artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

酒井稚恵 展

会期:2016/01/09~2016/01/17

楽空間 祇をん小西[京都府]

布を使かった立体作品やインスタレーションで知られる美術家、酒井稚恵の個展。《幕、きれば》というおめでたいタイトルの紅白幕の作品がギャラリーの町家空間を華々しく飾る。しかし、襖の裏側には白と浅葱色の縞、浅葱幕の作品が。作家自身が作品に寄せた言葉には、「幕、きれば、はじまり」とあり、「幕、きれば、おわり」ともある。シャンパンやファンファーレではじまりを祝い、火と涙でおわりを悼み、どちらにしても「あくびをして眠る」という。このように、いかにも詩的でファンタジックなメッセージが添えられているものの、作品自体はむしろ物質的である。酒井の作品は、水玉や縞、格子といった布の柄を規則的に糸で縫い絞るというもので、その様子は絞り染めの製作過程に似て、緻密な手作業の集積が魅力である。坪庭を挟んだ奥の部屋には、赤いギンガムチェックのシャツによる作品、《しあわせサンクチュアリ》が置かれた。それぞれ赤い部分を絞ったシャツと白い部分を絞ったシャツが半球状に吊るされてくっついて浮かぶ。一年のはじまりにふさわしい、清々しい展覧会であった。[平光睦子]



展示風景

2016/01/11(月)(SYNK)

杉浦非水・翠子展──同情(たましい)から生まれた絵画と歌

会期:2015/10/24~2016/01/11

白根記念渋谷区郷土博物館・文学館[東京都]

杉浦非水の作品はもちろん何度も見たことがある。展覧会にも足を運んでいる。にもかかわらず、恥ずかしながら非水の人間的側面はほとんど知らなかった。なぜだろう。おそらく非水の仕事が個人の作品として評価されるばかりではなく、それらが余りにも時代を象徴しているがゆえに描かれた風景・人・ものと同時代の社会や文化との関わりで語られ、提示されることが多いからではないだろうか。地下鉄開通や三越のポスターなど、非水の名前を知らずとも見たことがある人はたくさんいるに違いない。という勉強不足の言い訳はさておき、本展はデザイナー・杉浦非水(1876~1965)と歌人・翠子(1885~1960)夫妻のふたりの世界に焦点を当てた展覧会。「同情」とは、非水が結婚前に翠子に宛てた手紙に書かれた言葉。明治35年12月24日には「僕は君の同情者君は僕の同情者互に同情の先端が相触れてこゝに誠の情焔が燃え上がりこゝに縁の火花が散る……」とある。なんと情熱的なことか。展示ではふたりの生い立ち、出会いと結婚からはじまり、図案家・非水と歌人・翠子のそれぞれの仕事、そして非水が装幀した翠子の歌集や小説、非水が画を描き翠子が短歌を認めた掛け軸や色紙などが紹介される。本展が渋谷区の郷土博物館で開催されたのは、非水・翠子夫妻が明治39年以来渋谷区に住んでいたから。残されている写真を見ると、夫妻がその作品でのみならず、自らがモダンな都市生活の実践者であったことがわかる。本展図録には解説解題、作品画像のみならず、夫妻が交わした書簡の書き下しも多数収録されており、基礎的な文献として充実の内容。非水の作品集の横に置いておこう。[新川徳彦]

2016/01/11(月)(SYNK)

山本爲三郎没後50年 三國荘 展

会期:2015/12/22~2016/03/13

アサヒビール大山崎山荘美術館[大阪府]

民藝運動のパトロンであった山本爲三郎(アサヒビール初代社長)が、大阪・三国の地に移築した「三國荘」をめぐる展覧会。まだ駒場に日本民藝館が立てられる前の1928年、柳宗悦(1889-1961)ら民藝運動のメンバーたちは自らの思想を実際の民藝品をもって展示するために、御大礼記念国産振興東京博覧会にパビリオン「民藝館」を出品した。これが移築後に「三國荘」と名付けられ、民藝運動の重要な拠点となる。ここで同運動に共鳴する人々の集まりを通じて、日本民藝館の創立が実現の運びと相成るからである。もちろん、三國荘とその調度品の一部は民藝運動の同人の作品でありながら、山本の自邸として敷地内に移築されてからは居住と生活の場でもあった。戦後、三國荘は山本家のもとから離れ個人の所有へ渡るが、その家具什器の一部は大山崎山荘美術館のコレクションとなっている。本展の見どころはなんといっても、三國荘の室内を再現した展示。その応接室と主人室は、民藝の同志たちの作品と日本のみならず世界から収集された民芸品からなっているが、西洋と東洋のものが渾然一体となりながら、ひとつの統一された世界観が成立しているのにあらためて感じ入る。当時、民藝の同人たちが集った応接室は、選定された調度品を山本家が実生活で使い、同運動の理想を体感していた芸術的空間だったのだから、なんとも羨ましい。[竹内有子]

2016/01/10(土)(SYNK)

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肉筆浮世絵の美──氏家浮世絵コレクション

会期:2016/01/01~2016/02/14

鎌倉国宝館[神奈川県]

製薬会社の経営者であった氏家武雄氏が蒐集した肉筆浮世絵のコレクション展。戦前期から日本美術を収集していた氏家氏は、戦後浮世絵、それも1点ものの肉筆画の蒐集に専念することを志す。1974年10月1日、鎌倉国宝館内に財団法人氏家浮世絵コレクションが設立され、集めた作品は鎌倉市と協力して保存公開されることになった。この財団設立から40年を迎えて2014年から松坂屋美術館、いわき市立美術館と巡回してきた企画が本展である。分業によって制作される刷り物とは異なり、画家自身の筆遣い、色遣いが現われていることが本コレクションの特徴だ。出展作には歌麿、春章、師宣もあるが、数の点でも印象の強さでも北斎。北斎美人画の代表作といわれる「酔余美人図」(1807年頃)、晩年の武人画「雪中張飛図」(1843年)等々に魅せられる。興味深い史料としては、松楽斎眉月「役者絵(かおとはな)」(1812年)、清谷「役者絵(すがたづくし)」(1804 30年頃)がある。いずれも役者の顔の描き分けが様式化されておらず、個性的なところが見ていて楽しい。司馬江漢「江之島富士遠望図」(1807年)は、実際には海岸からは江の島の右手に見えるはずの伊豆と富士を島の背後に配しているところ、その写実的な表現とのギャップが面白い。[新川徳彦]

2016/01/03(日)(SYNK)

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最初の人間国宝──石黒宗麿のすべて

会期:2015/12/08~2016/01/31

松濤美術館[東京都]

昭和30(1955)年に重要無形文化財保持者(人間国宝)の制度が誕生したときに、富本憲吉、濱田庄司、荒川豊蔵らとともに、認定を受けた陶芸家・石黒宗麿(1893~1968)の20年ぶりの回顧展。石黒が人間国宝の認定を受けたのは鉄釉陶器の技。しかし、生涯に試みられたその技法、絵付け、表現は驚くほど多彩だ。それも時代による変遷というだけではなく、途中に断絶がありながら同じ技法が後日ふたたび試みられたりもする。陶芸に師を持たなかった石黒の制作は、中国・朝鮮の古典陶磁の再現、模倣からはじまり、そこから独自の表現へと昇華させる。いわゆる本歌取りである。展示はこうした石黒の多彩な作品を技法別に章立てし、それらを最初に試みられた順に従って構成しているのだが、漢詩や書画も含めると全部で16章にもなることからも、その仕事の多様性がうかがえよう。人間国宝の制度が技法について認定されるものであるがゆえに現代の工芸家たちは特定の技法を極める方向に進みがちであるが、石黒の多様な試みに若い世代の陶芸家たちが強く関心を抱いているようだ、とは、1月10日に松濤美術館で行なわれたシンポジウムにおける金子賢治・茨城県陶芸美術館館長の言葉。
 本展覧会が単純な優品の展示に留まらず、最新の研究成果に基づいて構成されている点は特筆しておきたい。陶芸ジャーナリスト・小野公久氏による多年にわたる調査研究★1により、石黒宗麿の書簡、石黒と交流のあった竹内潔眞・大原美術館初代館長の日記における石黒に関するの記述などの存在が突き止められ、これまでおもに小山冨士夫のテキストによって伝えられてきた年譜年代の誤りが訂正されたほか、石黒による民藝運動への批判など、作品の背後にある作家の思想が明らかにされてきた。また野積正吉・射水市新湊博物館主任学芸員は、作品の銘印や箱書の署名の調査によって石黒作品の制作年代の特定を進めている。異端の陶芸家に関するこのような実証的な方法による検証が他の伝説的な近代陶芸家についても行なわれることを期待する、とは、これもまた金子賢治氏のコメントである。[新川徳彦]

★1──小野公久『評伝 石黒宗麿 異端に徹す』(淡交社、2014)

2015/12/26(土)(SYNK)

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