artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
日本のデザイン2011──Re:SCOVER NIPPON DESIGN デザイナーが旅する日本。
会期:2011/04/22~2011/06/05
東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]
活躍中の3人のデザイナーが、若手写真家とともに旅に出る。森本千絵氏は、浅田政志氏と兵庫県篠山市へ。山中俊治氏は、鍵岡龍門氏と鹿児島県種子島へ。そして梅原真氏は、広川智基氏と秋田県秋田市へ。いずれの旅へも藤本智士氏(今回の企画のディレクター)がアテンドする。旅の起点は最初に決めるが、なにをするか、そこからどこへ行くかはなりゆき次第。都会の手法を地方に持ち込んで地域を活性化する、というプロジェクトではない。地方の異なる文化を都会に持ち帰ろう、というものでもない。デザイナーたちがなにを見ているのか、なにを見つけ出すのかを追うことが目的。それを写真家がカメラで追い、藤本氏がテキストに記録する。
展示されているのは、写真とテキストといくつかのお土産。すなわち旅のアルバムである。このアルバムを本や雑誌の記事としてではなく、デザインハブの展示会場で「読む」。天井から吊された透明なシートに写真とテキストが配されているが、これがとても効果的だ。アルバムの中に入り込んで、デザイナーたちの旅を追体験しているかのようである。
地方あるいは外国を訪れ、異なる環境に身を置き、知らないなにかを見つけたり、あるいは自分の所属するフィールドの価値を再確認するという作業はべつに新しいものではない。それでもさまざまな旅の記録が存在するのは、共に旅をしていないわれわれにとっても異なる視点に触れる楽しみがそこにあるからである。デザイナーと写真家、ディレクターとの出会いからも新しいコミュニケーションが生じる。それらが旅における場や人、モノとの出会いと複層的に関わり合っているから、3つの旅はそれぞれが独自で、それぞれが面白い。デザインハブで限られた観覧層にのみ公開するのはなんともぜいたくな企画である。[新川徳彦]
2011/04/26(火)(SYNK)
ジャケ買いのビガク──誘惑するジャケットデザイン
会期:2011/04/10~2011/05/08
世田谷文化生活情報センター「生活工房」[東京都]
「ジャケ買い」とは、音楽と無関係に、ジャケットデザインの好みだけでレコードやCDを購入すること。展示はふたつの企画で構成されている。ひとつは「ジャケ買い」ドキュメンタリー。アートディレクターの伊藤桂司、森本千絵の両氏がレコードをジャケ買いする。買ったレコードは互いに交換され、それぞれが曲を聴いて新たなジャケットをデザインする。相手に渡されるのはレコード盤のみで、元のジャケットデザインは参考にしないというルール。会場にはオリジナルのジャケットと新たにデザインされたジャケットが並べて展示され、またジャケ買いからデザインまで、両氏の姿を追った映像作品が流されている。
もうひとつは「ジャケ買い」体験。企画に参加したグラフィックデザイナーたちがジャケ買いしたレコードが展示されている。そればかりではない。ディスクユニオンの協力を得て、会場には2,000枚のレコードが用意されている。会場を訪れた者は、ラックの中から好きなジャケットデザインを選び、側に設置されたプレーヤーでそのレコードを試聴できる。つまりここではジャケ買いを疑似体験できるのだ。この企画はとてもスバラシイ。
アナログレコードからCD、そしてデジタル配信へと音楽メディアや流通形態が変化し、また音楽を聴く場も変わってきた。はたしていまの若者たちは店頭に足を運び、音楽を「ジャケ買い」することはあるのだろうか。二十歳前後の学生に「ジャケ買い」経験の有無を聞いてみた。150名のうち、経験アリは60名。ジャケ買い対象のほとんどはCDで、レコードと答えたものは1名のみ。本やDVDをジャケ買いするという者もいる。そしてジャケ買いの結果が「アタリ」だったという者は半数強。「ハズレ」も少なくないらしい。よくジャケ買いするという学生は「たいていがハズレだが、そのぶんアタリだったときの喜びが大きい」とコメント。なるほど、メディアは変わってもジャケ買いの「ビガク」は健在のようだ。[新川徳彦]
2011/04/18(月)(SYNK)
TROPE
会期:2011/03/26~2011/05/15
graf mouth[大阪府]
大阪を拠点にデザインやアート、食に関する活動や商品制作を行なうgrafの新プロダクトブランドライン「TROPE」の展覧会。「TROPE」は、「言葉の比喩的用法/言葉のあや」を意味する英語。木製の組み合わせ家具のパーツにみえる同ラインは、通常のプロダクトのように使用法を限定していない。人々が言葉を比喩的に、曖昧に用いるのと同様、各々の感覚で自由に使えるような道具であることが企図されている。
T-2(商品番号。以下同様)の椅子のように、伝統的な椅子のフォルムに忠実なデザインもあるが、鍬のようなT-5、鋤のようなT-6は2本の直線を組み合わせただけという抽象的なデザインであり、「TROPE」のポリシーをもっとも体現するプロダクト──grafの企図に従えば「道具」──だろう。一番オーソドックスな使い方としては、壁に立てかけて衣服等を吊ることだろうが、会場で流されていた映像では、これらを手に持ってダンスをしたり、T-5を使って座っている人を動かす様子が紹介されていた。
この道具を使ってモダンダンスを踊る光景は確かに魅力的だ。しかし、同じ道具を壁に立てかけ、服や傘や帽子を吊るとすれば、それははたして美しく思えるだろうか。こう考えると、「TROPE」のラインもまた、古今のアヴァンギャルドなデザイナーたちが陥ったジレンマに辛くも陥ってしまっている感がある。そのジレンマとは、練り上げられたフォルムが実際に使用されることでかたちを変えられ、想定外の色彩やテクスチャーを与えられ、ついにはデザイナーの最初の構想が儚くも消え去ってしまうことだ。T-5やT-6がもっとも輝いてみえるのは、おそらくそれらがなにも吊り下げられず、それ自体として空間に存在するときである。ゆえに、ダンスの小道具であるときにはそれは美しい。
もっともこのように考えるのは、筆者の想像力がきわめて貧困であるせいで、商品を手にした人たちからは、grafの意図通り、思いがけない使用法が、なおかつデザインそれ自体がいっそう輝くような使用法が生み出されるかもしれない。そうなれば、新たなフォルムによる新たな機能の触発という、デザイナーたちが(いかに傲慢と言われようとも)追い続けてきた夢に一歩近づくことになる。[橋本啓子]
2011/04/17(日)(SYNK)
明治の視覚革命!──工部美術学校と学習院
会期:2011/04/08~2011/06/11
学習院大学史料館[東京都]
2000年に学習院大学史料館に寄託された松室重剛関係史料により、工部美術学校と学習院との関わりを中心に明治期における図画教育の一端を紹介する展覧会である。松室重剛(まつむろ・しげただ、1851-1929)は、明治22年から大正10年までの33年間にわたり学習院中等科の西洋画教師を務めた人物。その図画教育には当時まだ珍しかった石膏像が用いられ、また彼は学習院独自の図画教科書編纂も行なっている。
その松室が美術を学んだのが、工部美術学校であった。工部美術学校は、明治9年に設立されたわが国初の官営美術学校で、明治4年に設立された工学寮(後の工部大学校)の一機関であった。工部美術学校での図画教育はモノの形を立体的にとらえ、陰影や明暗、遠近を正確に描く技法が基本で、日本の伝統的な図画技法との相異は「視覚革命」とも言えるほどのものであったという。工部美術学校は開設からわずか6年で閉鎖されたが、近代日本美術の基盤を形成した人物を輩出したばかりではなく、図画教科書の編纂を通じて日本中にこの視覚革命を広めていった。学習院で図画教育に携わった松室もそのひとりなのだ。
学習院自体も工部美術学校と浅からぬ縁があるそうだ。工部美術学校の母体である工部大学校の初代校長・大鳥圭介(1833-1911)は、その後学習院の第3代院長を務めている。また明治19年に校舎を火事で焼失した学習院は、明治23年に四谷に移転するまで工部大学校の旧校舎を使用していた。展示会に先立つ調査によれば、松室が授業で使用していた多数の石膏像は、このような関係により工部大学校から学習院に持ち込まれたのではないかと推論されている。
展示のなかでもとくに興味深かったのは「用器画」に関する史料である。用器画とは、定規やコンパスを用いて幾何学的な図形を描くことで、正確な遠近法を用いるために必要な技法であり、工部美術学校における教育でも徹底されていたという。それが中等教育において実践された背景には、学習院の生徒の多くが陸軍士官学校あるいは海軍兵学校に進学していたことが挙げられている。当時の陸軍において、地形の見取り図や地図を作成する能力は重要であった。松室が編纂した教科書に陸軍兵士に関する題材が多く用いられていることも、同様の背景によるものだとされる。松室が残した教え子の作品のなかには、服部時計店や東京国立博物館本館を設計した建築家・渡辺仁の素描もある。このような人材の輩出に、学習院における図画教育の方法は大きく関わっていたであろう。明治期に進行した「視覚革命」が、教育の場でどのように実践されていたのか、後の世代にどのように影響を与えたのかを貴重な史料でたどる好企画である。[新川徳彦]
2011/04/16(土)(SYNK)
米子匡司「街の道具・その他のこと」
会期:2011/03/26~2011/05/08
梅香堂[大阪府]
川沿いに並ぶ古いトタン板の倉庫の一角に入ると、アートや思想関係の本が壁面に並べられた作業場のような空間に、なにやらわからないふたつの箱がある。良く見ると手作りの自動販売機とジュークボックスだ。OSB合板で無造作につくられた自販機は内部が丸見えで、配線コードの先からガラクタの瓶や美空ひばり、ゴダイゴのレコードなどがぶら下がっている。前面には「10円」「90円」「300円」などと手書きされたシールが貼ってあり、硬貨投入口らしき孔に恐る恐るお金を入れてボタンを押すと、商品がクッション敷きの底面に落ちてきた。ジュークボックスは制作途中で試せなかったが、仕組みとしては、観客が楽器などを用いて演奏したり歌ったりしたものを録音、番号をつけてジュークボックスに蓄積し、次に訪れた人が番号を押せば、それが聞けるというものらしい。
作者の米子匡司は1980年生まれ、トロンボーンやピアノ、コンピュータなどを用いた音楽活動とともに電話機や電光掲示板を用いた参加型アートを精力的に展開している。米子氏の話は聞けなかったが、このオルタナティヴ・スペース「梅香堂」を主宰する後々田氏によれば、作者は自販機やジュークボックスといった街の道具でありながら、その仕組みが秘匿的なもの、いわばブラックボックス的なものを解明し、将来的にはそれらを誰もが作り出せることを意図しているという。
自販機やジュークボックスはフェティシズム論的には、人間の本能的欲求とは無関係な、根拠を欠いた「過剰」な欲望の実体化と見なされうるだろうか。とはいえ、日本中にはびこる自販機は、われわれにとってはもはや「過剰」の象徴どころか、「自然」と化したものに違いない。それは景観においても「自然」と化したものだが、自販機で物が買えたり、音楽を吹き込んでそれを聴く行為自体、現代人にとっては疑似本能的、自然な行為だ。その「自然」のブラックボックスを解明し、それを誰もがつくれるようにするという米子氏のコンセプトは、それをわれわれにとっての完全な「自然」──たとえば、身体のように扱えるもの──にしてしまいたいという欲望の顕れなのだろうか。あるいは別の見方をすれば、コンビニやiPodなど、自販機やジュークボックスの代替物はいくらでもあるが、疑似本能的な欲求とわれわれとの関係性を実体化するという目的においては、自販機やジュークボックスというモニュメンタルなモノこそ相応しいということなのか。前者の解釈はアートの側からの、後者のそれはデザインの側からのとらえ方といえる。これ以外にこのふたつの作品については、記号論やノスタルジー論の立場から解釈しても面白いだろう。いずれにせよ、今回の彼の試みが、フェティッシュな文化に対するわれわれの意識のあり様を重層的かつ複雑に提示したものであることは間違いない。 [橋本啓子]
2011/04/16(土)(SYNK)