artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
柏木博『探偵小説の室内』
デザイン評論家・柏木博による、「人々の存在あるいは内面と結びつくものとして、〈室内〉を主題とした」意欲作。本書は、ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』に記された、「推理小説が室内の観相学となっている」という指摘から着想されている。また柏木は、「19世紀が〈室内の時代〉であって、ブルジョワジーたちが室内に幻想を抱き続けるようになった」というベンヤミンの記述を挙げ、近代的な個人主義の成立と「室内へのこだわり」との結びつきを強調する。確かにインテリアは持ち主の人となり、内面や精神までをも表わす。だから、部屋(=事件現場・手掛かり)から犯人像を読み解く推理小説においては、室内表象のされかたがどうなっているかについての考察は興味深いし、著者の着眼点はとてもユニークだ。ただ『探偵小説の室内』というタイトルから期待されるほど、純粋な推理小説作家が多く扱われていないのが少し残念だ。ポール・オースターやベルンハルト・シュリンク等々の作品を考察した章は、それはそれでもちろん面白いのだが。例えば現代ミステリ・ファンにあってみれば、女性探偵を主人公とした作品や女性作家の眼がもう少し取り上げられていたら、より楽しみが増えただろう。[竹内有子]
2011/05/15(日)(SYNK)
華麗なる日本の輸出工芸──世界を驚かせた精美の技
会期:2011/04/29~2011/07/03
たばこと塩の博物館[東京都]
展示されている品々は、漆工であっても陶磁器であっても、ふだん美術館で優品として展示される工芸品とは印象を異にする。大胆な構成の貝細工、寄せ木のトランプケースやチェステーブル、会津漆器の十字架や聖書書見台など、意匠はもちろん、用途の面でも、見慣れた工芸品とは違う。これらは、おもに明治期から昭和初期にかけて海外向けに生産された装飾工芸品。日本の工芸品ではあるが、日本人のための品ではない。伝統的な技術が用いられているにもかかわらず、違和感を覚える理由はそこにある。
殖産興業の一環として明治政府が日本の工芸品輸出を奨励していたことは良く知られているが、工芸品には直接輸出されたものばかりではなく、箱根などの観光地で外国人旅行者向けのお土産品として製造販売されていたものも多い。製造業者は本来の産地から離れ、輸出港である横浜や、消費地である観光地の周辺に集積し、海外での需要に応え、外国人旅行者の嗜好に沿った製品をつくっていた。欧米の人々の好みに合うように意匠は大胆に構成され、飾り棚などの大物は運搬を容易にする構造上の工夫もなされていたという。
用いられた技術は必ずしも一流ではない。美的にも日本人の嗜好には合わないと思われるものも多い。しかしながら、ここに見られる品々は優品として遺されてきたものよりもずっと普遍的な日本の工芸品生産の結果であり、明治以降、否、それよりもはるか以前から、マーケットを志向せずしては存立し得ない工芸の本来の姿を伝える貴重な史料である。
出品されている約200点の作品は、すべて日本輸出工芸研究会会長の金子皓彦氏が長年にわたって内外で集めてきたコレクションのほんの一部である。氏のコレクションは寄せ木細工だけでも25,000点に及ぶという。蒐集にかける情熱に驚嘆させられる展覧会でもある。[新川徳彦]
2011/05/15(日)(SYNK)
野井成正の表現──外から内へ/内から外へ
会期:2011/04/26~2011/07/03
中之島デザインミュージアム「de sign de」[大阪府]
2011年4月に大阪・中之島にオープンした「中之島デザインミュージアム de sign de」の開館記念展。川沿いに立つミニマル・デザインの建物に入ると、入口の西側スペースがカフェ、東側が展示室になっている。70平方メートルの展示室には、夥しい数の間伐材の柱が所狭しと立ち並び、その上部を無数の梁板がランダムに走る。これは、空間デザイナーの野井成正が新たに考案した「間伐材による移動可能なシステムキット・インテリア」であり、4本の柱と4本の梁板を最小単位として釘やねじを使わず組み立てが可能だ。つまり、一見、現代美術のインスタレーションに見えるこの展示は、installation(=取り付け、設置)の原義にふさわしく用を備えている。確かに、工事現場のような間伐材の林の中に入ると、どこに壁を立てて、廊下を設けようかなど、本能的に考えてしまう。これも野井の空間の成せるマジックなのか。
そう思いつつ2階に向かうと、階段で野井の椅子たちと目があう。荒々しい間伐材の空間とは対極的な、繊細なオブジェのような椅子である。2階で待ち受けていたのは、無数の竹が天井からつり下がるインスタレーションだった。竹の林を抜け、壁面に近づくと、人々のいる風景を描いた抽象的なドローイングが広がり、その横には野井が過去に手がけたバーや店舗インテリアの写真とマケットが飾られている。インテリアや建築は展示がしづらいジャンルだが、このように内部写真と模型を一度に見ることができるとわかりやすい。また、インスタレーションと壁面のドローイングに身体を取り巻かれる体験は、商業空間において野井が立ち上がらせようとする「風景」がなんであるのかを気づかせてくれる。
展覧会の副題「外から内へ/内から外へ」にあるとおり、木と竹のインスタレーションは内でも外でもない空間、もしくは室内と屋外(木、竹のある外)がときに反転するような空間である。このトポロジー性はまさにインテリアデザインの本質といって良いだろう。それは、建築の内部という与件を超越するものとして、インテリア・デザイナーたちが現前させようとする彼方の世界に他ならないのだ。今回の野井展は、商業インテリアを手がけるデザイナーという展覧会の対象としては稀なジャンルを採り上げた画期的な試みであり(しかも東京ではなく大阪である!)、会期中にはデザイナーによる対談やBARでの集いなど多数のイベントが用意されている。詳しくは、ウェブサイトを参照されたい。[橋本啓子]
2011/05/14(土)(SYNK)
愉快な家展──西村伊作の建築
会期:2011/03/05~2011/05/19
INAXギャラリー大阪[大阪府]
文化学院の設立者として知られる西村伊作の、快適な住まいを追求した試みと建築作品を紹介する展覧会。西村がフリーハンドで書いた図面のパネル・建築写真を見て、大正デモクラシーの時代における生活改善、文化的に快適な生活を提案したその活動の意義を改めて考えさせられた。著述家として名を成し、住宅建築の第一人者とみなされた西村の実践は、勇壮な使命感を感じさせず軽やかだ。著書『楽しき住家』(1919)に掲載された《自邸III》の手書きの平面図が表わすように、愉快な生活を営む細々とした工夫を、日々の生活のなかから楽しんで創案したように思える。家長を中心とする間取りを排して、家族の団欒を主体にした居間中心の間取りへ。百年前に、自前でつくった給排水システム、庭には野菜畑や果樹園があって、自給自足のできる暮らし。そしてその建築は、なによりも芸術と生活に密着している。絵画と陶芸を嗜み、建築と教育活動に邁進していった西村は、すべて独学であっただけでなく「自らの手でつくること」を重視している。本展で展示された、彼の簡素でいてあたたかみのある家具──青のタイルを張った化粧台や機能的な青色の居間用椅子──、子どもにデザインした洋服、照明などのアイディアを書きとめたスケッチブックなどを見るにつけ、彼が自分の手を動かして一つひとつ身辺の事物をつくり、理想郷を創りあげていったことがわかる。加えて、ユートピア的社会主義者の姿、日本の土着的な要素を残した趣ある建築、実直な家具、富本憲吉との交流。これらはみな、西村とウィリアム・モリスとの影響関係を思い起こさせる。そのとおり、筆者は本展の資料から、英国と日本なのだから一見まったく違うのだが、西村自邸とモリスの《レッド・ハウス》──あの詩情あふれる夢のような住まい──に共通する精神性を見た。[竹内有子]
2011/05/12(木)(SYNK)
ゴーゴーミッフィー展
会期:2011/05/03~2011/05/15
大丸ミュージアム梅田[大阪府]
誰しも子どものころ「うさこちゃん」の絵本に一度ならずとも親しんだだろう。本展はそのミッフィー生誕55周年を記念し、初期から近作まで8作の絵本原画やスケッチなど、約200点の日本初公開作品が展示された。たんなる有名絵本作家としてではなくて、グラフィック・デザイナーとしてのディック・ブルーナの本領を充分に堪能できる展覧会だ。父が経営する会社で手掛けた、ペーパーバック《ブラック・ベア》シリーズの装丁とポスター・デザインの数々。簡潔にして目をひきつける、ヴァラエティに富んだ作品には目を瞠らされる。手掛けた装丁は2,000冊余り。彼はいつも作品をすべて読了してからデザインをしたという。そのとおり、小説の作品世界を端的に且つ暗示的に表現しながら、読者が自由に想像力を働かす余地を残している。アート・ディレクターの職を辞した後、絵本作家となったが、彼の信条は変わらない。絵本の判型はすべて正方形、使われる色彩は6色のみ、考え抜かれたうえで描かれた黒い輪郭線。極限に単純化された線にはかすかに震えるような手の跡が見え、ミッフィーたちのわずかな表情の変化さえも描き分けている。「デザインはシンプルであることが一番大事。完璧であるだけでなく、できるだけシンプルを心がける。そうすれば見る人がいっぱい想像できるのです。これがわたしの哲学。」これはブルーナの言葉。うさぎ年生まれの彼に、これからもまだまだ頑張ってほしい。[竹内有子]
2011/05/11(水)(SYNK)