artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

高田喜佐「ザ・シューズ展」

会期:2014/04/06~2014/06/08

女子美アートミュージアム[神奈川県]

2006年に亡くなったシューズデザイナー・高田喜佐(1941~2006)の回顧展。彼女が亡くなったとき、その手元には1966年のデビューから41年間にデザインされた靴のうち約1,600点が遺されていた。この膨大なコレクション──高田喜佐の仕事のアーカイヴ──は神戸ファッション美術館に寄贈され、2013年にはそのうちの800点を展示する展覧会が開催された(2013/4/18~7/2)。本展はその巡回展である。
 最初の部屋はズック。彼女が好きだったというイエローで構成された展示室に、カラフルなズックの花が咲いている[写真1]。そして奥の展示室は、ほぼ年代順に彼女の多彩な仕事が並ぶ[写真2]。細長い展示台の間を抜けてゆくと、時代による彼女の靴の変遷が見えてくる。それではその変化は何によって生じたのか。もちろんそこにはそれぞれの時代におけるファッションの変化が影響しているだろう。しかし何よりも大きいのは、高田喜佐自身の変化であるようだ。それは靴に対する考え方の変化であったり、あるいはそれ以上に年を経るにつれて彼女自身が着たい服、履きたい靴が変わってきたことにある。パンプス、ぽっくり、草履サンダル、ズック、マニッシュなシューズ、ワークブーツ。高田喜佐は多様な種類の多彩なザインの靴を生み出したが、デザインの根本にあるのは自分が履きたい靴であり、自分が憧れる靴である。男性デザイナーがつくる、女性に履かせたい靴ではない。「私にとって靴のデザインは、自分のライフスタイルを反映している。自分らしく、シンプルに生きたいという思いが、靴という小さな器に表現されてゆく」★1。彼女にとっての憧れである紳士靴やスポーツシューズがスタイルに反映され、彼女が好んだファッションの変化、暮らしの変化が新しいデザインの源泉となったのだ。そしてもうひとつ。高田喜佐は靴のデザイナーであったけれども、靴作りの専門家ではなかったことが、彼女のデザインを特徴付けていると思う。すなわち、職人的な靴作りの決まりごとに対して自由であったからこそ、彼女自身が「靴のファンタジー」と呼ぶ、新しい素材、新しいスタイル、新しい装飾の女性靴を生み出すことができたのではないか。足袋に使うこはぜを使ったブーツ、踵のある草履サンダルなど、他の誰が思いつくだろうか。彼女とともに仕事をした職人たちの証言、あるいは苦労がそれを裏づける。職人との協業が彼女の遊び心と融合し、機能性をも備えた楽しい靴が生み出さされたのではないか。
 展覧会の紹介文に「日本の女性靴にデザインの概念を持ち込んだと評価される」とあるように、彼女の仕事は新しい道を切りひらいてきた。その軌跡を振り返る、非常に充実した展覧会である。[新川徳彦]

★1──高田喜佐『靴を探しに』(筑摩書房、1999)43頁。


展示風景1


展示風景2

関連レビュー


プレビュー:SHOES DESIGNER 高田喜佐──ザ・シューズ展:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

2014/05/19(月)(SYNK)

山村幸則 個展「Thirdhand Clothing 2014 Spring」

会期:2014/05/03~2014/05/25

C.A.P.(芸術と計画会議)STUDIO Y3[兵庫県]

1,000着の古着と映像によるインスタレーション。壁に投影された映像には、作家本人が1,000着のなかから9着を身につけて、ただまっすぐに歩く姿111パターンが映し出されている。着方は出鱈目。前後、左右、上下、袖、裾、襟、ズボンもジャケットもお構いなしにとにかく身に纏う。ある時は服が片方の肩にこんもりと積み重なり、ある時は首回りから幾重にも垂れ下がる。これでは、たとえ一点一点は服の形状をしていてもその機能は本来の服のものとはいえない。それでもその全身姿は、民族衣装で着飾ったどこか見知らぬ国の人のようで、静かな落ち着きと美しい調和が感じられる。その要因は、組み合わせる古着の色合いがある程度統一されていること以上に、それを着る人物の風貌にあるように思う。
山村は、現代美術家としてのおよそ20年間のキャリアのほとんどを滞在制作に費やしてきた。近年、アーティスト・イン・レジデンスはさほど珍しくはないが、彼の場合、実施した数と地域が尋常ではない。日本国内にはじまり、ノルウェー、アメリカ合衆国、タイ、イラン、ケニア、ドイツ、ポーランド、中国等、世界を股にかけてきた。その場所にふさわしい作品を現地の人々とのふれあいのなかで制作するのが彼のスタイルだ。山村は、美術家であり、旅人なのである。
今回の個展では神戸の老舗古着屋「古着ルネッサンス楽園」から古着を借用したという。古着といっても、業者の扱うものは店頭に並ぶ前にひととおりの処理を終えていて、以前にそれを着用した人の名残はほとんど感じられない。古着として、今、神戸で売られていることも、かつての持ち主の知るところではないだろう。主人をなくし、あちこちを巡り、海を渡って、それでも衣服として生きながらえて次の持ち主に着られるのを待っているのである。作家だけではなく、服もまた旅路にある。古着「Secondhand Clothing」を、山村は自らが袖を通すことによって「Thirdhand」にするという。旅人、山村と、旅する服の一時の出会い。会場では、誰でも展示された古着を購入して「第四の着手」になることができる。[平光睦子]


展示風景



展示会場で投影された映像(部分)
撮影=鳴海健二

2014/05/18(日)(SYNK)

開館15周年記念 サッカー展、イメージのゆくえ。

会期:2014/04/26~2014/06/22

うらわ美術館[埼玉県]

サッカー・ワールドカップが開催される年であり、浦和で開催されている展覧会だからといって「サッカーファンのための企画」と思って訪れたならば、きっと肩すかしを食らうに違いない。なにしろ、ポスター・チラシのデザインにあたっては、デザイナーにあえて赤(浦和レッドダイヤモンズのシンボルカラー)とオレンジ(大宮アルディージャのシンボルカラー)の使用は避けるようにと指示したというのだから★1。本展の主旨は、さまざまなメディアを通じて現われる表象としてのサッカーである。取り上げられている内容は多岐にわたる。第一は、「足」と「球」。アート作品としてのボールや靴があるのは想定の内であるが、足を描いた絵画や彫刻、あるいは白髪一雄の足で描いた絵画まで見ることができる。ここでは、身体のなかでもどちらかといえば知性とは反対の存在としてイメージされがちな足と、サッカーボールによって、サッカーというゲームが表象する身体を考える。第二は「サッカー以前」。近代的なルールによるサッカー以前に行なわれていた多様なフットボールと民衆との関わりが資料で紹介されている。第三は、明治以降の日本におけるサッカーの導入と受容。学校教育への導入が入門書や児童書などのメディアによって行なわれてきた様や、オリンピックにおける競技やその映像記録に現われた身体に注目する。第四は戦後の日本。ワールドカップのアートポスターや天皇杯のプログラム表紙のイメージ(女子サッカー選手権のプログラム表紙を通じてジェンダーの問題にも触れられている)、情報誌『ぴあ』の表紙に見られるサッカー選手の肖像、そして圧巻は膨大な数のサッカーマンガ。150余のタイトルと1,000冊に上るサッカーマンガの表紙が壁面を飾っているのだ! メディアへの露出の拡大は、Jリーグ発足によって拡大した人々のサッカーに対する認知と関心を極めて直接的に反映している。最後は日比野克彦・小沢剛・倉重迅・金氏徹平らによるサッカーをモチーフとした現代アート。サッカーに関連する文化や、ゲームの構造がアートに展開されている事例である。
 この展覧会では、サッカーやスポーツとその表象に関するあらゆるテーマが挙げられているといえよう。欠けているとすれば、商業化の歴史とその帰結ぐらいであろうか。そして多様なテーマを包括するものとして、これらの表象が書籍や雑誌などの印刷物や映画といった複製メディアが主な舞台となっている点が指摘されている。サッカーは世界のもっとも多くの国・地域で行なわれ、もっとも競技人口が多いスポーツと言われている。それはただ楽しむためのゲームであるばかりではなく、近代的な教育や規律を形成する手段であったり、国威発揚の舞台であったり、スポーツ用品メーカーがしのぎを削る場であったり、メディアが発達するきっかけであったり、時には紛争の火種となったりもする。スポーツ、そしてサッカーは、それ自体が同時代の社会の表象であり、その表象はメディアを通じて私たちのスポーツに対するイメージを形成し、形成されたイメージは今度はゲームのルールや場に影響を与えていくのである。[新川徳彦]

★1──関連展示として、さいたま市の少年サッカーと二つのJ1チームのコーナーが設けられている。



展示風景1


展示風景2

2014/05/14(水)(SYNK)

10周年記念企画展──西方の藍染

会期:2014/05/03~2014/06/30

ちいさな藍美術館[京都府]

ヨーロッパの藍染、40点余りからなる展覧会。いずれも19世紀から20世紀のあいだに、フランス、ドイツ、ハンガリー、チェコ、オランダ、スペイン、ノルウェイなど、ヨーロッパでつくられたものである。衣裳やインテリアファブリックといった庶民の日常を彩った藍染が中心で、骨董的価値はさほど高くないかも知れないが、だからこそ日本で目にすることは少なく、これだけの逸品が一堂に会するのはまたとない機会である。
会場は、ちいさな藍美術館。藍染作家である館長の新道弘之氏が、藍染に使う良い灰を求めて家族とともに京都府美山町(重要伝統的建造物群保存地区)に移り住んだのは34年前である。茅葺き民家の住居兼アトリエの2階に、氏が染色技法の探求のために長年収集してきた藍染コレクションの展示スペースとして美術館が創立されて10年になる。今回の企画展では、そのなかからとくにヨーロッパの品々が選出された。
藍染といえば、一般に、日本の伝統的な染色という印象がある。明治期に日本を訪れた英国人が藍を「ジャパン・ブルー」と呼んだことからも、当時、日本人の生活のなかで藍染がふんだんに使われていたのは確かであろう。しかし同じころ、藍染はヨーロッパでも「ブルー・プリント」として広く親しまれていたのである。19世紀から20世紀は、中世からヨーロッパ全土で栽培されていたウォード(細葉大青)、16世紀からヨーロッパに流入し始めたインド藍、そして1897年に発明された化学藍といったさまざまな染料による藍染が混在した時期であり、藍染のあらゆる可能性が試された時期である。今回の展示では、日本のものとはひと味違ったヨーロッパの藍染の豊かさと力強さを堪能し、人々を魅了してやまない藍の歴史の一面をあらためて知らされた。
まぶしいばかりの新緑が萌える美山、藍色がひときわ映える。会場では、見るだけでなく、手にとって布の感触を味わい、さらに新道夫妻作の藍染グッズを購入し持ち帰って楽しむこともできる。[平光睦子]


ちいさな藍美術館、外観



館長の新道氏



展示風景

2014/05/11(日)(SYNK)

デザインバトンズ──未来のデザインをおもしろくする人たち

会期:2014/04/04~2014/05/11

東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]

アートディレクター、アーティスト、建築家、音楽家ら、10人のクリエーターたちが、それぞれ「未来を感じるデザインをしているクリエーター」「自分より後に生を受けたクリエーター」を指名し、「バトンを受け渡す」ことをテーマとした企画。展示自体は、バトンを渡すほうと受けとるほうの双方に同じ八つの質問をし、その答えを掲示し(バトンを渡すほうにはもうひとつ、誰に、なぜ、渡すのかという質問がある)、会場に置かれたモニターでは、それぞれのクリエーターたちの作品が写されている。いずれも優れた仕事をしている人たちであることはよくわかる。しかし、バトンを渡す/渡されるというイメージは抽象的で、展示からはよくわからなかった。バトンを渡す側のクリエーターがイメージする未来が、バトンを渡される側の人選に表象されていると考えればよいのだろうか。[新川徳彦]


展示風景

2014/05/09(金)(SYNK)