artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
Presentation Zen
発行日:2009/09/04
「デザイン」とは、見た目や可視的なものだけを意味する言葉ではないということを、ガー・レイノルズ氏の著述は改めて教えてくれる。彼が提唱する〈Presentation Zen〉とは、禅の理念を旨とするプレゼンテーションのデザイン術のこと。氏は、アップル本社のマネージャー時代に、マックのユーザー団体を対象に講演やデモンストレーションを行なった豊富な経験をもつ。現在は、関西にある私立大学の准教授で、経営学やマルチメディア・プレゼンテーションを教えている、その分野に関してはいわばプロ中のプロ。著書『プレゼンテーションzen──プレゼンのデザインと伝え方に関するシンプルなアイディア』(ピアソン・エデュケーション、2009)はプレゼン以前の心構え・アプローチに始まり、構想の段階から発表までを幅広く扱う。本書はビジネス部門でベストセラーになったが、教師や学生にとっても有用だろう。続編『プレゼンテーションzenデザイン──あなたのプレゼンを強化するデザインの原則とテクニック』(ピアソン・エデュケーション、2010)は、スライドの事例を豊富に掲載し、ヴィジュアル面に特化している。そして、彼の充実したブログ(英語)──単なるプレゼン論にあらず、人生哲学についても触れられていて勇気づけられる──を読むならば、私たち誰もが可能性を秘めた主役であって、自らが常になにかを能動的につくりあげながら生きている「デザイナー」なのだということに気付かされる。いずれにおいても、ガー・レイノルズの趣旨は、視覚的プレゼンの方法をテクニカルに説くものではない。コミュニケーション・デザインの内奥を論じているのだ。[竹内有子]
2011/02/15(火)(SYNK)
20世紀のポスター[タイポグラフィ]──デザインのちから・文字のちから
会期:2011/01/29~2011/03/27
東京都庭園美術館[東京都]
株式会社竹尾が蒐集したポスターコレクション約3,200点のなかからタイポグラフィを扱ったもの113点を選び、展示するもの。展示は1900年代から1990年代までを、おもに「印刷技術」と「表現様式」によって4つの時代に区分し、多様なタイポグラフィとその表現の変化を追う。
出品されている作品を見てゆくと、公共団体による啓蒙活動や、デザイン団体の展覧会告知が多いことに気がつくだろう。企業のものであっても商品ではなく、イメージ広告が中心である。とくにテキスト中心のポスターにその傾向が強い。この展覧会のために選ばれたポスターがどれほど時代を代表するのかわからないが、そこからは「タイポグラフィを主体とするポスターは、モノを売るためには適していないのか」という疑問が生じる。
図録に収録されている西村美香氏の論考が、この疑問の一端を明らかにしてくれる。たとえば、本展にも出品されている亀倉雄策「ニコンSPポスター」(1957年)は、「クライアントで日本光学がついているものの広告宣伝用というよりも展示会の商品のバックを飾る壁面装飾用であって、もともとは日宣美展出品作品でデザインが先行する実験的作品であった」のである。西村氏は「今日、50年代60年代を代表する日本のポスターとして紹介されているものにはこうしたクライアントのないノンコミッションのものがずいぶんとある」とし、「クライアントもなく大衆に支持もされていないポスターが本当に優れたデザインなのであろうか」と疑問を呈する。はたして、タイポグラフィの試みはどれほど大衆に影響を与え得たのか。どれほどクライアントの要求に応え得たのか。表現に込められたデザイナーの思想、理想は十分に理解できるが、作品への評価には現実社会との接点がよく見えない。同じことが今回の展示、セレクションの方針にも言える。
会場の展示解説はシンプルだが、図録はとても充実している。作品については、デザイナー/タイトル/内容/制作年/国/クライアント/サイズ/用紙(種類・斤量)/使用書体/印刷技法(+色数、線数)という情報まで記載されている。図録の後半がデザイン史研究者による関連研究に充てられているのも特筆される。また「あなたにとってタイポグラフィとは?」という質問に対し、12人のデザイナーがそれぞれ回答を寄せている。ポスター自体はほかでも見る機会があると思うが、図録はいまのうちに入手しておくべきだろう。[新川徳彦]
2011/02/15(火)(SYNK)
アート・アクアリウム展
会期:2011/01/29~2011/02/14
大丸ミュージアムKOBE[兵庫県]
暗闇のなか、さまざまなガラス水槽に入った金魚が、鮮やかな色彩でライトアップされて浮かび上がる。アクアリスト・木村英智氏は、ガラス水槽だけでなく色と光の演出によって、アクアリウムを人間の住環境へ拡張するアート空間へと仕立て上げた。それは、見慣れた水族館の展示とはかけ離れた、過剰に人工的な空間である。水族館での展示は、生態展示や行動展示といったかたちで、生物を自然に近い状態で見せる。つまり、海・川の水中環境を再現した空間演出がなされる。しかし「アート・アクアリウム展」では、和をモチーフに、花魁をイメージした巨大な金魚鉢・模様の浮き出た行燈・額縁・花瓶など多様な形をしたカラフルな水槽の中で、金魚が群れ泳ぐ。それというのも、金魚が天然には存在しない、愛玩用に作りだされた生物であるという「人工性」が基本コンセプトになっているからだろう。同展では、金魚はもはや生き物というよりも、和物の生活道具に見立てられた水槽とともにある、インテリア・デザインの一部なのだ。会場にいると、昔懐かしい風情漂う金魚鉢が恋しくもなったが、最後の展示《ビョウブリウム(屏風水槽)》には眼が吸い寄せられた。屏風型の水槽に投影された水墨画のような映像が時間と共に変化し、赤と黒の金魚が点景となって浮遊する。ここには、複合現実の空間、時間と運動を導入したアート作品が出来上がっていた。[竹内有子]
2011/02/12(土)(SYNK)
手の中の世相──マッチラベルコレクション展
会期:2011/01/24~2011/02/24
京都工芸繊維大学 美術工芸資料館[京都府]
こぢんまりとした展示場にレトロなマッチ箱がいっぱい。レトロと思ったのは「マッチ」そのものに対する印象かもしれない。いまではあまり使わなくなったマッチだが、かつては日常生活に欠かせない必需品であったし、喫茶店や居酒屋、旅館などには、必ずと言っていいほどその店の名前を入れたマッチが置いてあった。マッチ箱は間違いなく小さな広告塔であり、デザインの実験場であった。客の記憶に残る、印象的な絵柄や字体を考案するだけでなく、手のひらよりも小さいマッチ箱の表面にそれらを施す工夫も必要だったからだ。実際、展示のなかでも同じ広告(デザイン)がポスターになった場合と、マッチ箱に施された場合を比較している。興味深い。時代の最先端をゆく斬新なデザインと技術、一方で、定番化した古典的なデザインも多いのがマッチ箱のラベル。無料で配るものだから、安価につくる必要があったからだ。同じ型をつかって、色だけを変えるといった具合だ。並べてみると結構面白い。普通なら使い捨てられるマッチ箱、そこには時代の世相や風俗、さらにはデザインにおけるさまざまな工夫が凝縮されており、デザイン史を振り返る上で貴重な資料となる。[金相美]
2011/02/12(土)(SYNK)
栄木正敏のセラミック・デザイン──リズム&ウェーブ
会期:2011/01/08~2011/02/13
東京国立近代美術館本館 ギャラリー4[東京都]
栄木正敏は陶磁器専門のプロダクト・デザイナー。デザイン好きであった高校生のころ、偶々日本橋三越で森正洋がデザインした土瓶に出会ったことが、陶磁器デザインとの関わりの最初であるという。「高校生でも買えるこんな格好いいものが自分でもいつか作ってみたいと思うようになった」という彼は、武蔵野美術短期大学で学んだ後、瀬戸を拠点に仕事をしてきた。「当時、瀬戸では和食器のデザインは伝統デザインの模倣アレンジに価値があり、洋食器やノベルティは欧米貿易商の持ち込むデザインで事足りていて、デザインとしての「独立」はなかった。……五百も陶磁器工場が林立しているのに陶磁器デザイナーもデザインを望む工場も皆無の状態であった」(栄木正敏「私の陶磁器デザインと『三つのびっくり』」(『現代の眼』585号、3頁))。
デザインへの需要がない状況の下で、彼は杉浦豊和らとともにセラミック・ジャパンを設立し(1973年)、自らデザインし、製造し、販売する新しい道筋を作り上げる。すばらしいことに、この会社は小松誠、最近では秋田道夫など、さまざまなデザイナーとコラボレーションを行ない、優れたデザインの作品を多数送り出しているのだ。
栄木正敏は、カタチをデザインするのみならず、石膏原型を含む製品化への工程すべてにかかわっているという。そうしてでき上がる作品は、十分に機能的でありながらも装飾性を強調し、デザインによる差別化を目指す。
彼の作品を手に入れて日常が劇的に変わるわけではない。食卓の上にあって、なにかが少し変わる。それは冷蔵庫やエアコンが新しくなるとか、テレビが新しくなると言うこととは違う。もたらされる機能はそれまでと変わらない。なにか新しいことが始まるわけでもない。使っていて、気持ちが変わる。そして、いわゆる「陶芸家」の作品とは異なり、そのことを強く意識しないでも手に入れることができる。いつの間にか食器棚の中に入っているかもしれない。食卓に並んでいるかもしれない。割れてしまうことはあるだろう。しかし、家電のように古くなったから、故障したからと買い換えられることはない。親の世代から子の世代へと受けつがれ、使われ続けることもある。売られ続けるだけがロングライフデザインではない。使われ続けることも大切だ。そうしたものづくりとは、なんと幸せな仕事であろう。[新川徳彦]
2011/02/10(木)(SYNK)