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明治のやきもの──幻の京薩摩

2016年02月01日号

会期:2016/01/02~2016/01/31

美術館「えき」KYOTO[京都府]

薩摩焼の歴史は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に島津義弘が陶工を連れて帰ったことにはじまるという。細かい貫入がある乳白色の生地と、赤、青、緑等の多彩な絵付け、そして華やかな金彩に特徴がある。この薩摩焼にならって、明治期から大正期にかけて京都でつくられた輸出向けのものを京薩摩という。本展には、清水三年坂美術館コレクションの京薩摩から茶碗や花瓶、蓋物等120点余りが出品されている。
明治期の輸出向け陶器といえば、当時、世界各都市で開催される万国博覧会に出品された大型作品が広く知られているが、本展の出品作には小型なものが多い。掌に収まるほどの大きさの器には、どれも微細な模様が色鮮やかに描かれている。その緻密さは拡大鏡をとおしてはじめて確認できるほどで、とても人の手によるとは思えない。超絶技巧と呼ばれる、明治期の輸出向けの工芸品にみられるこのような極めて高度な技巧は、近年とくに注目されているが、京薩摩の技巧もまさに超絶としか言いようがないものだ。花鳥、風景、人物等を描いた絵画的表現と模様的な表現とを組み合わせた絵柄は、隅々まで精巧に描かれているというだけでなく、意匠としても完成度が高いといえよう。とはいえ、全体には落ち着きがどうもよくない。絵柄の表現にみられる西洋絵画からの影響、絵付けに用いられた西洋絵の具の鮮やかな色合い、西洋の生活に適した形状、そして西洋人の目を意識したことさらに日本らしいモチーフなど、さまざまな過程で日本と西洋が入り交じっている。なによりも、その過剰なほどの緻密さ。日本がはじめて世界に打って出た歴史の転換期、その時代の荒ぶるような勢いが一点の小さな器にも込められているかのようである。大阪薩摩、神戸薩摩、横浜薩摩、東京薩摩、金沢薩摩など新しく登場した輸出向けの薩摩焼はいずれも明治末期から急速に衰退し、京薩摩で栄えた京都・粟田にはいまではその跡形すら見当たらない。[平光睦子]

2016/01/18(月)(SYNK)

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