artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

魔除け──身にまとう祈るこころ

会期:2015/12/17~2016/02/17

文化学園服飾博物館[東京都]

「魔除け」と聞いて無信心な筆者がイメージするのは、お守りやお札、注連縄程度。このうち後者ふたつはおもに家や場を守るものなので、個人が身につけるものとしては袋に入ったお守りぐらいであろうか。しかしながら、世界を見渡すとじつに多様な「魔除け」が存在する。アクセサリーのようなタイプや、化粧による魔除けも存在するが、本展でおもに取り上げられているのはアジア、アフリカ、東欧において衣服の一部として施される魔除け。由来を知らない者には手の込んだ装飾に見えるし、実際に現代では本来の意味を失って装飾化しているものもあるようだが、キャプションに書かれた年代を見ると分かるように、けっして過去の遺物ではない。
展示では衣服における魔除けのタイプをいくつかに類型化したうえで、それぞれの地域における魔除けの衣装を紹介している。類型のひとつは魔除けをまとう身体の部位。頭部や急所を覆ったり、目が届かない背中を護ったり、襟や袖などの開口部から悪いものが入り込まないように装飾する。着物の背に糸で縫い印を付ける日本の「背守り」には、子どもの背中から魔が入り込むことを防ぐ意味がある。クウチと呼ばれる遊牧民(アフガニスタン)のヴェールには後頭部から背中にかけてサソリの文様が施されている。トルコの帽子は日除けの機能に加えて、魔除けの意味を持つ装飾が施されることが多い。もうひとつの類型はデザイン。意匠、文様、形、色彩に魔除けの意味が込めらる。たとえば日本の男児着物に用いられている麻の葉文様には、大麻が勢いよく育つことから子どもの健やかな成長への願いが込められてる。色彩について言えば、赤は多くの地域で魔除けの意味を持つ色だ。素材もまた魔除けのデザインにとって重要な要素であり、貝や動物の牙、金属などのビーズが用いられる地域がある。
「魔除け」を身にまとうのは、子どもや女性が多い。ただし、その魔除けの意味の強さには地域差があるようだ。日本の例として紹介されているものは比較的穏やかで、招福の意味を兼ね備えているものが多い。対して、中国で子どもの衣服に用いられる衣装には虎や五毒(サソリ、ムカデ、クモ、ヒキガエル、ヘビ)を模ったものが見られる。色彩も非常に強い。その背景には「毒をもって毒を制す」という考えがあるのだという。他に興味深い例として、素材の代替がある。コヒスタン人(パキスタン)の男児用ベストは、金属音で魔を除けるための付けられる銀貨の装飾が一部プラスチックになっており、貝のビーズは白いガラスビーズに、袖口から魔が侵入することを防ぐ銀のビーズは洋白のファスナー(!)に置き換えられている。コストの問題だろうと想像されるが、素材が代わっても魔除けの効果は保たれるのだろうか。[新川徳彦]


展示風景。手前は背守りを施された日本の着物


同。右はアフリカの衣装

2016/01/19(火)(SYNK)

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JIDAデザインミュージアムセレクション Vol.17 東京展

会期:2016/01/14~2016/01/18

AXISギャラリー[東京都]

JIDA(公益社団法人日本インダストリアルデザイナー協会)の会員によって推薦されたプロダクト111点から、今回はゴールドセレクション賞4点とセレクション賞39点が選ばれた。ゴールドとなった製品は、ワインセーバー(株式会社デンソー デザイン部)、S660(株式会社 本田技術研究所 四輪R&Dセンター)、TOYOTA i-ROAD(トヨタ自動車株式会社)、Jコンセプト 紙パック式掃除機 MC-JP500G, MC-JP500GS(パナソニック株式会社)。デンソーのワインセーバーは開栓済みのワインに蓋をして空気を抜き、酸化を防ぐもの。自動車部品メーカーがなぜワインセーバーなのか。デンソーによれば、「カーエアコンおよび車載用小型ポンプの技術を活用」ということだそうである。スマートで高級感のあるデザインと、ハンズフリーで処理可能な構造、LEDランプによって状況を知らせてくれる機能性のバランスが優れている製品だ。パナソニックの掃除機は、PPFRP(ポリプロピレン繊維強化プラスチック)という素材を用いて軽量化したモデル。織物のように見える表面は、素材である樹脂の織り目をそのまま生かしたものだという。ホンダS660は、軽自動車規格のスポーツカー。選定理由には、個性とモデリング技術の高さが挙げられている。トヨタi-ROADはバイクのような使い勝手でありながら自動車の快適性を備えた3輪の電動パーソナル・モビリティである。
 そのほかのセレクションでとくに印象に残ったプロダクトは、SWING BIN(株式会社プラスティックス)。円筒を斜めにカットした筒に薄い木の蓋が載せられたシンプルな室内用のゴミ箱で、蓋はただ斜めに乗っているだけなのだが、切断面の工夫によってスウィングするしくみが秀逸。このほか子供乗せ自転車・ハイディ ツー(ブリヂストンサイクル株式会社)、ドローン・ファントム3(DJI JAPAN株式会社)、介護支援用ロボットスーツ・HAL(サイバーダイン株式会社)などは、機能やデザインが優れているだけではなく、時代を象徴するプロダクトだ。[新川徳彦]

2016/01/18(月)(SYNK)

明治のやきもの──幻の京薩摩

会期:2016/01/02~2016/01/31

美術館「えき」KYOTO[京都府]

薩摩焼の歴史は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に島津義弘が陶工を連れて帰ったことにはじまるという。細かい貫入がある乳白色の生地と、赤、青、緑等の多彩な絵付け、そして華やかな金彩に特徴がある。この薩摩焼にならって、明治期から大正期にかけて京都でつくられた輸出向けのものを京薩摩という。本展には、清水三年坂美術館コレクションの京薩摩から茶碗や花瓶、蓋物等120点余りが出品されている。
明治期の輸出向け陶器といえば、当時、世界各都市で開催される万国博覧会に出品された大型作品が広く知られているが、本展の出品作には小型なものが多い。掌に収まるほどの大きさの器には、どれも微細な模様が色鮮やかに描かれている。その緻密さは拡大鏡をとおしてはじめて確認できるほどで、とても人の手によるとは思えない。超絶技巧と呼ばれる、明治期の輸出向けの工芸品にみられるこのような極めて高度な技巧は、近年とくに注目されているが、京薩摩の技巧もまさに超絶としか言いようがないものだ。花鳥、風景、人物等を描いた絵画的表現と模様的な表現とを組み合わせた絵柄は、隅々まで精巧に描かれているというだけでなく、意匠としても完成度が高いといえよう。とはいえ、全体には落ち着きがどうもよくない。絵柄の表現にみられる西洋絵画からの影響、絵付けに用いられた西洋絵の具の鮮やかな色合い、西洋の生活に適した形状、そして西洋人の目を意識したことさらに日本らしいモチーフなど、さまざまな過程で日本と西洋が入り交じっている。なによりも、その過剰なほどの緻密さ。日本がはじめて世界に打って出た歴史の転換期、その時代の荒ぶるような勢いが一点の小さな器にも込められているかのようである。大阪薩摩、神戸薩摩、横浜薩摩、東京薩摩、金沢薩摩など新しく登場した輸出向けの薩摩焼はいずれも明治末期から急速に衰退し、京薩摩で栄えた京都・粟田にはいまではその跡形すら見当たらない。[平光睦子]

2016/01/18(月)(SYNK)

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「クリエイションの未来展」第6回 宮田亮平監修「いきものたち」展

会期:2015/12/05~2016/02/23

LIXILギャラリー[東京都]

4人のクリエーターを監修者に迎え、3カ月ごとの会期でそれぞれが設定したテーマによって開催される「クリエイションの未来展」。2014年9月から同じ監修者で始まった企画展が一巡し、2015年9月から2巡目が開催されている。9月に開催された第5回では、清水敏男氏(アートディレクター)を監修者に「未来食 食に関する3つのストーリー」と題して、間島領一氏のまな板にのった深海魚のオブジェや、謝琳氏の砂糖を用いた彫刻の写真が展示されたほか、農学博士・品川明氏を交えて食を巡るトークが開催された。深海魚は地上の食料が枯渇するであろう未来の食、そして砂糖は甘いそのイメージとは裏腹に、奴隷制の歴史を背負った食べ物だ。
シリーズ第6回は宮田亮平氏(金工作家)の監修による「いきものたち」。3カ月の会期を金属と木彫の二期に分けている。第一期(金属)では宮田亮平氏、丸山智巳氏、相原健作氏らの作品、第二期(木彫)では、深井 氏、土屋仁応氏、中里勇太氏ら、いずれも東京藝術大学出身作家による幻想的なイメージの彫刻が並ぶ。それぞれの作家にとっての「いきもの」の解釈の違いが興味深い。[新川徳彦]

2016/01/15(金)(SYNK)

中澤岩太博士の美術工藝物語──東京・巴里・京都

会期:2016/01/12~2016/02/27

京都工芸繊維大学 美術工芸資料館[京都府]

1902(明治35)年、京都高等工芸学校(現:京都工芸繊維大学)は、デザインの高等教育のため、国立の教育機関として三番目に設立された。美術工芸の近代化を図る地元の産業界の要望を受け、その創立を実現させたのが初代校長の中澤岩太(1858-1943)であった。本展は、工学博士/化学者・中澤の美術工芸に関わる業績を振り返る初めての展覧会。東京ではゴットフリート・ワグネルを補佐して窯業のほか多様な近代産業技術の革新に寄与、パリでは1900年の万博を実見し日本のデザインの刷新を図るべく、同校の教育用として西洋のデザイン資料の購入を浅井忠に依頼する。以後京都の美術工芸界では、図案と技法を研究しその成果発表の場を行なう四団体(京都四園)を立ち上げ、地場産業の活性化に貢献した。興味深いのは、デザイン教育で「科学と芸術の融合」を図った中澤自らも絵画・書・美術工芸を嗜む多才な人物であったこと。本展の見どころのひとつは、中澤自身の見応えある書画《宝珠》。同校の教員であった浅井忠や武田五一の作品に留まらず、彼の芸術家との交友関係(小山正太郎、松岡寿、富岡鉄斎)を示す資料も展示されている。さらに、中澤が率先して収集した西欧のアール・ヌーヴォーのデザイン(陶磁器・ポスター類)も多数あり、当時のデザイン改革に尽力した、中澤の熱き思いを感じることができる。[竹内有子]

2016/01/12(火)(SYNK)

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