artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

ファッション史の愉しみ──石山彰ブック・コレクションより

会期:2016/02/13~2016/04/10

世田谷美術館[東京都]

2011年に亡くなった服飾史研究家・石山彰氏(1918-2011)が蒐集したヨーロッパのファッション・プレートやファッション・ブックなどの研究資料を紹介する展覧会。古くは16世紀末の文献から始まり、印刷技術の発展によって版画の技法を用いたファッション・プレートが廃れる20世紀初頭までを網羅するほか、揚州周延らによる明治期の錦絵に描かれた洋装も紹介される。本展で特筆すべきは石山コレクションの版画や書籍を並べただけではなく、神戸ファッション美術館が所蔵する同時代の衣装を合わせて展示している点にある。しかも衣装を着せたマネキンのメイクもまたファッション・プレートを参考に施された同時代のものなのだ。ファッション・プレートに現われた衣装とまったく同じものがあるわけではないが、時代のスタイルを立体的に見ることができる、すばらしい展示構成になっている。
 展覧会全体の構成は複層的だ。タイトルに「ファッション史の愉しみ」とあるように、この展覧会はたんに「ファッションの歴史」をたどるにとどまらず、「ファッション史研究の歴史」を見せる展覧会でもあり、それはすなわちファッション史研究において多大な貢献を残した石山彰氏の仕事を跡づける展覧会でもある。異なる時代、異なる地域のファッションを採集したファッション・プレート、ファッション・ブックは、それらが制作された同時代の人々にとってファッションの歴史や地域差を語る資料であると同時に、新しいファッションを生み出すための参考書としての役割もあった。また、それらはファッションに関するメディアの変遷を示す史料でもある。銅版画、手彩色、ポショワールといった印刷技法の変遷は、ファッション・メディアの需要の変化も語る。そして、ファッションが描かれるとき紙の上に現われるのは衣装だけではない。われわれはそこに衣装をまとった人々の身分、職業、風俗、そしてそれらを見つめる描き手のまなざし(称賛あるいは冷笑)等々、人間の生活そのものを読むことができることをこの展覧会は教えてくれる。そしてメイクを施されたマネキンは、こうした多層的なファション・プレートの意義を立体的に再現したものなのだ。ロビーで上映されている映像も必見だ。神戸ファッション美術館が制作したこのオリジナル映像は、18世紀後半から19世紀末までの衣装を役者に着せてヨーロッパで撮影したものだという。本展は2014年から2015年にかけて神戸ファッション美術館で開催された展覧会の巡回展になる。図録は両会場で共通だが、世田谷会場では独自に制作した「読本」が用意されており、展覧会のテキストとしてとても参考になる。展示史料は膨大で図録にはその一部しか収録されていない。時間に余裕をもって見に行きたい。[新川徳彦]


ともに会場風景

2016/02/13(土)(SYNK)

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よそおいの細密工芸

会期:2015/11/21~2016/02/14

清水三年坂美術館[京都府]

幕末から明治期の美術工芸品の収集で知られる清水三年坂美術館では、京薩摩にひきつづき、刀装飾や印籠、装身具の展覧会が開催された。出展品は、刀、印籠、煙草入れ、根付、かんざし、櫛など江戸時代の香りを残すものと、懐中時計、カフス、ペンダント、バックル、帯留め、指輪など、新しい時代の到来とともに西洋化がすすむ生活様式を伝えるもの、およそ80点である。そこに用いられるのは、金工、漆芸、彫刻などの洗練された意匠と高度な技巧。いずれも手にのるほどの大きさのものばかりだが、その小さなものに緻密で重厚な世界が描き出される。例えば煙草入れひとつとってみても、菖蒲の模様を染め抜いた革製の袋には龍を象った前金具が配され、腰差の煙管入れの筒には黒地に金で女郎花の蒔絵が施されており、さらに両者をつなぐ紐にはアクセントとなるべっ甲の緒締がついている。革、金工、漆芸など、さまざまな工芸技術が一点の携行品に惜しみなく盛り込まれ凝縮していることには驚かされる。手法はそのままに、カフスやペンダントトップ、ブレスレットといった西洋風のものにみられる和洋混在の奇妙な魅力も興味深い。明治期とくに明治前期には、こうした日本の美術工芸品が輸出品としておおいに期待されたという。いかに小さなものであっても、むしろ小さなものだからこそ、そのずっしりとした佇まいには日本の命運を背負って立つという名工たちの気負いや誇りさえ感じられた。[平光睦子]

2016/02/13(土)(SYNK)

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世界遺産キュー王立植物園所蔵 イングリッシュ・ガーデン 英国に集う花々

会期:2016/01/16~2016/03/21

パナソニック汐留ミュージアム[東京都]

英国のボタニカル・アートの数々と、植物園発展に資した人々の業績、植物をモチーフにしたデザインと工芸、そしてイングリッシュ・ガーデンの造園家まで、イギリス・キュー王立植物園の所蔵品を中心として紹介する展覧会。キュー王立植物園は、ジョージ二世の皇太子妃であり、ジョージ三世(1760年即位)の母であったオーガスタが1759年頃に設けた私設の植物園を始まりとし、1841年に国の施設となった。世界中から集めたさまざまな植物を育ているほか、22万点のボタニカル・アートをコレクションしている。植物学研究の場であるから、必然的にそれは美術的であることよりも科学的に正確であるかどうかという点が重要である。しかしそれが花や植物をモチーフにしているが故に、本来の目的を超えて人々を魅了し続けている。そして興味深いことに、写真が発達した現代においてもボタニカル・アートの本来の役割は失なわれていない。「描くという行為は一種の『編集』に相当する。学術的解釈によって難解な文章が解き明かされるように、正確な図や絵画はカメラよりも多くを説明することができる」★1。写真に写るのは特定の個体でしかないが、絵は種の特徴を一般化してひとつのものとして描くことが可能なのだ。なお今回の展示では、現代イギリス画家の作品と並んで唯一の日本人画家として「きのこ画家」小林路子氏の作品が出品されている。
 科学的であるかどうかが求められるボタニカル・アートであるが、一見フォークアートのように見える作品も出展されている。「カンパニースクール」と括られているこれら一連の作品は、インド人アーティストたちが描いた植物画。「カンパニー」とは「East India Company」すなわちイギリス東インド会社のことで、インドを統治していたイギリス人たちが現地の生活や風習、資源を調査・記録するために現地のアーティストを雇って描かせたものなのだそうだ。植物採集の歴史自体がイギリスの世界進出の歴史と重なっているばかりではなく、ボタニカル・アートの描き手や作品にもまた帝国の歴史が刻まれているのだ。
 デザインの視点からは、第3章「花に魅せられたデザイナーたち」が興味深い。ここではクリストファー・ドレッサーとウィリアム・モリスの仕事が対比されている(ドレッサーらによる自然の過度な様式化に対して、モリスは反対の立場であったと)ほか、ウィリアム・ド・モルガンのタイル、ウォルター・クレインのイラストなど、植物をイメージの源泉にした作品が並ぶ(なお、これらはキュー王立植物園の所蔵品ではない)。
 キュー王立植物園に関わった人物のコーナーでは、その草創期を支えたジョセフ・バンクス(1743-1820)、国の施設となってから初代の園長を務めたウィリアム・ジャクソン・フッカー(1785-1865)とその子で2代の園長を務めたジョセフ・フッカー(1817-1911)、そしてフッカーの友人で『種の起源』を書いたチャールズ・ロバート・ダーウィン(1809-1882)らが紹介されている。ダーウィンの史料の隣には蓮の花を描いたウェッジウッド社のプレートが置かれている。じつはダーウィン家とウェッジウッド家には深い関わりがある。チャールズ・ダーウィンの祖父エラズマス・ダーウィン(1731-1802)は、リンネの著作の翻訳者であり、またウェッジウッド社を創業したジョサイア・ウェッジウッド(1730-1795)の親友であった。そしてエラズマスの息子ロバート(1766-1848)とジョサイアの娘スザンナ(1764-1817)が結婚して生まれたのがチャールズ。チャールズにとってジョサイア・ウェッジウッドは母方の祖父にあたる。さらには、チャールズの妻エマ(1808-1896)はたジョサイア二世(1769-1843)の娘、ジョサイアの孫なのだ。また本展では紹介されていないが、ジョサイア・ウェッジウッドの長男ジョン(1766-1844)、すなわちチャールズの叔父もまた植物と縁が深い人物であることを付記しておきたい。家業の製陶所の経営を弟のジョサイア二世に譲って植物学と園芸学に没頭したジョン・ウェッジウッドは、ジョセフ・バンクスや、ウィリアム・フォーサイス(1737-1804、ジョージ三世の庭師)らとともに、1804年に王立園芸協会(Royal Horticultural Society)を創設したメンバーの一人である★2。また上に挙げた蓮の花のプレートのデザインと制作を指示したのもジョン・ウェッジウッドで、チャールズの父、ロバート・ダーウィンは1808年にこれをジョサイア二世から購入したと言われている★3
 汐留ミュージアムの展示室は毎回画家や展示テーマに合わせた演出をしており、そのたびごとに雰囲気ががらっと変わる。今回は植物園の温室をイメージしたつくりで、会場にはほのかに花の香りが漂っている。[新川徳彦]


会場風景

★1──本展図録、144頁。
★2──Jules Janick, 'The Founding and Founders of the Royal Horticultural Society', Chronica Horticulturae, Vol. 48, 2008, pp. 17-19.
★3──Robin Reilly, 'Wedgwood: The New Illustrated Dictionary', Antique Collectors Club, 1995, p. 456.

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小林路子の菌類画──きのこ・イロ・イロ:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

2016/02/12(金)(SYNK)

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デジタルメディアと日本のグラフィックデザイン──その過去と未来

会期:2016/01/29~2016/02/14

東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]

1970年代から2000年代まで、コンピュータとグラフィックデザインの関係をたどり、さらに未来の姿を考える企画。展示の区分としては、70年代以前を「プレデジタルメディアの時代」、80年代を「CGの時代」、90年代を「マルチメディアの時代」、00年代を「ウェブ広告の時代」とし、そして2045年以降の未来を「シンギュラリティの時代(人工知能の発達が爆発的に進み、予測不可能になるとされる未来)」と設定している。会場に来るまで出展作家リストに荒木経惟や金子國義の名前が挙がっていることを不思議に思っていたのだが、彼らはマルティメディア時代草創期にそのコンテンツとして作品が用いられた作家たちだった。いまとなっては信じられないくらい画像の解像度が低いが、それでもPC上で写真集を見ることができたり、マルティメディアで作品世界を探訪する体験は非常に新しく、それも初期にはMacintosh使用者の特権だった。すばらしいことに、この展示では90年代、00年代に関しては、再生する機器におおむね同時代のMacintoshやPowerbookが使用されていた。Macintosh Plusの小さな画面を見ながら、角張ったひとつボタンのマウスで実際にコンテンツを操作することができるのだ。実機を集めるのに苦労したのではないだろうか。より新しい機器で再生可能なソフトウェアであっても、同時代のハードウェアの制約と合わせて体験できるようにということなのだそう。そのような練られた企画のために、歴史を辿り未来を見据えることが主旨だと頭では理解しつつも、ついついノスタルジックな気分に浸ってしまう。「ああ、メディアがフロッピーディスクだ!」「ハイパーカードのスタックが動いている!」。体験としてそれを語ることはできても、まだ客観的な歴史として整理することは難しいかも知れない。
 ただ、これも体験による試論でしかないのだが、歴史を語る方法としては、表現の変化を見るよりも、あるいはメディアの変化を見るよりも、それらの担い手の変化を探るほうが有効であると思う。たとえば90年代初頭、DTP(Desk Top Publishing)草創期にそれを手がけていたのは印刷業とは無縁あるいは周辺の人たちが多かった。書体の種類は少なく、組版上の制約は多く、写植・電算写植でできることとは雲泥の差があり、それらを手がけはじめたのはタイプライターよりもよいというレベルでの仕事からスタートできた人たちか、実験的な試みが許される一部の紙メディアであり、当然のことながら業界の中心ではなかった。数百万円の機械で文字を組み、数千万円の機械で写真をスキャンし、数億円の機械でそれをレタッチしていた人たちがそれらの投資を捨てて新しい時代へと移行するのは、もう少しあとのことだ。印刷メディアが必要とする解像度の出力は容易ではなかったが、コンピュータの可能性を信じた人々が着目したのが画面での表現で、それがすなわち「マルチメディアの時代」をつくったのだともいえる。いまならまだ変化の時代を体験した関係者に対するオーラルヒストリーが可能だ。どなたかにぜひお願いしたい。[新川徳彦]

2016/02/06(土)(SYNK)

顔真卿と唐時代の書──顔真卿没後1230年

会期:2015/12/01~2016/01/31

東京国立博物館東洋館8室/台東区立書道博物館[東京都]

今回で13回目を迎える東京国立博物館と台東区立書道博物館の連携企画。2015年に没後1230年となった顔真卿(709-785)をはじめとする唐の名家の拓本、敦煌出土の宮廷写経、民間の書写など、唐時代の優品全105件が集められた。東博会場にはおもに「製本」と呼ばれる碑や刻石の全体が見られる巨大な拓本、書道博物館では製本を文字毎に切り離して仕立てた「剪装本」が中心に展示されている。書については語る知識を持たないのだが、学芸員解説で伺った拓本の話が興味深かった。すなわち、唐代中国の肉筆の書はほとんど残っておらず、石碑などに刻まれたかたちで残されている。人々はこれを拓本にとることで書の手本としたこと。人気のある碑は拓本をとられすぎて摩耗しており、そうするときれいな拓本が取れないために後代に補刻されることがあること。拓本にとられた文字の摩耗の具合や、後代の補刻(しばしばオリジナルとは違ってしまっている)を比較することで、拓本がとられた時期を推定できること、などである。いずれも複製品とはいえ古い時代の拓本ほどオリジナルの書に近く、価値があるという。また優れた書の複製をつくるために、木の板や石に手本を刻み、拓本の技法で複製する方法(模刻)が行なわれてきた。白黒は反転するものの、通常の版画技法と異なり紙を版に乗せて上から墨で写しとるために、文字を刻むときに反転させる必要がない。拓本は印刷や写真が発達する以前におけるすぐれた複製技術なのだということを知った。[新川徳彦]

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2016/01/31(日)(SYNK)

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