artscapeレビュー
建築に関するレビュー/プレビュー
多治見市モザイクタイルミュージアム
古くから陶磁器の産地として知られる岐阜県東濃地方。この地域のやきものは美濃焼と総称されるが、地域によって特徴のあるやきものづくりが行われてきた。笠原町(現 多治見市笠原町)は陶磁器の中でもタイルの生産が大きなシェアを占めている。2006年に多治見市と合併し廃止された町役場跡に、合併特例債を利用して2016年6月にオープンしたのが多治見市モザイクタイルミュージアムだ。タイルの原料を掘り出す「粘土山」をモチーフとした藤森照信の設計による特徴ある外観の建築は、開館以来多くの人を集めている。同じ敷地には公民館や消防署があり、周囲には多くの民家があるにも関わらず、すり鉢状に掘り下げられた斜面の向こうに立ち上がる土の壁は、それらを忘れさせるような存在感をもって建っている。曲がりくねったアプローチを下った先にある入り口は小さな木の扉で、外からは中の様子がまったく想像できない。入り口から展示室に向かう階段は登り窯をイメージした土の床と壁。モザイクタイルのミュージアムなのに、タイルはほんのわずかにあしらわれているだけだ。が、外部への吹き抜けがある4階展示室は床から壁面、天井まで全面が真っ白いモザイクタイル貼り。ここに銭湯の壁面を飾ったモザイクや、モザイクタイルを用いた古い洗面台や風呂、染付便器などが並ぶ。3階は笠原タイル産業の歴史と技術を紹介する常設展示と企画展示室。2階は地元タイル企業のショウルームを兼ねた現代のモザイクタイルの展示。1階にはショップと体験工房がある。
笠原におけるタイル産業の先駆者は山内逸三(1908-1992)。笠原に生まれ、土岐窯業学校、京都市立陶磁器講習所で学び昭和4年(1929)に帰郷した山内は、昭和10年(1935)頃に施釉磁器モザイクタイルの量産に成功。ただし、飯茶碗の製造で知られていたこの地域がモザイクタイルの産地になったのは1950年前後のこと。国内においては戦後復興の建築需要、海外への輸出によってタイル産業は大きく成長していった。昭和26年(1951)に20社だったメーカーは2年後には100社を超え、茶碗製造からの転換が進んだ。各務 治 モザイクタイルミュージアム館長の話によれば、当初は新規参入者が多く、その好調を見て後に茶碗製造業者がタイル製造に転換。分業が進み産地が形成されていったということだ。プラザ合意後の円高によって輸出は打撃を受けたが、他方で国内においてはバブル景気に突入し、タイル産業はマンションに用いられる外装タイルの製造などで好調を維持したものの、バブル崩壊後は低調。それでも笠原のタイル生産量は現在でも全国一だ。
笠原町では20年程前から有志たちがこうした地元の歴史を残そうと、メーカーに残されている見本や、各地で取り壊されつつある銭湯の装飾タイルなどを集めはじめ、それらは最初地元の信用金庫の旧社屋で保管され、後に児童館を転用した施設「モザイク浪漫館」に移され、保存されてきた。館内に展示しきれないほどの「お宝」があるので、3階展示室は年に3回ほど展示を入れ替えるという。
2016年6月4日の開館以来、モザイクタイルミュージアムには多く人々が訪れ、筆者が訪問した翌週、2017年2月18日には10万人達成記念式典が開催されている。当初の年度内の来館者見込み2万5千人は開館翌月に突破したそうなので、驚くべきスピード。平日は1時間に1本のバスしかない、決して交通の便がよいとは言いがたい場所にあるにも関わらずだ。藤森建築が人気を呼んでいることは確かだと思うが、それだけではない。モザイクタイルの美しさと懐かしさ、ワークショップの数々、そしてなによりも自ら受付にたち、館内を回って来館者に声を掛けて回る各務館長のホスピタリティ。地元産業の博物館という、ともすれば堅くなりそうなテーマのミュージアムなのに、家族連れ、カップル、リピーターが多いということも頷ける。じつは筆者も近々の再訪を計画しているところだ。[新川徳彦]
2017/02/12(日)(SYNK)
つくるガウディ
会期:2016/11/05~2017/03/31
INAXライブミュージアム[愛知県]
INAXライブミュージアムで「つくるガウディ」展を見た。「土・どろんこ館」会場の企画「つくるガウディ─塗る、張る、飾る!」は、左官とタイルの職人の手によりアントニオ・ガウディ「コロニア・グエル教会」の未完の尖塔を、4分の1スケールでつくるというプロジェクト。1898年に教会建設の依頼を受けたガウディは10年にわたって模型実験を続け、工事が始まったのは1908年。半地下の聖堂は完成したものの、構造実験を反映するはずだった地上部分は未完のままになった。この地上部分を、ガウディが残した構造模型の写真から教会の設計を考察した松倉保夫氏の『ガウディの設計態度』(相模書房、1978)を元に建築家の日置拓人氏が立体を起こし、工場で作った構造体を展示室に建て込み、左官職人の久住有生氏とタイル職人の白石普氏が仕上げていく。筆者が展示を見た2月初めには、丸太で組んだ足場の上でタイルと左官による仕上げの公開制作が行なわれていた。使われている土は愛知県豊田と兵庫県淡路のもの。タイルは白石氏がデザインし、ミュージアム内の「ものづくり工房」で製作されたオリジナルが用いられている。「コロニア・グエル」でガウディがどのような装飾を計画していたのかは分かっていないそうで、それならば再現の際には実現した地階部分や建設中のサグラダ・ファミリアに倣ってつくらないのかという疑問が浮かぶが、ガウディが現場の職人たちと対話しながら工事を進めていったことを考えれば、地域の素材を使い、現場の職人の技術に従うことが、その建築思想を再現するここでの方法論なのだ。タイルはあらかじめ焼いておかなければならないが、貼り方は現場で決まり、タイルの構成によって仕上げの土の色も決まる。完成は3月末。4月中旬から5月末にかけて完成披露展示が予定されている。これまでの制作風景動画を同ミュージアムのホームページで見ることができる(http://www1.lixil.co.jp/culture/event/080_live_m/003614.html)。
本プロジェクトの会場である「土・どろんこ館」は、2006年に日置拓人氏の設計と久住有生氏の左官仕事でつくられたもの。日置、久住、白石ら3氏が登壇して2月11日に同館で行なわれたトークセッションでは、企画段階で訪れたバルセロナでの珍道中(?)や、「土・どろんこ館」建設にまつわる裏話などが披露された。このほか、「世界のタイル博物館」企画展示室では約40年にわたってガウディ建築を実測し、手描きによる図面制作を行なってきた田中裕也氏(本展の総合アドバイザーでもある)の図面とその道具が展示されている。[新川徳彦]
2017/02/11(土)(SYNK)
平田晃久建築展
会期:2017/02/07~2017/03/05
太田市美術館・図書館[群馬県]
平田晃久が設計した太田市美術館・図書館を見学する。美術、建築、絵本など、ビジュアル系本が充実した図書館+都心回帰の美術館+おしゃれなカフェという最強コンテンツが空間的に融合しつつ、駅前に出現した。彼らしい複雑な立体構成をもち、図面では理解しにくいが、実際にぐるぐる歩いて体感することで身体化される。太田市美術館では、平田晃久展を開催中だった。2つのキューブには、それぞれ模型群と映像・細部検討を展示し、スロープに沿った大きな壁面を使い、ワークショップを経て、いかに建築が変化したかを紹介する。なお、図書館はまだ整理中で4月にオープンとのこと。開館後、実際に人の動線がどのように絡まりあうかを見たい。
2017/02/10(金)(五十嵐太郎)
第3回ワークショップ「風景と記憶」─震災後の復興に及ぼす影響─
会期:2017/01/25
朝日座[福島県]
ワークショップ「風景と記憶」南相馬の朝日座。藤井光の『ASAHIZA 人間は・どこに行く』、三度目の鑑賞は南相馬の朝日座になった。まさにこの映画が題材とし、舞台とする場所である。記憶の器としての建築、地方が共有する問題、シンコペーションするような映像と音、話や動きなどの一部が連続するシーンの切り替え。個人的にも忘れがたい映画となった。南相馬のワークショップでは、まず二上文彦(南相馬市博物館学芸員)が原町無線塔のレクチャーを行なう。土木建築造物としての価値、関東大震災時どのようにアメリカに一報が伝わったか、機能を失った戦後、保存運動、そして解体までの歴史を語る。これを壊したのは本当にもったいないと思う。だからこそ、その喪失を反省し、地元では朝日座を残す試みも起きたのだが。続いて、福屋粧子の宮城におけるプロジェクトのレクチャーでは、失われた街の白模型、牡鹿半島のワークショップ、そして玉浦西への集団移転計画を紹介する。座談会の終了後は、元芝居小屋だった痕跡が残る朝日座(映画館)のバックヤードツアーを行なう。どう使っていたかわからない細部が興味深い。
2017/01/25(水)(五十嵐太郎)
プレビュー:Exhibition as media 2016-2017「とりのゆめ/bird's-eye」
会期:2017/02/18~2017/03/05
神戸アートビレッジセンター[兵庫県]
神戸アートビレッジセンター(以下、KAVC)が2007年から行なっている企画展「Exhibition as media」。その特徴は、KAVCとアーティストが企画立案から実施までを協働する点にある。昨年の同展では美術家の井上明彦とヒスロムが新開地(KAVCが立地する場所)をテーマにしたが、今年は、「建築物ウクレレ化保存計画」で知られる美術家の伊達伸明と、建築・まち・空間の調査と提案を行なっているRADのメンバー、榊原充大と木村慎弥が、やはり新開地をテーマに展覧会をつくり上げる。彼らの切り口は「しらんけど考古術」というもの。これは関西人が根拠のない噂話などをする際に、責任逃れの意味で語尾につける「知らんけど」から着想したものだ。本展では、根拠が曖昧な伝承や都市伝説をもとに、空想力を働かせて今の都市と向き合おうと試みる。筆者はRADの2人については知らないが、伊達の作品は1990年代からずっと見ている。彼のアーティストとしての力量に疑いはなく、その軽やかで飄々とした物腰も信頼しているので、きっと斬新な展覧会をつくり上げてくれるだろう。
2017/01/20(金)(小吹隆文)