部分的にしか語られなかった「民芸運動と建築との関わり」を知る研究書として、意味のある一冊だ。
[金相美]
2011/05/20(金)(SYNK)
『倉俣史朗 着想のかたち──4人のクリエイターが語る。』
本書は1960年代から1990年代初頭にかけて日本の商業インテリアデザインとプロダクトデザインを牽引したデザイナー、倉俣史朗(1934-1991)について、4人のクリエイターにインタビューを行ない、それを収録したものである。掲載順に小説家の平野啓一郎氏、建築家の伊東豊雄氏、クリエイティブディレクターの小池一子氏、プロダクトデザイナーの深澤直人氏へのインタビューが収められているが、もし、小池氏、伊東氏、深澤氏、平野氏の順に読めば、倉俣のデザインについての入門書として本書は読めるかもしれない。小池氏は倉俣の活動していた時代のアート・デザイン・ファッションの交錯の状況、伊東氏は建築とインテリアの関係性と差異からみた倉俣デザイン、そして深澤氏はデザインとしての倉俣デザインの特異性、という視点からおのおの語っているからだ。異色なのは造形ではなく言葉を生業とする平野氏へのインタビューで、小説の創作プロセスとデザインのそれとの関わりがおもに語られている。インタビュ─以外に倉俣自身の言葉も本書は収めている。
倉俣のデザインは生前から注目されたため、これまで多数の批評や本人による言説が発表されているが、その大部分は雑誌掲載記事である。したがって、倉俣の同時代人である小池氏と伊東氏の章が過去の言説の繰り返しの感は否めず(実際、両人とも過去に倉俣に関する文をさんざん執筆しているのだから仕方がない)、深澤氏による倉俣の解釈もやや新鮮味を欠くとはいえ、それらがバラバラな記事ではなく単行書としてまとめられたことは意義深い。しかし、どのインタビューにも言えるのは、示唆的な言葉が登場し、その意味を知りたいと思っても、別の話題にすぐ移ってしまうことだ。これは、インタビュー形式ゆえの難点だろう。平野氏の章では、デザイン一般に対する彼の考えが語られているのは興味深かったが、結局それと倉俣デザインに対する彼の思いがどう繋がっていくのかがわからなかった。インタビューではなくエッセイの形式をとれば、こうした未消化な部分は避けられたように思う。
日本では1960年代以降のデザインの流れがいまだ検証されていないという現況があり、それが本書(に限らないが)がもたらす未消化な読後感の遠因には違いない。最後の川床優氏によるエピローグは、それを補うべくデザインの歩みの中に倉俣を位置づけようとする意図がうかがえた。例えば美術史、建築史のようにデザイン史が普及している状況があれば、深澤氏などは、倉俣についての基本的な理解から話し始めることをせず、もっと彼自身の独創的な解釈を授けられたのではないか。本書が示唆するコンセプチュアルな側面からのデザイン研究の成熟が望まれる。[橋本啓子]
2011/05/20(金)(SYNK)
第57回ニューヨークタイプディレクターズクラブ展
会期:2011/05/16~2011/06/02
見本帖本店[東京都]
世界30カ国から応募されたタイポグラフィを主体とするグラフィック作品のなかから208点を展示する展覧会。この展覧会をどう見て良いのか困るのは、おそらく私が部外者だからであろう。個々の作品がなにを意図しているのか、誰をターゲットとしているのか、どのような媒体に掲出されるのか、どの程度の露出を前提としているのか。作品が内包する課題、生み出されるまでに直面したであろうさまざまな制約が展覧会場ではわからない。海外のターゲットのための海外の制作者による作品を、ターゲットの外にいる私が評価するのは困難である。なので、表現の表面的な新しさ、個人的な好み以上のコメントはできない。
もっとも、あなたがデザイナーであるならば話は別である。この展覧会はタイポグラフィ表現の最新の見本帳である。ここに世界のトレンドが集まっている。実物を手にとり、スケール感、質感を体感できるこの機会にぜひとも見に行くべきである。どんな作品集を見るよりもはるかに得るものがあるはずだ。[新川徳彦]
2011/05/18(水)(SYNK)
阪大生・手塚治虫──医師か? マンガ家か?
会期:2011/04/28~2011/06/30
大阪大学総合学術博物館 待兼山修学館[大阪府]
大学付属の博物館が、しかも「阪大生・手塚治虫──医師か? マンガ家か?」という限定されたテーマについて企画したものだが、十分に見応えのある展覧会だった。漫画家、手塚治虫が医者でもあったことはよく知られている。1945年に大阪大学医学専門部に入学、その翌年に漫画家としてデビュー。当時中之島(大阪府)にあった医学専門部での講義や実習が終わると、角帽の代わりにトレードマークとなったベレー帽をかぶって漫画家に変身、出版社へと赴く日々が始まったという。また、1950年には東京の出版社での連載もはじまり、東京と大阪を片道11時間もかけて往復する超多忙な生活を送っていたそうだ。大学を卒業する頃には、すでに漫画家として確固たる名声を築いていたが、驚くべきことに同時期に「医師国家資格」も取得している。その情熱と努力に感服するばかり。展覧会では作品はもちろん、当時の写真やその他の資料を頼りに手塚治虫の学生漫画家時代を振り返っている。きちんと整理され精密画などが描かれている授業ノートや手帳、希代の昆虫好きだった彼の昆虫標本など、漫画家、医学生、そして人間としての手塚治虫を垣間見ることができる。
[金相美]
2011/05/18(水)(SYNK)
増田三男 清爽の彫金──そして、富本憲吉
会期:2011/05/17~2011/06/26(工芸館)、2011/05/17~2011/06/18(早稲田大学)
東京国立近代美術館工芸館[東京都]
2009年に100歳で亡くなった彫金の人間国宝・増田三男(1909-2009)の作品を中心に、彼が師と仰いだ陶芸家・富本憲吉(1886-1963)との関わりを考える展覧会。増田の没後、手元に残されていた作品と増田が所蔵していた富本の作品が早稲田大学と東京国立近代美術館に寄贈された。今回の展覧会は、そのお披露目でもある。工芸館会場では他館所蔵の作品も加えておもに増田三男の仕事の全貌を追い、早稲田会場では作品を通じて増田と富本との関わりを見せている。
増田三男の作品の魅力の第一は、描き出された模様にある。桟橋にとまるシギの姿や、竹林や雑木林、柳の木立など、比較的具象的な意匠がある一方で、蝶、兎、鹿など古典に学びながら紋様へと昇華したモチーフもある。幾何学的な模様とも見える麦畑の図を見ると、増田の着想がとてもユニークであることがわかる。
作品に用いられた意匠はさまざまであるが、一貫しているのは独自性であり、その背景には「模様より模様を造るべからず」という富本憲吉の思想があった。増田は富本の言葉に従い、自然の写生に基づく模様の創作に取り組んでいたという。両者の関係はものづくりの思想、あるいは師弟関係にとどまらない。富本は香炉のための火屋の制作を増田に依頼しており、その数は200点を超える。火屋の意匠は、増田が富本の作品を独自に解釈してつくりあげたものであった。とくに富本の書からとった文字の意匠は富本も気に入っていたと増田はかつて語っている。富本は増田の仕事を高く評価しており、作品の箱書きや解説にも増田の名前が出るよう気を配っていた。図録の解説には富本が増田に送った書簡が引用されており、その文面からも師である富本が増田に対して深く信頼を寄せていた様子が伝わってくる。[新川徳彦]
2011/05/17(火)(SYNK)