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SYNKのレビュー/プレビュー

角屋のもてなし展

会期:2015/09/15~2015/12/15

角屋のもてなしの文化美術館[京都府]

角屋の建物は、現存する唯一の揚屋建築として重要文化財に指定されている。揚屋とは江戸時代の遊郭のなかで高級遊女をよんで遊んだ場所、現在の料亭にあたる。角屋の歴史は天正年間、豊臣秀吉の治世にまで遡るというが、現存する建築物の一部は島原が六条三筋町から現在の場所に写された寛永18(1641)年頃の築ということだから、350年程前の建築ということになる。新撰組の組員が斬りつけた刀傷の残る柱、与謝蕪村の《紅白梅図屏風》をはじめ円山応挙や石田幽汀の襖絵など、館内に残された痕跡や遺物が角屋の歴史を物語っている。大座敷から眺める中庭には国貞や広重も描いたという松の木と3棟もの茶室があり、揚屋が絵師や茶人らが集う文化交流の場でもあったことが伺える。また、天井や建具、壁面の仕上げ等、それぞれに趣向をこらした客室は華やかな酒宴の雰囲気をいまに伝えている。
饗応、すなわち酒を振る舞って人をもてなすことをテーマにした今回の秋季企画展には、おもに江戸時代の盃や膳、絵画や書跡が出品されている。なかにはオランダ伝来のカットガラスの杯や蓋物、太夫の衣裳や三味線といった逸品もある。角屋伝来の献立帳には、料理の順番や内容だけでなく、使った食器、床の間の掛け物などが記録されているという。饗応の奥義をみる思いがした。[平光睦子]

2015/12/13(日)(SYNK)

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ニッポンのニッポン──ヘルムート・シュミット

会期:2015/11/09~2015/12/22

京都dddギャラリー[京都府]

日本の日本らしさはどこにあるのだろう? その造形の源流はどこに? オーストリアに生まれ、スイスでタイポグラフィを学んだデザイナー、ヘルムート・シュミット氏は展示を通して私たちに問いかける。青年時代の彼の真摯なまなざしを通して見た「日本の美」をめぐる断章が、静謐でいて簡素な言葉と陰影に富むモノクロ写真のインスタレーションで提示される。シュミット氏が取り上げる対象は、畳・櫛・茶筅・玩具・扇・徳利と杯・竹の花生けなど日常の道具から、柳宗理や横尾忠則のデザインまで幅広い。西洋のデザイナーにかかると、なんの変哲のない「畳」は、前衛的なモンドリアンの抽象絵画に類比されるような美の奥行をもって発見され、「龍安寺」の五群の石で構成される石庭は禅の世界観を表象する独自のグラフィックデザインに変容するのである。会場内を交錯するイメージとテクストを巡り歩くと、その奥には実際のモノが展覧されてもいた。通覧後、シュミット氏とともに日本を再発見する旅に出た気分を味わえる。[竹内有子]

2015/12/12(土)(SYNK)

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江口寿史 展「KING OF POP」

会期:2015/12/05~2016/01/31

川崎市市民ミュージアム[神奈川県]

画業38年というタイミングが微妙であるが、作品集『KING OF POP 江口寿史 全イラストレーション』(玄光社、2015)の刊行を記念して北九州市漫画ミュージアム(2015/9/19~11/03)から始まった江口寿史作品の巡回展。会場は二つのパートに分かれている。漫画のパートでは1977年の最初の連載作品「すすめ!! パイレーツ」から始まり、「ストップ! ひばりくん!!」、「エイジ」など、ギャグとシリアスとのあいだを自在に交錯する作品原画。イラストレーションのパート(作品集刊行記念なのでこちらがメイン)では、80年代から現在まで年代順にその仕事が紹介されている。2000年代の次が「2008~2015」と区分されているのは、2008年に刊行された作品集以降の作品ということだそうだ。80年代の作品は洗練されつつも漫画的な記号、表現が見えるのだが、次第に現在の画風に至る独特なリアリズムへと変化している様子がわかる(時期的には漫画の仕事が減っている)。着色する画材が、パントーンからマーカー、デジタルへと変わっているが、それはあまり作風への影響はないように思われる。江口寿史の描くかわいい女の子の特徴として鼻の表現──鼻の穴のみを点のように描く──が指摘されているが、それはもちろんのこととして、そのファッション、そして人物のポージング──指先や爪先、そして髪の毛先の演技──によって生まれるかわいさ、あるいはかっこよさ、あるいは乾いたエロティシズムも江口作品の記号として注目したい。江口氏が展覧会開会式に30分遅れてやってきたのは、「白いワニ」を知る世代にとってはある意味お約束どおり。[新川徳彦]

チラシクレジット=(c) EGUCHI HISASHI

2015/12/04(金)(SYNK)

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マカオのアズレージョ──ポルトガル生まれのタイルと石畳

会期:2015/11/26~2016/02/20

LIXILギャラリー[東京都]

マカオで建物などに用いられているポルトガル由来のタイル(アズレージョ)と街路を彩る石畳(カルサーダス)の現在を紹介する展覧会。アズレージョは、技術的にはイスラムで発達した色絵のタイルで、11世紀初頭にスペイン南部でつくられはじめた。ポルトガルでは15世紀後半以降、スペインから輸入されるようになり、16世紀後半にリスボンで制作が始まっている。東インド貿易によって輸入されるようになった中国の染付磁器の影響を受けて、白地に青い絵付のタイルが多くつくられたという。他方、カルサーダスはポルトガルで19世紀に広まった石畳の路面鋪装である。
 ポルトガルとマカオとの関係は深い。ポルトガル人が初めて中国に来航したのは1513年。その後1557年に定住が認められて以来、ポルトガル人はマカオに居住を続ける。1887年にポルトガルはマカオの統治権を獲得し、1999年に中国に返還されるまで東西文化が入り交じった地域として発展してきた。2005年にはマカオ歴史地区はユネスコの世界遺産に登録されている。と聞くと、アズレージョやカルサーダスは長い歴史のなかでマカオに根を下ろしてきたポルトガル文化なのだろうという印象を受ける。ところが興味深いことにアズレージョがマカオで広まったのは1980年代以降、カルサーダスが導入されるようになったのは1992年以降のことだという。アズレージョは西洋建築やその修復の際に新造されたり、広場の装飾として制作されるほか、1983年ごろからは街区表示に中国語(広東語)とポルトガル語を併記したアズレージョが採用されている。もともとはポルトガルから輸入されていたアズレージョであるが、現在では中国にポルトガル風のタイルを製造するメーカーも登場しているという。また、カルサーダスは中国人居住区とポルトガル人居住区を隔てなく結ぶ要素として道路に用いられている。展示は、いくつかのアズレージョとマカオ市街の写真、カルサーダスが敷設された街路を歩く映像で構成されている。統治機構が変わり、街の姿が変化するなかで、アズレージョやカルサーダスはマカオの歴史とアイデンティティを表わし伝える手段として、都市計画のなかで積極的に活用されているようだ。[新川徳彦]

2015/12/04(金)(SYNK)

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美術工芸の半世紀 明治の万国博覧会展[I]デビュー

会期:2015/10/31~2015/12/06

久米美術館[東京都]

幕末から明治前半期に日本が参加した万国博覧会と、博覧会や美術工芸の振興にかかわった人物──佐野常民(1823-1902)・田中芳男(1838-1916)・久米邦武(1839-1931)・ゴットフリート・ワグネル(1831-1892)──の仕事を紹介する展覧会。明治期の輸出工芸の特異な作品や工芸家たちは近年「超絶技巧」というキャッチコピーで注目を浴びているが、本展はそうした作品・工芸家が生み出された背景に焦点を当てた企画で、3回を予定しているシリーズの1回目は明治政府が国家として世界にデビューした舞台としての万国博覧会が取り上げられている。
 展示は縦軸に博覧会、そして横軸にそれら博覧会にかかわった人物を配し、関連する史料と工芸作品を紹介する構成になっている。序章は第2回パリ万博(1867)。このとき日本からは江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ別個に参加。幕府からはのちに博物館の父と呼ばれる田中芳男、佐賀藩からは博覧会の父と呼ばれることになる佐野常民が派遣されている。第1章はウィーン万博(1873/明治6)。佐野常民は日本の博覧会事務局の副総裁を務め、ワグネル等の助言により各地の産物や工芸品を選定。好評を博したことから明治政府の殖産興業政策のなかに欧米の嗜好に合わせた工芸品輸出が組み込まれることになった。岩倉使節団の一員だった久米邦武は、使節団一行とともに万博を視察し「博覧会は太平の戦争」と評している。第2章はフィラデルフィア万博(1876/明治9)。展示には田中芳男、ワグネル等、ウィーン万博経験者たちが力を振るったという。また久米邦武は出身地佐賀の有田焼の近代化と海外輸出を進めるべく、香蘭社、のちには精磁会社の設立にかかわり、フィラデルフィア万博への出品を後押しした。第3章は第3回パリ万博(1878/明治11)。欧米における日本美術ブームのさなかであり、万博には欧米でつくられた日本趣味の工芸も見られたことが示されている。
 この展覧会の主題は万博と美術工芸と人(工芸家ではない)であるが、企画の背景を理解しておくと、出品史料、作品の位置づけが良くわかるように思う。会場が久米邦武・久米桂一郎父子の資料・絵画を紹介する久米美術館であるから、万国博覧会に直接には関わらなかった久米邦武の事績が取り上げられていることはそのひとつ。もうひとつは、本展の企画・主催が霞会館(旧・華族会館)であること。今回の出品作品には霞会館が所蔵する七宝瓶と薩摩様式陶器が含まれているが、これらは明治2年に浜離宮庭園内に外国からの賓客を迎えるためにつくられた「延遼館」の調度品が華族会館に引き継がれたものだという。久米邦武が支援した精磁会社が皇室や迎賓館に納めた和製洋食器の意匠が輸出向けとは異なる日本風の比較的シンプルなものであるのに対して、延遼館伝来の陶磁は欧米で人気を博した薩摩様式(うちひとつは錦光山の京薩摩)である。すなわち、外国からの賓客が滞在する場に海外向けにつくられた当代の工芸品が備えられたのは、日本の美術工芸品輸出をプロモートしようとする政府の意図によるものであり、そのことは明治政府による各国の万国博覧会参加・美術工芸振興と軌を一にしていたことになる★1。[新川徳彦]

★1──詳細については、金原さやこ「延遼館の陶磁器──その伝来と薩摩様式陶器について」(本展図録、114~119頁)。

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2015/11/20(金)(SYNK)

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